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【推薦図書】顔に深いアザや傷をもつ人の痛みは救えない?

50年前、母は、大型トラックに跳ねられ、
4ヶ月以上意識不明だったらしい。 
私は4歳だった。

医師も当初は匙を投げ、
もう毎晩が危篤状態で、
身内は毎日集まっては、
しくしくと嘆くその脇を、
私は鈍感にも、みんなが妙に
私に親切なのが嬉しくて、
病室やベッドの周りを、
走り回っていたそうです。
今と馬鹿さは変わらないらしい(笑)。

母は意識が戻ってからも、
トラックで50メートル飛ばされ、
強打した後遺症が酷くて、
今も苦しんでいる。

打撲は全身に及びますが、
中でも母を追い詰めたのは、
顔にできた何十針もの
ブラックジャックのような縫い傷です。
もともとは明るい性格だった母は
めったに人前に出なくなった。

父も私も、
「そんなの気にしないでいいよ」と
精神論的に慰めるばかり。

女性が顔に深い傷をもつ苦しみが
父も私も実は理解できてなかった
のかもしれない。

これで、もしも母に娘がいたら?
整形手術で傷跡を消す事を
勧める人がいたら、
母はきっと手術をしたでしょうね。

今なら、皮膚の整形手術が
技術が高度になったし、
金額も現実的になったけど、
50年前の当時は、
一般的ではなかった。

いや、それにしても、
その後、顔に長い縫い跡が
どれだけ母を苦しめるのか、
父や私は想像できてなかったのが
母には申し訳ない。

傷を気にしない母になってくれと
理想論をかざし、願った愚かさ。
どうかしていました。

当時、母が町のスーパーに行くと、
知らないおばさんが寄って来て、
「あんた、その顔の傷、どうしたん?
大丈夫か?」とズケズケと言ってきた。
そんな地域と時代だったんです。

母はある時、私を連れて、
近くにあった山に登ったという。
私は記憶にないのですが。

私は山の頂上の広場ではしゃいで
走り回ってたらしい。

それから、疲れて母の隣に座り、
母の手をぎゅっと握った(らしい)。

母はその時の私の手の温度?からか、
自殺を思いとどまったそう。
山に登ったのは飛び降りるつもり…
だったらしいのです。
母の感情を読めなかった私の、
無類の鈍感さが時には
功を奏してきたのですね。
最近、こんな話をしてくれた。

先日、島本理生が書いた
『よだかの片想い』という、
顔に大きなアザがある若い女性が
恋に苦しむ物語を読んで、
数ページで胸がいっぱいになった。
茫然自失。まだ途中から読めてない。

顔にアザや傷があったり、
変形してる人たちはこんなにも
毎日毎日苦しんでいるのですね? 
辛すぎる、悲し過ぎる、痛すぎる。

私は『よだかの片想い』という
小説の読書によってはじめて、
母の辛い苦悩を54歳で初めて
汲みとる事ができました。

顔に縫い跡がある苦しみは、
家族でも想像がつかないでいました。

今は母もやっとコンプレックスを
克服し、スーパーにも買い物にも
明るい気持ちで行っている。
50年以上かけて、やっと。
よだかは、やっと昼間でも
出かけられるようになったんです。
家族の辛さにこんなにも
無力なことがあることを痛感しました。

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