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能力を均すか長所を伸ばすか

オリンピック白熱していますね。
なんだかんだリモートワーク中にも観てしまっています。
そんなアスリートたちの活躍に触発されて、ちょっと考えたことがあります。
それは、「能力をならす」か「長所を伸ばす」か、という命題です。

以下は私の持論です。
仮に2教科の試験があったとして、
「どちらも70点の人」「片方100点で片方40点」がいた場合、果たしてどちらが評価されるか。
少なくとも今の日本の学校や会社では前者だと思います。
でも、私はどうしても後者を推したい。

自分が前者にはなれなかったという自己正当化もありますが、歴史を学んだりオリンピックを見ていると、「偉人」「英雄」と呼ばれる人々は、秀でた一芸によって偉業をなす場合が多いと感じますので、このように思い至りました。

全部平均以上にこなせる人はアカンのかというと、決してそういう訳ではありません。
全てにおいて優秀な成績や結果をおさめる人々は、それだけで尊敬に値します。
でも、じゃあみんな「能力を均して」平均点以上を目指そうよ、というシステムや風潮には、少し違和感を覚えます。
そのシステムや風潮が、個性を殺すことだってあるかもしれないからです。

前述のように私は全てを平均以上にこなすということができませんでした。むしろ全て平均以下
ただ、国語と社会だけはめちゃ得意で好きでした。

しかし、進路を考える上ではやはり全ての教科でそれなりの成績を取ることが王道でしたので、強く葛藤したことを覚えています。
結局私は不登校というかなり強い拒否反応を以て、そのレールから外れました。

素直な感想としては、もっと長所や個性を伸ばしたかったな〜と思います。
単に私が適応できなかったといえばそれまでですが、評価軸が長所や個性ではなく高度な平均点にある社会では、埋もれてしまう才能も多い気がしてなりません。
先の2教科の例えだと、片方40点で片方100点という人の"100点"が過小評価されてしまう社会。
それはその人にとっても社会にとっても不利益ではないかなと思うのです。

でも、最近は少しずつ社会が変わっています。
noteやYouTubeなど自らを発信できる場も格段に増えましたし、N高等学校に見られるように既成概念に囚われない教育機関が人気を集めたりしています。
ゆっくりかもしれませんが、"長所を伸ばし個性を尊重する社会"の到来が近づいているのかもしれません。
私も何らかの形で、そんな社会の実現に貢献したいなと思います。

長くなりました…
この記事を書くにあたり着想から書き出しはすんなり進んだんですけど、結論がどうも出せなくて、玉虫色の文章となり私としては不本意です笑
でもこれもありのままの思考なので公開することにしました。
またこの命題は考えたいなと思います。

それではごきげんよう。
おやすみなさい!

サポートをしていただけるようなことがあったら踊り狂います。 どこかの誰かの何かに届けばいいな。