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【町田康】種田山頭火は、パンクロック詩人だった!?

種田山頭火。
「分け入っても分け入っても青い山」
「どうしようもない私が歩いてゐる」
「うしろ姿のしぐれてゆくか」

あの、こってりラーメン屋さん?
ではなくて(汗)、
放浪俳人で知られる種田山頭火さん。

山頭火の句集や
彼のことを書いた伝記を見ると、
なぜか懐かしさが胸に広がる。
それはノスタルジーみたいな感覚。 
人間だれしもに通じる
不思議な郷愁なのでしょうか。

私もいつかは
あんな生き方になってしまうかも
しれないという不安?可能性?が
常々、心の奥底にあります。
普段はしまっているのですが、
書店で山頭火の本を見ると、
奥底から湧き上がってくるんです。
人生をだめにすることを
敢えてやってしまう衝動がある、
そんな共通点があるようで…。

さて、前置きが長くなりました。
今日、新宿の紀伊國屋書店に
行った時のことです。

新刊コーナーで、
町田康『入門 山頭火』という
本が平積みされていました。

小説やエッセイでもなく、
入門書らしいところが、
ちょっと気になったのです。

種田山頭火にまつわる本って
著者はたいてい、
「私は山頭火について
たいへん造詣が深い者でして」
というテイで語ろうとしがちだ。
誰よりも私が山頭火を理解してます
というふうな顔をして…。

それに反して、
町田康は、あえて「入門」と
いう文字をつけたんです。

山頭火のマニアではありませんよ、
まだまだ新米ですよ!と
タイトルで言っている。
それは、私みたいな、
山頭火と聞いたら、 
つい知ったかぶりに語りそうな
人間には、虚を衝かれたようで、
ふと黙りこんでしまいました。

町田康は、若い頃は
パンクロックの歌を唄い、
人気をかっさらいました。
後に、パンク?というか、
シュールな作品を次々と書き、
最近では『古事記』や『義経記』を
カオスなテイストで
現代語に翻訳している小説家。

大の猫好きで、猫エッセイもまた
大変面白いんですけどね(笑)。

そんな町田康が
今度は、自由律俳句の
放浪俳人、種田山頭火に
手を出したって…???
なぜ?また?

というような感想が、
紀伊國屋の平積みの本を見て、
一瞬、頭をよぎりました。

パンク→シュール→カオス→放浪俳句?

なぜだろう、最初は
町田康が種田山頭火に関心を
寄せたのには、
違和感がありましたが、
改めて、こう文字にしたら、
種田山頭火の生き方は、
パンクロッカーに通じる所がある
ように見えてきました。

むしろ、パンクでカオスな町田康が
山頭火にたどり着くのは
ごく当たり前にすら思えてきます。

町田康は、いつも
書くべき題材に恵まれてきた
作家なのかもしれませんね。
 
こうした運に恵まれる
作家はなかなか稀ですからね。
それもまた大いなる才能の一つか。

それから、山頭火の生き方は
パンクロックだったという発見。 
こっちの方が大きな収穫でした。

 

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