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【小説】クロスフェーダーvol.1

誠(マコト)は自分の名前が嫌だった。
「どこが誠だよ」
ステレオタイプの権化のような銀行員の父親が
これまた判を押したような「誠実な子に育ってほしい」との
勝手な願いをかけて名付けた。

「クソがよ」

吐き捨てるように独り言を呟きながら
古びたステンレスの流しに吸い殻を投げ捨てる。
と、同時に蛇口を乱暴に捻り勢いよく水を出したかと思えば、
すぐに手首を捻り返し「ガッコン」と水道が少し跳ね返って
その口を閉じた。

その作法とはまるで真逆の丁寧さで電動歯ブラシを歯面に滑らせてゆく。
レンジで蒸しタオルを作り顔を覆う。
束の間の安堵を味わった後、いつもの格好に着替え始めた。

オーバーサイズのフード付きリバースウィーブに、
軍物のワイドなチノパン、リバースの上からダークグリーンの
コーチジャケットをガバッと羽織る。
厚手のお気に入りの白ソックスに、
これまたソールが厚めのスケシューを
つま先を蹴りながら乱暴に履いて
そのまま玄関を出た。

玄関の鍵を閉めようとした時、
うっかりキャップを忘れたことに気がつき、
再び乱暴にドアを開ける。

「クソがっクソがっ」

どこに放り投げたのか。
キャップ掛けはもちろんのこと
布団の上も中もベッドの下も
ラックの奥にも見当たらない。

「あー、多分"G-eight"に置いてきたか。面倒クセェぇぇえ!ああぁぁ、ムカつくんじゃ!」

ベッドを掛け布団の上から3回殴りつけた後で
飛び出すように部屋出た。
鍵はかけ忘れたままだがもうどうでもいい。

横浜駅から東横線に飛び乗り、渋谷で山手線に乗り換え、
新宿で京王新線に乗る。
笹塚で降り、駅前の大通りを渡って
住宅街の中を慣れた足取りで突き進んでゆく。
やがて築20年ほどではあるが
白い外壁の小綺麗なアパートが見えてきた。

誠はチャイムのボタンには一切触れずに直接ドアをノックする。
すぐに中から寝起きだと丸わかりの一善(カズヨシ)が
無精髭面をしかめながら顔を覗かせた。

「お前毎回ちゃんとチャイム押せよ。ガンガンガンガンウルセェなぁ」

「だってゼン君DJの練習してたりしてチャイムで出たことねーじゃん」

二人にとっては挨拶がわりの会話をしてから
「仕方ねーなー」といつも通り一善は誠を招き入れる。
部屋の壁沿いにレコード棚、その棚から1.5mほど合間をとって
ターンテーブルの置かれた台が配置されている。
灰皿には溢れんばかりの吸い殻がまるで火山を連想させるように
こんもりと盛られている。
綺麗とまではいかないが部屋の四隅は綺麗に整頓されており、
一善の几帳面な性格がそのまま現れているようだった。
一方でソファの前に置かれた丸テーブルには
化粧品の瓶が雑然と並べられており、
マスカラとビューラー、ペンシルが散らばっていた。

「今日芳美(ヨシミ)は?」

「バイトバイトバイト」

「え?アイツ今なにやってんの?」

「新宿でコルセンのオペレーター」

「は?アイツ、ちゃんと人に案内とか説明とかできんの?」

「俺がずっと会話の練習台と赤ペン先生やってやったからな。
今じゃリーダー候補に推されてるらしいぞ。
本当かどうか知らんけど」

正直面白くないなと思った。
芳美で童貞を卒業した時、世に言う「こんなもんか」以上の
「こんなもんなのか!?」というほど
雑でガサツなSEXだったからだ。
歯はガチャガチャ当たるし、舌の動きはまるで盛った雄犬のようで、
途中で誠の方が蒸せてしまうくらいだった。
付き合い始めてからも芳美のガサツな面はちょくちょく姿を現した。
化粧の瓶は相変わらず目についた場所に放りっぱなし。
アイシャドウのパレットが誠のボクサーパンツの中から
飛び出したこともある。
話下手で会話も合わなかったし、話し始めたと思ったら二言目には
「ダルい」しか言わないような女だった。
結局、二人は付き合って2ヶ月で別れた。
しかし、芳美の顔だけは誠の理想のタイプだったこともあり、
別れた後も誠の頭にはずっと芳美の面影がチラついていた。
芳美が一善と付き合い始めたのは、誠と別れてから僅か3日後だったと
後で一善から聞いた。

