見出し画像

【鴎外没後100年】どうしたら鴎外をもっと好きになれるだろう?

森鴎外の没後100年らしい、
今年は。

そんな鴎外の記事が
新聞やネットで出回るし、
書店にいけば
古い文庫にも、
没後100年を謳うオビが 
巻かれている。

人はそういうのに、弱い。
特に鴎外くらい
難解なイメージがあると、
そっかあ、よーし、
これを機会にまた読み返すか、
となるんですよね?

読み返したくなるかどうか?
今年は川端康成が他界して
50年だったり、
数年前は、三島由紀夫が
自決して50年だったり、
そのたびに、
あ、そうなんだあ?と
新装版を買い揃えたり。

まあ、没後一年、
没後10年、没後50年、
生誕100年、
作品誕生50年、、、
もうアニバーサリーは
切りがないですね。

そのたびに、
本好きは財布のヒモを緩める。

まあ、森鴎外に関しては、
没後100年といわれなければ
買い替えたりしなかったかな。

鴎外はツカミどころが
ないんですよね。

青春小説を書いた『青年』
性について掘り下げた
『ウィタ・セクスアリス』、
かと思うと、
人生の業を問う時代小説 
『高瀬舟』を書き、
最後には、歴史をありのまま
書き写すこと、つまり
作者の勝手な付け足しを
しない歴史主義小説
『渋江抽斎』などを書いた。

毎回、その時その時の
使命感や問題意識から
書いていた鴎外。
思いの外、ユニークな人
だったかもしれない。

もしも鴎外が戦後に
生きていたら、
作者の推測や希望や会話を
まるで見てきたかのように書いた
司馬遼太郎の時代小説は
鴎外がコテンパンに
非難したでしょうね(笑)。

あ、また話が逸れました。

鴎外の好敵手、夏目漱石は
『三四郎』から『こころ』まで
前期3部作、後期3部作、
それから遺作『明暗』まで
各作品は巨大な山の峰々に思えます。
共通したテーマや関心がずっと
一貫しているというか。

だから、漱石は
イッキ読みしやすいのかな。

ところが、鴎外は
毎回、テーマや関心が
違ってみえるから、
作品ごとに、
これは何のために、
何をめざして書いたんだろうか、
そうした疑問を毎回
読み解きながら
相手にしなくてはならない。

これを面倒に感じるか、
読書の楽しみに感じるか、
私たち読者の気持ち次第ですね。

ひとつだけ言えるとしたら、
森鴎外は、文学的な弟子を
あまりもたなかったゆえ、
亡くなってからは、だんだん
大衆のあいだで人気はすぼんでいく。
一方、漱石は文学的な弟子が
たくさんいたから、
弟子が常々、漱石先生を
褒めそやかしたり、
全集を出すよう奔放したり。
そのため、人気は風化しなかった。
鴎外には不利だったかな。

それにしても、
永井荷風、太宰治、石川淳、
三島由紀夫らはみな、
ゴリゴリの鴎外派でした。

彼らの、鴎外を敬し、
漱石をさげすむ文章には
未だに私は共感ができません。
私の、作家を見る目は
まだまだということか…(笑)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?