子どもたちが教えてくれた「できない」のとらえ方【子育てエッセイ】
「できない」が、言えなかった。
ピアノを弾けもしないのに、弾けると言ったり。
平泳ぎは不得意なのに、できるんだと言ったり。
×だった答えを△だと言い張ったり。
そして、「できない」と言わないようにするための努力を怠らなかった。
苦手だった算数。家に帰ってお父さんと一緒に何度も計算をした。数学になってからは、授業に遅れたくないから予習と復習をかかさなかった。選択科目は周りが好きな科目を取る中で、苦手意識のある数学を選んだ。
気が付いたら、勉強で苦手な科目はなくなった。得意な科目もなくなった。
子どものころから、どうしても「できない」が言えなかった。できないことはいけないこと、だめなこと、劣っていることで、悪だと思っていたから。人より劣っていることが嫌だったし、そう思われるのも嫌だった。優れていたかった。
そんな気持ちとは裏腹に小学校、中学、高校、大学とコマを進めれば進めるほど、広い世界に出れば出るほど、
「私はちっとも優秀じゃない」
と、思い知った。
そんな子どもだった私。当然生きやすいわけもなく、中学・高校・大学と進学するにつれて自分よりも圧倒的にできる人たちにたくさん出会っては劣等感にまみれて生きていた。
できないことを数えることがどんどんうまくなっていた。
「私はこんなにしてあげているのに、あなたはこれしかしてくれない。」
「私はこんなに努力をしてできるようになったのに、あなたはただの努力不足だ」
物事をそんなふうに考えること増えていった。言葉にはならない生きにくさのようなものをずっと積み重ねていた。
そんな私だけど、子どもたちを産んでから、前と違う感覚を感じている。生きやすさ、とも言えるような感覚。
子どもたちが生まれて、第一子は自分でできることも増えてきて、
「できないことはできないと言っていいんだよ」
「手伝ってって言えばいいんだよ」
「手伝えるときに手伝えばいいんだよ」
と言うようになった。
それは、子どもたちに言っているけれど、まるで自分に対して言っているかのようで。私が抱いていた「できない」に対して、気持ちを変化させるだけのエネルギーがあったんだと感じている。
30年間たずさえていた「できないと言っちゃいけない」という呪いがやっと解けた。
「できない」ことは悪なんかじゃなかった。
「できない」ことは、誰かに手伝ってと言えばいいことだった。
「できない」ことは、これからできるようになるかもしれないことだった。
子どもたちを見ていて、心からそう思えるようになった。
「できる」「できない」に優劣なんて、なかったんだよ。
子育ては親育てとも言うと聞く。
本当にその通りだと感じた出来事だった。
明日もいい1日になりますように。
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