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【コロナで変わった人生。】       週7で渋谷を飲み歩いていた私が、新潟へ移住した訳。


まさに私の転機はコロナ。生活がガラッとかわりました。
産休前のリモートから出産、育休、復帰への軌跡を少し紹介します。

産休に入る直前の決断

2020年3月末、東京が都市封鎖と騒がれ、前代未聞の事態に
国民が不安で揺れ動いていたころ、ちょうど私は妊娠8ヶ月。

産休へと準備を進めていました。
もう半月待てば産休に入るタイミングでの、都市封鎖の噂。
県をまたがる移動の制限。半月で状況が変わりそうな状態でした。

初めての出産を控えていましたが、つわりもなく順調に進んでいた妊婦生活でした。しかし、3月に入り血糖値や血圧が不安定な数値になり、
いわゆる高齢出産での弊害が見られる状態になり始めていた矢先のことでした。

女性が8割の会社ですが結婚している社員も少なく、
ましてや妊娠は極めて稀で事例があまりない状況。
相談できる人も社内ではおらず、マイノリティな立場でした。

しかしこの世の中の不安感であれば、リスクが少しでも小さくなる
地元へ帰り半月リモート勤務で産休に入りたい思いが強くなりました。

2018年から会社全体もフリーアドレスに向けてハードを変え
デザイナーもノートパソコンになり、データもクラウド管理になりつつある状況でしたのであと半月の勤務を里帰り出産予定新潟での
リモートに切り替える土台はあると考え、会社に相談しました。

この時前例のない事柄に二つ返事で承諾してくださった社長の谷口、副社長の石川にはとても感謝しています。
(社長の決断力、先見の目にはいつも驚きます!)


転院とコロナ禍での出産

さてここからが、母となる試練かのように未知の経験が続きます。
病院の手配もコロナ禍でかなり厳しくなっているNEWS報道の中、
私は東京の診察から新潟への切り替えは無事うまくいき、
病院も押さえることができました。(ほ・・・・)

この頃は転院先の病院にいくにも、まずは二週間の自己隔離が必要とあり、病院での検査が少し空いてしまうという不安とリスクを抱えながら
転院先のクリニックと電話相談しながら、転院手続きができました。
(クリニックの対応がとても親切でした)

こうして、3月末に里帰り先である新潟市に移りました。
(この頃は全く移住を考えていません!)

出産前後は早足で話しますと、(話せば長い!)
出産はもちろん立ち会い不可事前入院からはじまり、自然分娩で進んでいたのが途中で突然帝王切開になったため、出産の全てを経験しました。
途中外部への連絡が途絶えたので家族はさぞかし心配したことでしょう。笑そんなヤキモキした気持ちも裏腹に、生まれてから一週間も
家族との面会NGでしたので、生まれた子を生で見られるまでには
時間がかかりました。
(私もその一週間が長いこと・・・。足のむくみがひどく、風船のような足で自分で豚足みたいと記念撮影しました)

コロナ禍での出産はかなり孤独でした。


実家での子育てスタート

ちょうど実家の庭がバラで満開、光がキラキラした新緑の季節から
子育てが始まりました。
新生児高齢者がいるので、コロナにはかなりシビアな状況です。

予定日より二週間前から夫の自宅待機も完了し、
新潟に万全の体制で嫁の実家で嫁不在という謎な生活を送っていました。(生まれてから結局一週間お預けでしたが。笑)

生まれた直後夫の会社からも新潟でのリモートワークの許可があり、
生まれてから数週間はリモート勤務しながら子育てをすることができました。(ワンオペだったらと思うと・・・)

