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【推薦図書】鷺沢萠と柳美里は私の青春でした

昨日、よく立ち寄る本屋の
「啓文堂」で嬉しい出会いが
ありました。

鷺沢萠『さいはての二人』
角川文庫。

「この本は今、絶版ですが、
啓文堂は敬意を表して、
特別に復活させました」という
POPがついていた。

ちょっと驚きました。
大手の本屋さん、
たとえば三省堂とか
紀伊國屋書店では、
時々、こうした
書店限定復刻をやりますが、
啓文堂もそんなことを
始めてくれたのか?と
嬉しかった。

鷺沢萠といえば、
80年代90年代に
人気だった作家だ。
そうして鷺沢萠は
在日韓国人だった。
生きづらい人が
生きる根拠を掴む、
というテーマが一貫していたように
感じていました。
『葉桜の日々』の鮮烈な美しさは
今も印象に残ってます。

同じ時期に人気だった
柳美里も在日韓国人で
彼女が描いた本も好きでした。

それから、
これはわたくしごとだけど、
20代前半に付き合っていた恋人も
在日韓国人でした。

そんなこんなで、
私は自然と韓国語を
習うことにしたし、
韓国料理もよく食べにいった。

鷺沢萠はご本人からは
話は聞かなかったけれど、
柳美里や
私の恋人からは、
子供時代からどれくらい
在日韓国人という理由だけで
日本で差別を受けながら
生きてきたのか、
よく話を聞いてきました。

恋人は子供時代から、
こんなにイジメを受けるなら、
韓国人の血を全部抜いて、
日本人の血を輸血したいと
何度も思ったと言っていました。

そういえば、アメリカの
黒人作家トニー・モリスンは
『青い眼がほしい』という
作品を書いてましたね。
白人みたいな青い眼がほしい。
それが黒人の少女の夢だなんて、、、
あまりに悲しいタイトルであり、
作品です。

アメリカで
黒人が差別を受けるように
日本でも、
在日韓国朝鮮人は
差別を受けてきました。

今の、Kポップアイドルや
ネットフリックスの韓国ドラマの
日本での大人気ぶりには、
きっと驚いているに違いない。
それから喜んでるに違いない。

それから。
きっと、こうも思っているでしょう。
もっと早くに、
たとえば30年、40年前に
Kポップアイドルや
韓国ドラマが流行る文化が
日本に根付いていたなら、
差別を受けず、むしろ
色々な面で、誇りを持てたに
違いない、と。

とはいえ、今もまだ、
芸能人の誰誰は在日だといった
差別をする向きは消えてはいない。

人間というのは差別する動物なのか。
涙。

鷺沢萠は、
きっと生きづらい思春期、青春期を
過ごしたに違いないのに、
作品は儚げな希望が爽やかな、
絶妙なテイストがありました。

ウィキペディアで
鷺沢萠と柳美里を調べると
ある悲しみに包まれてしまった。
生年はどちらも
1968年生まれでしたが、
柳美里は今も福島で
個人の本屋を営みながら
定期的に作品を書いているけれど、
鷺沢萠は、35歳死去と書いてある。

そうだ、
鷺沢萠は悲しいですが、
いよいよこれからという
35歳で自ら命をたったのでした。

当時は、あんなに
生きようともがくマイノリティを
書いてきた鷺沢萠が
自ら命をたつなんて、
書いてきた小説たちを
台無しにしているじゃないか、
そう感じて、当時は鷺沢さんに
絶望を感じ、
怒りすら感じたのを覚えています。

その時は、
人には死ぬ権利もあるんだぞ、
生きている人間が
いつでも正しいなんて、
生者のおごりだぞ、
と言われて先輩と
ケンカになったことを
よく覚えています。

この歳になると
そういったことが
なんとはなしに、
許せるようにはなりました。

本当は鷺沢萠さんには
まだまだ生きていって欲しかった。
でも、生者のおごりを
押し付けても始まらない、
そう思うようにもなりました。

生きようともがく人物たちを
書いてきたのは、
鷺沢さんが自殺願望をなんとか
耐えしのごうと格闘していた
その結晶だったのかもしれない。

人間はいつ、何が起きるか
わからない暗闇を生きているんだ、
生者よ、うぬぼれるなよ!

鷺沢萠の本を手にする度に、
作品に感動するたびに、
私はちょっとだけ
彼女の自殺を許さなくては?!
と思いながら、本を閉じる。

朝からなんとも
やるせない話を書いてしまった。
でも、啓文堂という書店が
書店限定復刻をしてくれたから。
それも、特別な思いがある作品を
復刻してくれたから。

本はただ読むだけではない、
人生の特別な時期を
思い起こさせてくれる
儚き生き物でもあるようです。

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