奇跡について考えた日
「今月もnoteを書きませんか?」と9月にnote公式から通知があった。
最後に記事を書いた8月からもう1ヶ月以上経っていたなんて思いもしなかった私は、noteを書く余裕がないほど頭は一つのことでいっぱいだった。
結婚3年目を迎え、年齢も30代へと突入し、私たち夫婦は今年の1月から真剣に妊活を始めた。
社会人になりたての頃から不正出血が止まらなくなることがしばしばあり、血液検査の結果から排卵障害の診断を受けていて授かりにくい身体であることは分かっていた。
だから病院に通い薬を服用し、時には先生から厳しい言葉を浴びせられて落ち込んだ日もあったけど、そんなことで落ち込んでる場合じゃないと奮い立たせた。
そんななか9月に妊娠が発覚。奇跡だと思った。排卵できたこと、月に1回しかないタイミングが合ったこと、受精と着床ができたこと。
妊活をしているとこれらが全てうまくいくことがもはや奇跡のように思えてくる。素直に嬉しかったし、未来のイメージはどんどん膨らんでいく。とにかく幸せな時間だった。
それと同時に不安なこともたくさんあった。赤ちゃんはお腹の中で無事元気に育っているだろうか…?小さな体調の変化に敏感になり、一喜一憂する日々。妊活中の1週間はあっという間に過ぎていくのに、妊娠してからの1週間はとてつもなく長くて永遠のようで。
7週に入る前日、そろそろ心拍が見えてくる頃かなぁと期待を寄せて病院を受診したところ、心拍どころか赤ちゃんの姿が見えない。先生は9割流産になるでしょうと言った。悲しみのようなそうじゃないような複雑な感情が頭の中をぐるぐるする。
もうダメだろうと諦めた素振りを見せながら、「1割の可能性がある」だなんて奇跡が起こることをまだ心のどこかで信じていた。
病院からの帰り道、たまらず涙が溢れてしまった。まだ赤ちゃんの姿が見えなかっただけ悲しみは浅いかもしれない。死産した人に比べたら軽いのかもしれない。それでもやっぱり悲しくてどうしようもない。
夫が元気づけようと連れ出してくれたレストランで、たまたま隣に拙い足取りで歩く幼い子を連れた家族が座り、マスクの下でこっそり泣いた。
それから1週間と少し経った頃、強い腹痛と大量の出血がありそのまま胎嚢は自然排出された。ああ本当に流れちゃったんだと実感した。
たくさん泣いたし、夫にも八つ当たりしてしまったけど、不器用ながら受け止めてくれたことにただただ感謝しかない。そのおかげで排出する頃にはちゃんと気持ちの整理も出来ていた。
こんな経験したくなかったししない方が絶対にいいんだけど、なんだかこれも人生経験なんじゃないかとまで思うようになった。
振り返れば治療だって流産だって経験しなければわからなかったことがたくさんあった。
妊活を始めてからさまざまなSNSを通して治療を頑張っている人たちの存在を知ったし、辛い思いをしている人がたくさんいることも知った。
こういうことってきっと何もかも順調だったら気づけなかった。この経験は私が今後の人生を生きていくための学びだったのかもしれない。
授かることだけでも奇跡のようなものなのに、それを継続して無事に出産までできるって奇跡中の奇跡で。その上母子共に健康に過ごしていけるって本当にすごいことなんだ。
今はまだ流産後の回復を待っている段階だけど、また前を向いて頑張りたい。いつかここでもいい報告ができますように。
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