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好きになった人を振り向かせるための努力は楽しい


この著者の『バター』という小説を前に読んだことがあるのだけど、その小説と同じく、この小説も喉を唸らせるような、唾液が口いっぱいに広がるようような、ご飯を美味しそうに頬張りながら食していく情景が何度も繰り返されるので、ご飯欲が刺激されて良い意味で悪い小説だ。
『バター』のときは文字通りバターをこれでもかとふんだんに使った濃厚でコクの深い味わいの料理を表現し、今回の小説では「高級鮨」のとろけるようなネタが描写され、手に届かないような存在だからこそ、生きているうちに一度は「本物」の食品を味わってみたいという気持ちにさせられる。

お高い店にはそうそう通えないように、贅沢な料理は毎回食べられないように、憧れの人も遠い存在のように感じてなかなか近づくことができない。
自分はバッチリ意識していて、何なら見かけたときとか通り過ぎたときにはアイコンタクトを投げかけたりして、なんとか自分に意識を向けさせようと必死になったりする。
そういえば、前の職場で別の部署にいるすごく気になる方がいたので、なんとかお近づきになりたいと思って、何か会話できるきっかけがないだろうかと必死に探していた。
挨拶する程度でも、「あの人と言葉をかわすことができた!」だけで嬉しくなったりする。
だけどもちろんそれだけじゃつまらないし、それだけの関係で終わりたくない。
だからといっていきなり話しかけるのは気が引けるし、なにか会話のネタがなければ相手を引き止めることすらできない。
姿を見るだけで心がときめく新鮮で健全な関係もいいけれど、どうせなら仲の良い友達関係になりたいではないか!
人間は、単純接触効果といって、接触回数が多くなればなるほど対象に親近感が湧くらしいので、とりあえず僕はその人と接触する回数を稼ぎ、ちょっとしたやり取りができるタイミングがあれば満面の笑みで優しく対応し、「この人には気軽に話しかけられる!」という印象を刷り込んでいった。
そんな涙ぐましい努力の甲斐あって、僕はその方と話ができるようになり、食事にも誘うことができたのだ。
その方とは何度かお食事を共にすることができたけれど、転勤で地元に帰ってしまわれたので、残念ながら短い期間の友人同士で終わってしまったが、当時の僕はそれもう一生懸命に頑張っていたと思う。

話のきっかけを作るのはなかなか難しい。
学生の頃には、同じクラスメイトだからという理由で気軽に声をかけられる人種もいたけれど、自分は簡単に話しかけられるほどポテンシャルも高くなく、そもそも人見知りなので様子をうかがうことしかできない。
気になった相手を振り向かせるためにとか、仲良くなるためにとか、気を許してもらうためとか、友達のヒエラルキーの中で上位に入れるようにとか、そういう黒い下心で相手に取り入るために差し入れを上げたり、その人と一緒にいる時間を作りたいために自分の時間を割いたりなど、お金と時間を相手のために貢ぐ心理はよくわかる。
小説の中では、主人公の女性は高級鮨店の若い板前の人に自分を意識させるために、仕事を頑張って稼いで足繁く店に通って名前と顔を覚えてもらい、あわよくば一線を越えようという下心を持っているのだけど、好きな人とか気になる人にはぞれだけ自分を捧げたいという気持ちがあるからこその行為だと思うのだ。

自分はこれだけ差し出しているんだから応えてほしい。
健全ではないけれど、相手に振り向いてもらえるのならそれぐらい安いものだという精神。
貢ぐ好意の楽しさは、痛いほど良くわかる。

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