完全リモートではなかったので最初の方は子供に会いにくるのに二週間の自宅待機繰り返しながらでしたので、あっという間に時が経ちました。

ほぼ、渋谷の自宅が空き家状況で高額な家賃を払う状況。
出口の見えないコロナ・・・この先の育児の不安を抱えている
3ヶ月経った頃、社長からのお電話がありました。

そこで、社長から新潟での子育てについての賛同や、これからの使命の話など色々お話をしていただき、あらためてこの社長がいるからずっとこの会社に勤めることができたし、これからもついていきたい!と強く思いました。

まさに希望の光となる出来事でした。

そこから夫婦で話し合い、お互いの会社へ相談し移住への道筋を立てました。今思うと全てのタイミング偶然にもマッチし、駒を進めていった感じでしたので奇跡に近いと思います。
(半年無駄払いした渋谷の家賃も終了。夫がひとり引っ越し作業をし渋谷からひきあげてきました!)

バタバタした新生児の育児のころから今振り返ると、
新潟での育児はとても精神的にもいいと思います。
夜泣きの声が気になったり、都内ではトイレットペーパーに続き
おむつも品薄の報道。

病院へのコロナの心配度合いは都会よりは遥かにリスクは減ること。
ミルク、おしっこ、うんこの3点セットがぐるぐる回ってる育児の中、
世の中の動きと育児に疲弊しないように、ドライブへ出かけたり気分転換もできるこの新潟での育児はとってもよかったと思います。

ベビーカーを押してゆったりと散歩する信濃川やすらぎ堤


毎日飲み歩いていた渋谷時代

妊娠・出産・育児と忙しさに忙殺され飲む暇などない
と思っていましたが早々にミルクに切り替えた私は、割と晩酌できます。

ありがたいことに病院へ駆け込むこともない状況なので、
夕飯時にはほどほどに飲める幸せな毎日。
渋谷の頃は近くに溢れるくらい飲食店があったこともあり、自炊すると割高で、友達もいっぱいできる外食がメインでした。
それがストレス発散でもあり、楽しみでもありました。
(今でも当時お世話になってたご飯が恋しくて恋しくて。)

新潟に来た当初は友達もいなく、コロナ禍で老人と赤ちゃんがいる環境では中々友達と会うことも憚れ、家族とおうちご飯があたりまえでした。
それなりにおうちご飯も充実し(夫がシェフバリの料理の腕前に!笑)
赤ちゃん中心の生活になった私は、うそみたいに健康的な生活
取り戻しました。
(体重も健康的になりすぎて過去最高!減らなくて困ってる)


生活の中に四季を味わう新潟

スパイシー梅酒が激うまでした

赤ちゃんが中心の生活になったことや、都会での生活とは違い
車での移動や近くの公園へ散歩することが格段に増え、
スーパーに行くことも日課に。

今まで広告の販促3ヶ月先をずっと追ってきた私は、
リアルタイムでの季節感を味わうことはほとんど難しく、
イベントは新鮮さはなく通り過ぎがちでした。
しかし、日常をダイレクトに感じるこの新潟での生活は、
日々が新鮮に映ります。梅の季節には梅酒をつけてみたり、魚釣り、
石ひろい、栗ひろい、しまいには農家さんの畑へお邪魔してお話ししたり、自然と遊ぶことが多くなりました。

見てください!下の写真を。ただの雑草の写真ではないんです!

農家さんが面白そうに無知な私と話しながらそこをホジホジと。

なんとにんじんです!
雑草にしか見えないところから、キラキラとして、かわいい人参。
農家さんのところで自然農法や土の話がとても楽しいこの頃。
(え、週7で飲んだくれてた頃に想像できたでしょうか。笑)

すぐ横にある井戸水(やっぱり新潟は水の都)で採りたての人参を洗い見せてくれました。
オレンジの発色がキレイ。

ライフステージにあった生き方模索はこれからも続きますが、
追求と挑戦を楽しみながら新しいことにチャレンジしていくこと、
移住をポジティブ人生をクリエイトしていきたいと思います。



文:中川 梨恵
Designer/Producer
Japan Life Design Systems
Life Design Creative Strategy


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