政治、あるいは投票行動について
もちろんぼくだって「戦争を知らない子どもたち」の一人でしかなかったわけで、二十歳を超えた途端「ほら、あんたも投票行きなさいよ」といきなり言われても「政治とか選挙のことなんて考えたことも教わったこともないんだけど」って感じだった点はみんなと一緒だったんですよ。
根本的には今だって似たような感覚。
でも、ぼくが選挙権を与えられた時期っていうのは、自民党と民主党の対立っていうのがわかりやすくメディアで報道されていた頃で、その当時友だちと唯一交わした意見交換っていうのは「細かいことはよくわかんないけど『今の政権で上手くいっていない』ということであれば、一旦政権交代してみる他ないんじゃないか」という大雑把なものだった。
まあ、その時に起きた政権交代の結果が散々なものだった、ということが後々わかって不勉強であったことに若干の罪悪感を背負ってしまって今に至るわけです。
だから、そもそも政治について積極的な関心があるわけじゃ全然ないんですよね。
でも政治って基本的にそういうもんだと思います。
考えたくないけど、渋々というか嫌々ながら考えないといけないかなぁ、とか言いながらやるものっていうか。
それに勉強すればするほどどうしようもないぐらいめちゃくちゃな実態だってことがわかってきて、ますます嫌になるし。
さらに言えば、「政治について」って話になる時の、ワイドショーとかニュースとかから耳に入るいわゆる「政党」とか「派閥争い」とか「天下り」がどうとかっていうジャーナリスティックな話題について考えることが「政治について考える」ってことの意味になってる場面がほとんどなんだけど、そういうのは抽象的だったり理論的だったりする「社会思想について考える」ってことをほとんど意識してない話なわけです。
唯一通じる社会思想的な話って「共産主義」「社会主義」ぐらいだと思うんですが、それだって「すでに失敗した駄目な考え方」の代表例として誰でも叩けるものとして槍玉にあがるだけで、誰もまともに勉強してから批判しようなんて思ってないはずですよ。
実際、マルクスって単語を口にするだけで「異常者」扱いされるか、スルーされるかどっちかです。
というか、むしろ、昔の文献とか偉人の本とか読んでるだけで「懐古主義者」扱いなわけでね。
いっそ「俺は1冊も本なんて読んでないけど、人生経験的に俺はこう考える」とか言ってる人のほうが信用を勝ち取るんだと思いますよ。
本を読まない人からすれば、自分と同じように本を読んでない人の方が感情移入できるわけでさ。
日常生活を重視して生きてるひとなんてそのぐらいの感覚だと思うよ。
残念ながら。
──
ある日の夜、ぼくは駅前で友達を待っていました。
やってくるはずの友達の姿を探すように、周りをキョロキョロ観察していたら、キャバクラ勤めっぽい外見の一人の女性に目が止まりました。
まったく知らない人だけれど、その人も誰かと待ち合わせをしているみたいで、移動するわけでもなく手持ち無沙汰にしている様子でした。
でも、なんとなく楽しそうな表情だったのを覚えています。
その時、町では市長選が行われていて、立候補したひと全員の選挙ポスターが貼っている“あの”ベニヤ板が、待ち合わせ場所の駅前にも設置してありました。
手持ち無沙汰にしていたその女性はそのベニヤ板の前まで足を運び、単に時間を潰すためでしょうけど選挙ポスターの一枚一枚に目を通していきました。
そして、表情を何一つ変えることもなく、視線をまた周囲に向け、待ち合わせ相手を探しはじめました。
その光景を目にした時に、初めてぼくは「選挙」というものの難しさを感じた気がしました。
おそらく彼女も、自分の生活がその選挙や政治によって左右されることは理解している。
しかし、普段はそんなことを考えてはいない。
国や町に何をさせるのが良くて、それを誰に任せるのが良いのか。
選挙ポスターを眺めるだけでわかるわけでもない。
さりとて完全無視を決め込むこともできない。
日本に、世界に、平和が訪れることだけは願っている。
その気持ちを託すために、選挙ポスターにぐらいは目を向けてみる。
それぐらいの政治への関心の持ち方を、ぼくはやっぱり否定することはできないんだと思います。
──
また別のある日の夜、大切な友人と何をするでもなく散歩していると唐突に、
「ねぇ。選挙ってちゃんと行った方がいいの?」
と聞かれた。
急な話題転換に面食らったが、
「うーん・・・立候補してる人たちが何を言ってるのかとかは読んだりしてるの?」
と聞くと、
「読んでもよくわかんないんだもん」
というきわめて正直な意見が返ってきた。
これにはちゃんと答えなければいけない、と気合いを入れたぼくがどう答えたかというと、
「誰に投票していいかわからない時は、誰にも投票しなくてもいいんじゃない? 君にもわかるように説明しない彼らが悪いんだ」
という風に答えた。
折りに触れ、なんて答えるのがベストだったのかを考えるけれども、おそらくこの問いに正解はない。
それでもぼくは、いま同じ質問をされたとしても、きっと同じように答えるだろうと思っている。
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