自信がなかった子どものころ
実家から、子どものころに描いた【噴水】の絵が出てきた。
弱視児(視力0.01)の私が描いた噴水。
う~ん 噴水に見えるのか?!
どうなのか?!!
私は絵心がなく、絵を描くのは苦手だ、とずっと思い続けてきたから、この絵も「うーん、どうなのかなぁ」とじーっと見て考えこんだ。
座りながら描いたと思うから、下から見上げて噴水を見ていたのだろうか?
木が下から見上げて描いたように見える。
噴水は、溢れているように見えたのかな。なんだか水が溢れ出しているようだ。
空は晴れていたのだろうけど、すこーし暗く見える。これはその日の私の見え方なのかな?全体的にちょっとぼんやりとしていて、神秘的な世界。そうか、これが私の見えている世界?う~んでもちょっと暗め、
この絵を描いていた日のこと、全然覚えてなくって。
小学生の私は、どんな気持ちでこの噴水を描いたのだろうか?
私は写生が好きではなかったはずだ。
写生の授業のときの、「やだなー」という感情をハッキリ覚えているから。
絵は苦手。
よく見えないから、細かい所が上手く描けないし、写生はぼんやりしか見えないから大まかにしか描けない。
それがコンプレックスだった。
友達は上手だなぁ と羨ましく友達の絵を覗き込んで。
あんなに細かい所まで私には見えないから、こんなんでいいのかな~
どこか自信なさげに描いていた。
この絵を描きあげたときの私も、自信なさげな顔をして、先生に提出したのだと思う。
あれから随分と大人になって、この絵を見たら、
「なーんだ、上手ではないけど…それなりに噴水らしきもの描けてるね!ちゃんと木も木ってわかる、視力がないなりに、小学生の私、精一杯頑張ったじゃん!」
と。大人目線から見て、子どもの私に頑張ったねって褒めてあげたくなった。
上手下手ではなくて、自分なりの精一杯で私は描いていた。
見えないなりに、見える子たちの間で悩みながら、私なりの絵を描いていた。
一生懸命描いたことがわかる絵を描いてた。
きっと、あの頃、親は褒めてくれていたと思う。がんばったね、上手に描けたねって。だから、今まで大事にとっておいてくれたのだ。
だけど、私は自己肯定感が高くない子どもだったから、どこまでも自分の描いた絵、創り出すモノに自信がなくて、図工や美術は好きではなかった。
心のどこかで、「私はあんまり見えないから上手にできるはずがない」という気持ちがあったのだと思う。
おとなしさを表に出しつつ、実はお転婆さを隠し味に持っていて、それらをミックスさせたような性格だったから、元気一杯に遊んだり身体を動かしたりするけど、運動はとっても苦手で恥ずかしがり屋で。
何をやっても上手にはできない自分、みんなと同じようにやろうとしても、運動も図工も上中下の下かなぁって思ってた。
そんな風に自分をどこかできない子として思ってたけど、その頃の絵を見ていたら、大人になった私は、小さかった私が私なりに頑張っていたことを感じて嬉しくなったのだ。思っていたよりできない子じゃなかったかもって。思えたのだ。
かつての私のように、自信がない子どもたちへ。とくに障害があって、まわりと自分を比べることの多い子へ。
障害があると、どうしても自分は他の子よりうまくできないって思うことが多いと思う。
でも、昔障害のある子どもだった私は思う。
その時の、自分なりの精一杯を出していればまちがいないよって。
「よくできたね」「じょうずだね」
って褒められても、自信がわかないかもしれない。かつての私のように。
でも、「よくできたね」って言ってくれる言葉には、嘘はないと思う。
だって、親は自信がなかった私の絵をとっておいてくれたもん。何十年も。
それに、大人になった私が、小さいときの私に「よくできたね」って声をかけたくなるのだから、あの時そう言ってくれた大人の言葉も本音だったはず。
だから、たとえ自信がわかなくても、その時その時の心に負担にならない程度の全力で頑張っていればいい。
その時その時のゆったりとした全力は、未来に繋がって、未来の自分は少しだけ自信をもてる人になれているよ。
*たいして上手くない子どものころの絵をお披露目して、お恥かしいなと思いつつの、今日思ったことをエッセイにしました😀(←やっぱり自信ない人💦)
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