平和ボケした私たちへ「終戦の日」はなぜ8月15日なのか。戦争責任は誰にあるのか?
みなさん、今日は、8月15日。
筆者こと、わたしの誕生日になります。
夏休み、お盆休みといったことで、幼児期からあまり人にお祝いしてもらったことはありません。
いや、敢えてお断りしていたというのが正解かも知れません。
それは、なんといっても、今日は終戦記念日ということだからです。
とても、大声で喜んだり、祝ってもらう気分には毎年なりません。
高校野球中継では、正午にサイレンが鳴り、全員が黙とうを捧げます。
ただ、ただ、日本と世界の平和を祈願するのみです。
かつて、日本という国家が成立して以来、元軍を2度追い払い、日清、日露戦争で勝利した我が国が、他国に対して初の大敗北。
神風も、天の神も、遂に味方せず、われわれ日本人を完膚なきまでに徹底的に惨敗へと追いやり、多くの犠牲者が生まれ、わが国家は存亡の危機に迫られました。それがこの日です。
GHQとは? 名称の由来は?
わたしが以前、丸の内で勤務時代には、GHQの駐留していた第一生命ビルが徒歩で、数10秒の位置にあり、見るたびに深い感慨を覚えたものです。
1945年(昭和20年)8月14日に日本政府(鈴木貫太郎内閣)が受諾通告したポツダム宣言では、日本を占領する組織はoccupying forces of the Allies(「聯合国ノ占領軍」、ポツダム宣言12条)と表現されている。同年9月2日に締結された降伏文書の中では、日本政府はSupreme Commander for the Allied Powers(「聯合国最高司令官」)の指示に従うこととされ、同時に出された降伏文書調印に関する詔書も「聯合国最高司令官」の指示に従うべきことを表明している。この後も日本の法令では「聯合国最高司令官」(連合国最高司令官)と表記されることが多い。連合国最高司令官の下に属する組織は英語表記によればGeneral Headquarters, the Supreme Commander for the Allied Powers(GHQ/SCAP)で「連合国最高司令官総司令部」「連合国総司令部」と日本語訳され、日本では多くの場合に略称のGHQ(ジー・エイチ・キュー)と呼称している。
他方で「軍」を補って、「連合国軍最高司令官」や「連合国軍最高司令官総司令部」または「連合国軍総司令部」のように呼ばれることも多い。
当初は現在の横浜税関に置かれたが、後に皇居と東京駅に挟まれた丸の内地区一帯のオフィスビルはその多くが駐留する連合国軍によって接収され、このうち総司令部本部は第一生命館に置かれた。マッカーサー用の机は石坂泰三のものをそのまま使用した。
第一生命保険側は占領下では第一生命館の接収が免れ得ない事を承知しており、当時では最新のオフィスビルであった当館を司令部として使う優位性を説明し採用されたものである。これは、司令部として使われるのであれば丁寧に使用され将来の接収解除後は問題なく使用できるであろうことを期待した措置であり、結果としてその目論見は奏功した。なお当館地下の保険証券倉庫部分は、その重要性が理解され接収の対象外であった。
1989年から1995年にかけて、第一生命館は順次DNタワー21として再開発が行われ、建物の一部外装と6階にあったマッカーサー記念室以外は現在失われている。
以上、Wikipediaより。
以下、朝日新聞GLOBE+より転載記事になります。
「終戦の日」はなぜ8月15日なのか
他国では「戦勝記念日」そして日本では「玉音放送」が流された日が8月15日
8月15日とはいったいどんな日なのか、改めて歴史を振り返りたい。
1945年のこの日の正午、昭和天皇がラジオを通じ、国民に対して戦争に負けたことを告げた。「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」で知られる「玉音放送」だ。
玉音放送の中では、連合国側が日本に降伏を勧告し、戦後処理の方針を示した「ポツダム宣言」を受諾することも触れられた。
玉音放送で昭和天皇が語ったこと(現代語訳)
「堪え難くまた忍び難い思いをこらえ……」。
昭和天皇が玉音放送で語った内容とは――。現代語訳全文
終戦の日(8月15日)に読みたい 玉音放送(終戦の詔書)の原文と現代語訳
つまり、この日は当時の多くの日本国民が戦争終結を知らされた日と言える。
だが、海外では一般的に、9月2日を戦争終結の日と位置づけている。1945年のこの日、日本が降伏文書に署名したからだ。
降伏文書の調印式は東京湾に浮かぶアメリカの戦艦ミズーリ号上であった。日本からは政府代表の重光葵(まもる)・外務大臣と、軍代表の梅津美治郎・参謀総長が出席、文書に署名した。
アメリカなど多くの国がこの日を「対日戦勝記念日」(Victory over Japan Day=V-J Day)としている。
一方、中国では翌日の9月3日が戦勝記念日だ。2014年2月に全国人民代表大会(全人代)が決定し、毎年、この日に記念行事を行うと定めた。
ロシアは2010年、9月2日を「第二次世界大戦終結の日」としたが、2020年になって、ソ連時代に記念日とされてきた9月3日に戻した。
日本と同じ8月15日を採用する国もある。
イギリスはこの日を対日戦勝記念日としている。韓国はこの日を日本の植民地支配からの解放日とし、「光復節」として公式行事を開いている。北朝鮮もこの日を祝日としているが、光復節とは呼ばず、単に解放記念日としている。
日本の植民地だった台湾には、韓国と同じように「光復節」があるが、日付は10月25日だ。1945年のこの日、台湾における降伏受諾式典が開かれたからだという。
関根和弘 朝日新聞GLOBE+編集長
徳島支局を振り出しに、福山、神戸両支局をへて大阪社会部に。モスクワ大学ジャーナリズム学部に留学したあと大阪社会部に戻り、モスクワ支局へ。ソチ五輪やウクライナのマイダン革命、クリミア併合などを現場で取材した。帰国後は北海道報道センターで北方領土問題などを担当した後、2017年から2年半、ハフポスト日本版に出向。デジタル編集部、GLOBE+副編集長をへて2022年9月より現職。YouTuber記者。「オモロシア」。ウサギ好き。
日本の戦争責任は誰にあるのでしょうか?
