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宗教や信仰についての雑記 #61

◯ある仔犬の死

先日何かのニュースで、生後4ヶ月で死亡した仔犬の話を知りました。
その仔犬の飼い主は、犬は肉食動物だからドッグフードよりも肉を与えるほうがいいだろうと思い、生肉だけを食べさせていたそうです。
そのためその仔犬はビタミンDが欠乏し、くる病に罹って死んでしまったそうです。

野生の犬や狼は獲物の肉(筋肉)だけでなく、内蔵とその内容物をも食べているので、肉しか与えないと栄養が偏ってしまうそうです。
この飼い主は仔犬のためを思って生肉のみを与えていたようなのですが、知識の不足が仔犬を死に追いやる結果となってしまいました。

作家で医師でもある海堂尊はある著作の中で「無知は罪である」と書いています。
この子犬のニュースを見て、その言葉を思い出しました。
たとえ善意による言動であっても、無知により他者を傷つけ苦しめてしまうことはよくあるようです。
この飼い主のことを、無知だとか勉強不足だとか批判するのは簡単です。でも、自分のことを振り返ってみて、動物学や獣医学などのことをどれだけ知っているのかを考えると、他人のことを批判できる資格はないように思えます。

この世のあらゆることを知っている者はいないでしょう。ですから、もし無知が罪であるならば、全ての人が罪人ということになります。

ソクラテスが語った「無知の地」。
論語の「これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らざると為す、これ知るなり」。
親鸞聖人が著した「愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり」。
いにしえの賢人のこれらの言葉に共通してあるのは、己の無知や愚かさの自覚でしょう。

我々の無知の中で根本的で最大のものは、他者の痛みを知り得ないこと、己の痛みから推測するしかないということだと思います。

生きていてわが身に降りかかる様々な苦悩は、己の無知を、あるいは己の罪を、少しでも減らすための、ある種の学びなのかもしれません。
それでもなお、自らが負っている愚かさや罪がなくなることはない。そのことを常に覚えておくこと。それが、4ヶ月で喪われた仔犬の命に僅かでも報いることになることを願います。

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