「ふーん、案外人って成長するもんだな」

「お前人の心配してる場合じゃなくね?
ラップやめてからバイトバックればっかして
まだ一回も金返してねーじゃん。
つーかどうせまた金借りに来たか、
飯奢られにきたんだろ?」

「ウルセ…」
出かかった言葉をなんとか飲み込んだ。
「ウ、さーせん!飯食わしてください!」

「うん知ってたから、もうちょい声落として」

「あい」

先にコーヒーを飲ませてくれという一善の要望に従い、
エスプレッソマシンをセットする姿を誠はボーッと眺めていた。
なんだかんだゼン君真面目だもんな、芳美もそりゃ努力するか、
と納得せざるを得なかった。

「ミルクと砂糖どうする?」

「どっちもありの砂糖多めで」

「お前相変わらず図々しいよな」
一善は嬉しそうに笑いながらミルクと気持ち多めの砂糖を
カップに投入した。

一善のターンテーブルからは、
80年台のファンクやソウルが流れてくる。
クラブでのプレイはHIPHOP中心だが
部屋でchillする時は、
もっぱらHIPHOPの元ネタとなった
ファンクやソウルばかり流している。

「とりあえずいつもの蕎麦屋でいい?
っていうか奢る方がなんで許可取るんだよ」
と一善が一人ツッコミを入れながら問いかけてくる。

「ハンバーグ!!」
誠はおどけた調子で声を張り上げた。

「ふざけんなクソガキが」
一善は笑いながら誠を罵った。

「ゼン君さぁ、いつまでDJ続けんの?
もう"G-eight"何年だっけ?」

「んん?20歳の時からだから、もう11年かな。
店長3年目でやっと慣れたわ」

「すげーよなぁ、昔結構めちゃくちゃやってたのに、
今じゃちゃっかり真面目クンじゃん」

「俺はお前みたいな腑抜けとちがって、やる時はやるからな。任せろ」

「いや、まじうぜーわ、そういうのいいから」

「あ、反抗したな?もう蕎麦なし!天かす一粒すらやらんわ」

「ごめっ!マジごめん!マッジで謝る!謝るからミニ天丼もつけさして!」

「マジかよコイツやべーな」
一善はニヤニヤが止まらない。

コーヒーを飲み終え、二人は先程誠が来た道を逆方向に歩いてゆく。
駅前の大通りぞいを少し右に歩いたところで
外の喫煙所にサラリーマンが溜まっている。

二人はスーツ姿の群れと暖簾をかき分けて
いつもの蕎麦屋のいつもの席に腰掛けた。

「お疲れジョー君、今日の日替わりなに?」
誠が慣れた口調で店員に話しかける

「いや、メニュー置いてあんじゃん。マコお前少しは成長しろよ。」

どいつもコイツも成長、成長って煩い。

「じゃあ俺Bセットに丼をミニ天丼に変更で!」

「マコお前まだゼン君にたかってんのか?本当しょうがねぇなぁ。
ゼン君もたまにはコイツに説教かました方がいいよマジで」

「まぁまぁ、いいよ。どーせ暇だったし。
じゃあ俺はAセットにカツ丼の大盛りね」

「あいはーい」
ジョー君こと、城介(ジョウノスケ)もクラブDJだ。
一善とは幼馴染だが、好きな音楽の好みは全く違っていて、
ミニマルテクノ中心に四つ打ちを好んでプレイする。
誠は一善を通じて城介と友達になった。

「あ、さっきのさ、DJの話っつーか"G-eight"なんだけど」

「ああ、すげーよな店長3年目って」

「オーナーがさ、もう今年いっぱいで店畳むって」

誠は一瞬意味が理解できなかった。

「え?はっ?いや、ゼン君がオーガナイズしてるイベントのアレ、
アレは客入りよかったじゃん!なんで?」

「あー、"BLACK tight"な。アレだけは入るんだよ。アレだけはな。
だから俺、これを機に独立して自分の店持とうかと思って」

「マジで!?スゲーじゃん!」

「でもそれやろうとしたら芳美の面倒見れなさそうなんだよな。それで今メッチャ悩んでる」

芳美は元々メンタルが不安定だ。
クラブでODをしては店員と一善と一緒に外まで運び出して
救急車を呼んだこともある。
一善と付き合い出して安定はしてきたみたいだが
それでも今も時々心療内科通いをしているようだ。

「あのさぁ、マコよー。お前、俺が軌道に乗るまで芳美の面倒見てくれたりしない?
お前の働き口になりそうなとこはいくつか紹介できるからさ」

突然の申し出に誠は言葉を失った ─。


続く、かも?

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