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【創作】文豪だって書けない日がやってくる??鴎外、芥川、太宰、カポーティ…

書けなくなる時はいつか来る?

森鴎外は、
フィクションとしては、
安楽死をテーマにした
『高瀬舟』を書いて、
その後、フィクション作品は
書けなくなった、、、らしい。
それから後は、
史実評伝の世界に専念した、
というか、いわば逃げたような…。
もう生身の人間の苦悩は
鴎外は書かなくなった、
というのが定説みたいで、
晩年は、
実在した江戸の偉人たちを
彫刻でも掘り上げるように
ミノを打ち続けるように、
地味な史実評伝に取り組んだという。
『渋江抽斎』『大塩平八郎』 
『伊沢蘭軒』などなど。

ですが、私はこんな、
一見、竹を割ったような明快な
方程式のような仮説に
出くわすと疑いたくなります。

生身の人間をフィクションで
創作するのが嫌に?怖く?なった文豪が
江戸の世の中に反旗を翻し
人間の平等を訴えた
大塩平八郎のような人物を
再現しようとするでしょうか?と。

続いて、かの芥川龍之介は本当に、
今まで言われてきた理由で
自殺したでしょうか?
次第に足音が激しくなる
プロレタリア文学の到来や、
芥川が信奉する芸術主義への不安、
また、それらとは違う
個人的なメンタル上の不調が
あったかもしれない。
最近はぼんやりしている、
という意味深な言葉を残し、
それが自殺のきっかけとして
安易に解釈されてきましたが、
果たしてそれで、
書けなくなったのでしょうか。
『河童』や『歯車』、
『大導寺信輔の半生』など、
若過ぎる晩年にも傑作は多い。
なぜ死んだかは、
いまだに曖昧ではないでしょうか。

あ、7月24日は芥川龍之介の
命日「河童忌」ですね。合掌。

また、外国文学に目を向けても、
あるきっかけから 
まっとうな創作ができなくなる、
とされている?作家はまだまだいる。

トルーマン・カポーティは
『ティファニーで朝食を』の
成功に甘んじまいとして、
画期的なノンフィクションノベルを
作り出そうと『冷血』を書きました。
そこまでは良かったんだけど、
死刑囚と関わり過ぎたのか、
『冷血』以後は、
色々と書いてはみたものの、
完成に至った作品は無かった。
…というのが、これまでの
カポーティの晩年不作論ですが、
それが必ずしも正しいのか?
疑いたくもある。

カポーティは『冷血』後に
何か別の理由や
メンタルの不調なども重なり、
薬やアルコール依存症だという
話も有名ですが、
つまり、いくつもの原因が重なり、
うまく書けなくなったのではないか?
『冷血』だけのせいではないような。

『冷血』での何かが、確かに
晩年のスランプの一つであったにせよ、
当たり前ですが、
人生には、面倒くさい雑事が
そりゃあ毎日いっぱいある
じゃないですか(汗)。

だから、私は安易な説明で、
明治の文豪や、
アメリカの天才が
ある作品を書いたせいで、
次に書けなくなったというのは、
信じたくはないんです。

というか、
森鴎外も、芥川龍之介も、
カポーティも、
それ以前に、人並外れた作品を
何作も書いているじゃないですか?
それでもう十分なくらい
名作を書いてきたじゃないですか。

作家とはいえ、たいていは、
一生に1〜2作品、良い作品が書けたら
もう十分ではないでしょう?

太宰治みたいに、
『斜陽』『人間失格』で
急に大成功を手にしたばかりに
それらを超える自信がなくなり、
むしろ不安しかなく
自殺をしたかもしれない作家も
いますよね。

創作活動をするというのは、 
命をかけて行われているんだなあ。
そんな当たり前をつくづく
痛感してしまいました。
創作には危ない要素があることを
忘れてはいけないですね。


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