見出し画像

〈私〉の死とともに終わる〈この世界〉について

 不穏とも穏やかとも受け取ることのできるいくつかの事象がある。


 喜ばしいことがあった次の瞬間、絶望的な気分かもしくは出来事がやってくることが多い。こういうことというのはどのぐらい一般的なことなのだろうか。


 会うひと会うひとに〈再会〉や〈乾杯〉や〈約束〉を願われ続けた日々の夕暮れどきに、私の右手の人差し指は綺麗に潰れた。そのおかげで、それらの願いは先送り、または永久に叶わぬものとなってしまった。


 不穏とも穏やかともとれる事象は他にもある。


 それは様々な次元に待ち構えている上に、知覚と認識や、記憶と感覚など、内的な部分と外的な部分をまたがり相互参照する必要があるため、一つ一つを説明する場合は必ず一定以上の長さや量が必要、ということになり、したがって最小で確かな真実はいつも沈黙あるいは喧騒の奥にある。


 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?