徒然なるままに
20240306
なんだか、過去の夢ばかり見ている.
過去に出会った人や、過去の友人や、昔からの友人、そして、過去の家族
なぜかはすぐにわかっていて
それは、私が、今、前に進んでいないから
前に進んでないから、毎日、何もしてないから、現在には何も起こらなくて、現在に何もしてなければ、未来もなくて、それじゃ、過去しかなくて、過去の夢ばかりを見るのは、必然で
何やってんだろうなー
何かしなきゃなー
って毎日思って
働いてなくても、どうでもよくて、
無職に、罪悪感なんてなかったはずなのに、
無職から時間が開けば開くほど、
仕事を再開するのが大変だとわかってからは、
仕事をしなきゃと焦燥感に駆られている
だからと言って、何かをしているわけではない
本当に毎日ダラダラ過ごしている
このままじゃいけないなという気持ちに苛まれながら
積極的に生きたいわけじゃなくて、
だからといって、
積極的に死にたいわけでもなくて
消極的に生きているって感じなのか
「孤立は緩やかな殺人だ」と言った人がいた
私は、社会から孤立している
働いていないという状態は、無職とは、
社会からの孤立である
仕事とは、
金を稼ぐためのものでもあり、
社会との絆でもあるということだろう
社会とつながって、働いて金を稼ぎ、
金を使うことで、社会とまた、つながっていく
金を得て、金を使うことで、社会と結びついていく
なぜ、人は、働くのか
それは、金を稼ぐことが目的ではなく、
働くという行為を通して、社会とつながることで、その成果として、社会とつながるための道具を得る、それが金だ
金持ちっていうのは、社会と強烈につながっていて、ある意味で、社会を ( 経済的に ) 動かす力があることの証左であるから、人々から尊敬の念を得る
金とは、生きるための道具だと思っていたけど、
金とは、社会との絆だった
金持ちが、何かをするのは、
死ぬまで何もしなくてもいいほどの金持ちも働くのは、
社会とのつながりが欲しいから
孤立は緩やかな殺人だから、
社会から孤立してしまうと死んでしまうから
これまで、無職でも、平気だったのは、
一緒に住んでいる人がいたり、
結婚している人がいたからで、
それは、社会から孤立していなかったからで
無職でも、平気じゃないのは、
社会から、孤立しているからなのか
無職が続くと、
社会復帰が難しくなるからに他ならない
と考えてはいるのだが
その時々の自分の状態で、世界は違って見える
孤立と孤独って何が違うんだろう
私の解釈では、
孤立は、社会から、人間社会から、距離がある状態のことで
孤独は、孤立していることを、寂しいとか、悲しいという感情で、覆っていることだ
だから、私の中では、孤独死ではなく、孤立死が、正しい表現である
私は、孤立しているけれど、孤独ではない
それは、社会性の欠如である
人は、社会から孤立すると、不安になるが、
私の不安は、無職からの社会復帰が、再度金を稼ぐことが、心配なだけである
私は、死ぬまで働かなくてもいい金を持っていたら、旅に出るだろう、日本の住居を引き払って、世界を旅するだろう
そんな金を持っていないから、燻っている
金を稼がなきゃいけないから、不安なのだ
私たちの国には、生活保護という制度があるから、金がなくても生きてはいけることを、私たちは、知ってる
だけど、私たちの大半は働く
それは、生活保護だと豊かには暮らせないからだ
豊かに暮らすために、働いているのだ
ただ、生きればいいというのではない
私の友人に生活保護を受けようとしたが、他人との共同生活に嫌気がさして1日で脱走した人がいる、それが生活保護のすべてではないとしても、やはり、生活保護は、豊かな暮らしとは言えないだろう
私は、特に欲しいものもない
ただ、美味しい料理は、食べたい
高い料理でなくていいから
好きなときに好きな料理を食べたい
回らない寿司じゃなくていいから、
回る寿司を値段を気にせず食べたい
ロースカツ定食か上ロースカツ定食かで悩んだら上ロースカツ定食を選びたい
回転寿しやトンカツを好きなときに食べて、
たまに、焼肉に行ければいい
それが、私にとっての豊かな暮らしである
現状でも、豊かな暮らしはできる
ただ、死ぬまで豊かな暮らしはできない
そして、私にとっての贅沢な暮らしである「一生旅に出ること」には、全然、届かない
だから、金を稼がなきゃいけないんだけど、
現状の生活に不便がなくて、
豊かな暮らし、余生のような、穏やかに過ごす暮らしができている
明治・大正時代であれば、平均寿命は、約44歳だから、私は、寿命の年齢であるから、余生でもよく
ただ現代は、人生100年時代だから、無駄に長生きだから、働き続けなければならず、資本主義の中でもがき続けるしかなく
私は、養育はできていないが子どもはいるし、世界一周という夢も叶えたし、余生でもよく
ただ、海外に、旅に出たいとか、住みたいとかは、世界一周の+αに過ぎず、余生のような
余生、
余った人生、
余った人生か
今日、私が死んだとして、
もう一度新しい人生を歩むとしたら、
どんな人生にするか
くらいの感じで、生きてみようか
余生は、新しい人生としての出発点
私は、本当は、何をしたいのか
金じゃなくて、本当に、何がしたいのか
徒然なるままに、筆を走らせて
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あなたの琴線に触れる文字を綴りたい。