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「ま、いっか」ができる人に。



「ま、いっか」って、できない子なんです。


とあるお母さんがおっしゃった。
教師一年目の、懇談でのことである。


まあ、いっか。
まあ、良いか。
まあ、いいかあ。

書き方ひとつで、なんだかニュアンスがやや変わる気がしてくるが、そのお母さんは「ま、いっか」と言っていた気がする。


そのお母さんいわく、娘は真面目で融通が効かなくて。
大してできるわけでもないのに、完璧主義で。
しかもそれを、人にも押しつけるんです。
もー、困ってますほんと。
わたしに似て、頑固でねえ、おほほ。

新任だったわたしは、「はあ」としか言えず、気の利いた返しも思いつかなかった。
でもたしかに、娘である児童のAちゃんは、「真面目だ」とおもった。


彼女は人に厳しい。
つい強い言葉で注意してしまったり、友達に言い返したりする。
だから、トラブルも起きる。

でも、自分に非があるとおもったら、深刻に受け止め、泣きながら謝る。
そんな、人より重ための「真面目さ」が、自分も他人も苦しめてしまうときが、たしかにあるように思えた。

でもまあ、それはそれで、その子らしさなので。
直さねばならないとも思えない。
お母さんもそれは分かっているものの、もう少し自分も他人も許せるような、やわらかな気持ちを持って生きてほしいとのことだった。

その処世術が、「ま、いっか」だ。


アイツにあんなこと言われてムカついたけど、「ま、いっか」。
今日のテスト60点だったけど、「ま、いっか」。

ようは、もうすこし楽観的に生きてもいいんじゃないというわけだ。

でも、その子には「ま、いっか」は難しいらしく。
お母さんも何度か話してみたそうなのだが、「そんな適当に済ませることはできない!」と怒られたそうだ。


うーん、分かる。
お母さんの気持ちも分かるが、その子の気持ちも、よく分かる。

わたしもどちらかといえば、「ま、いっか」と思えないタイプだ。

ルールは守るもの。
言うことは聞くもの。
いつなんどきでも、頑張るのが当たり前。
だから、それができない自分はダメなやつだし、それができない人は愚かなやつ!
そんな考え方をしている時もあった。

でも、そうやって生きていると、おのれの首を絞めてしまって苦しい。
失敗するのが怖くなる。
挑戦を恐れてしまう。
他人が許せなくなる。
自分が嫌いになる。

__生きづらくなる。


その子もたぶん、大きくなるにつれて、ますます生きづらくなるだろうとおもった。
当時も、よく眉間に皺を寄せ、鋭い目つきで人を睨んだ。
ほんとうは笑顔がまろやかで、歌と絵が大好きな、友達思いの熱い子なのに。


結局そのときは、「こちらでも気にかけておきます」といったことしかお答えできなかった。
お母さんも「ま、いっか」ができない性格だったらしい。
それ以降、何回も懇談でその話をされていたが、わたしはあまり力になれなかった。


でも、この”「ま、いっか」ができない”という言葉が、ずっと心に残っている。

なんだか、わたしに言われているような気がして。


わたしだって、もうすこし気楽に、ほがらかに生きたい。
ポジティブな人に、あこがれている。
そう思いつつ、いつもどこかで気を張っていた。
そのまま、ずるずると大人になった。


わたしにとって「ま、いっか」は、ネガティブのかたまりだ。

適当で、いい加減で、行き当たりばったりで、人任せで。
一緒に何かをがんばる人が、隣で「ま、いっか!」などと言ったら、「はあ?」と凄むかもしれない。
何適当にしてんねん、と。


一方で、わたしは都合のいいときには「ま、いっか」を連発する。

勉強しなきゃいけないけど、そんな気分になれないから「ま、いっか」。
寝る前に食べたら太るけど、「ま、いっか」。

この「ま、いっか」は、どちらかといえば「もう、どうでもいいか」のニュアンスがある。
投げやりで、あきらめた気持ちから生まれたひとことだ。



でも、あの日Aちゃんのお母さんが言いたかったのは、そういうことではないだろう。
あのお母さんがAちゃんに言ってほしい「ま、いっか」は、もっとポジティブな気持ちのはずだ。


自分はこのくらいできたんだから、それをありのままに認めよう。
完璧にはできないことを、受け入れよう。
だれかの失敗も自分の失敗も、とりあえず許そう。

そんな、前向きな「ま、いっか」。
その「ま、いっか」が言えることは、きっとAちゃんを救うだろう。



わたしも、それが言える人になりたい。

昔のわたしなら「そんなん許せん!」と思っただろうけど、今のわたしなら言えそうな気がする。

特に、育児は「ま、いっか」の連続だ。
思い通りにいかないことの方が、多いくらいだ。
そんなとき、毎日さめざめと自分を責めて許さないままでいたら、おぼれてしまう。

だから、わたしも「ま、いっか」を練習しよう。

大きな決断では言いたくないけど、小さなことなら「ま、いっか」って。


ちなみに、最近の「ま、いっか」は。

いつも夜寝る前に、必ず流しを綺麗に片付けてから寝ると決めていたのを、やめたことだ。

夜、へとへとの体でイライラしながら皿洗いするより、朝いちばんに元気な体で洗った方が、手早くできるし気持ちいい。
もちろん、朝起きてキッチンがピカピカなのも嬉しいけど。
起きて一番、心のゆとりがあるうちにするのも、案外悪くない。


そう考えるようになってからは、皿洗いができないまま布団に入ってしまっても、「ま、いっか」と思えるようになった。

皿洗いせずに寝ちゃう自分も、許してやろう。
明日のわたしがやってくれるよ。



「楽観主義は、意思である」

一田憲子さんのブログで見た言葉を思い出す。
「ま、いっか」というのも、また意志かしら。

Aちゃんは今頃、高校生だ。
「ま、いっか」って、言えるようになったのかなあ。
どんな生き方を選んでいても、意志は強そうなAちゃんだった。
きっとがんばっているだろう姿を、心の中で応援しつつ。


わたしは今日も皿洗いを放棄して、ぬくぬくと布団にもぐりこむ。

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