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【さくら】河津桜を広めたのは地域ブランディングではなく、親切心だった?

私のアパートの庭先にある
河津桜がひとつ、ふたつと、
花びらが開きだしました。

まだまだ冬ですが、
植物たちの体内では、
しっかり春に向けて
支度されているですねえ。

私は東京の郊外に住んでます。
それでも、河津桜。
伊豆の先端の河津。
大家さんがそこから桜の株を
もらってきたんでしょうね。

そういえば、この辺には
まだまだ、河津桜がいっぱい。

いや、実家の和歌山にも
河津桜はありました。

2月半ばには八分咲きになる、
嬉しい春告げの木。

原木は1955年に発見され、
それ以後、河津の地域で、
この桜は広まり、やがて
二本全国に広まりました。

それにしても、
河津の人は
なんと大らかなんでしょう。

早咲きの桜として
人の心を打つこの河津桜を
全国の人に
譲り分けたんですから。

今なら、
地域活性化のためとか、
地域ブランディングのため、
ここは大事にとっておいて、
全国に株を譲るようなことは
しなかったでしょう。

実際、全国に譲った人は
後で、町の人から
お叱りを受けたらしい。
大事にしていたら、
いい観光名勝になっただろうに、と。
と、こんな話をしてくれたのは、
私が10年以上前に河津で
乗ったタクシーの運転手さん。

でも、不思議なのは、その後です。

全国の人は、自分の家の河津桜が
咲くのを見ては、次第にだんだん
本場の河津桜が見たくなるんです。
伊豆の先にある河津に足を運んで
本場の桜を見たくなっていくんです。

河津川を中心に、
その左右を走る沿道が
桜でびっしりおおわれ、
それはそれは圧巻です。

そうして、気づけば
100万人の人が押し寄せる
大観光地になりました。
(疫病前ですが、、、、)

最初からケチって、
桜の株も譲らずにいたら、
こうなっていたでしょうか?

ブランディングよりも、
柔らかな親切心が、
実は勝因だったのかな。

ちなみに、
今年は河津桜まつり、
開催されるみたいですが、
ちょっと県を跨ぐのは
気持ち的に行きづらいですね。

でも、誰にも晴れ姿を見られない
河津桜なんて、余りにいじらしい。
涙。

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