サバミリマップより引用
東條英機率いる軍部独裁のみに、あの戦争の責任を負わせるだけで良いのでしょうか?
A級戦犯 東条英機
東条英機を始めとする軍部が対米開戦を強硬に主張し、それに引き摺ずられる形で日本が太平洋戦争に突入したとほとんどの人が思っています。
国民の言動を強圧的に監視統制し、戦争貫徹を国民に強いたことは独裁であり、その罪のために極東軍事裁判で、東条英機はA級戦犯として絞首刑の判決を言い渡されたという流れで、多くの日本人は理解しています。
靖国神社A級戦犯合祀問題
また昭和天皇の靖国神社御親拝が昭和50年を最後に以後途絶えているのは、A級戦犯の靖国神社への合祀が理由で、「富田メモ」なる資料から昭和天皇がその合祀に不快感を表しておられたとされています。
このことも、東条英機に戦争責任があると確定的に日本国民に印象付けました。
スケープゴート
戦後、東條英機の息女は小学生の頃に、学級担任の教師から「父親が泥棒より悪い人間の子供の先生にはならない」と言われ、教室にも入れない時期があったといいます。できることなら私はその教師に問うてみたいことがあります。「あなたは戦時中、戦争反対を表明していましたか?」と。
確かにあの戦争は日本を破滅一歩手前まで追いやり、日本人に類のない辛酸を嘗めさせました。
そしてその責任は当然、国家の指導層が負うべきなのは間違いありません。
大東亜戦争が侵略戦争か否かや極東軍事裁判の正当性に関する議論には肯否があるものの、東条英機が国家指導者としての戦争責任を免れるものではないと私は考えます。しかしそれだけで全て解決となるのでしょうか。
それは東条英機をスケープゴートにすることで、もっと根本的で重要な責任問題をウヤムヤにしてしまいます。
国民の支持
真珠湾攻撃成功や南方戦線の快進撃のニュースをほとんどの日本国民は大歓迎しました。
戦争に少しでも否定的な人を国賊非国民と糾弾したのも一般国民です。
軍部の行き過ぎを許した素地に、国民全体のこのような世論があるのは紛れもない事実です。
それを忘れて東条英機を極悪人と決めつけるだけで事足れりとすることは、真の戦争責任をウヤムヤにしてしまいます。
戦争というと国やその指導者の責任論は百出しますが、国民自身の責任についての論議がほとんどないことの方が、私には気になるところです。
戦後、昭和天皇が戦争に対する反省に拘っておられたと伝わっています。
そしてこの反省とは、漏れ伝わる天皇陛下のお言葉を考えると、天皇陛下自身から国民を含めて全ての日本人が、軍の独走を止められなかったことに対するものであったと読み解くことができるのです。
歴史大好きじいさんです。
スケープゴートが歴史の重要な真実を見えなくします。
この記事を書いた人
歴史の見えない部分に、真実が隠れています。
見えない真実を知る事で、その事実の真の凄さが理解できます
日本にとっての終戦記念日とは? そして、これからの日本の在り方は?
終戦記念日は、日本にとって非常に重要な日です。この日は、第二次世界大戦の終結を記念し、戦争の悲劇を反省し、平和への願いを込めています。
日本は過去の過ちから学び、戦争を二度と繰り返さないようにするために、終戦記念日を大切にしています。
終戦記念日の意義は、日本の在り方にも深く関わっています。戦後の日本は、平和主義を掲げ、国際社会との協力を重視してきました。
日本は、戦争の犠牲を忘れず、他国との対話や協力を通じて平和を築くことを目指しています。
しかし、近年では、国際情勢の変化や安全保障の課題が増えてきています。このような中で、日本の在り方について新たな議論が行われています。一部では、憲法改正や自衛隊の役割強化など、より積極的な安全保障政策を求める声もあります。
一方で、日本の平和主義を守りながら、国際社会との協力を深めることが重要だとする意見もあります。
日本は、経済大国としての役割も果たしており、国際社会での貢献も求められています。
終戦記念日は、このような議論を通じて、日本の在り方を見つめ直す機会となっています。
結論として、終戦記念日は、日本が過去の過ちから学び、平和を築くための重要な日です。
日本は、戦争を二度と繰り返さないことを誓い、国際社会との協力を通じて平和を守り続けるべきです。終戦記念日を通じて、これからの日本の在り方を真摯に考えることが求められています。
最後まで、お読み下さり、ありがとうございました。よかったらスキ、フォローよろしくお願いします😉
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