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vol.66 ツルゲーネフ「はつ恋」を読んで(神西清訳)

19世紀のロシア文学を読むと、日本の道徳に慣れ親しんでいる僕に、違う価値を教えてくれる。人生の教訓めいた文章が心地よかったりする。貴族に隷属された人々のことを考えたりする。「農奴の解放」とか「貴族の没落」というワードから、近代の歴史にも興味が出てくる。ウォッカを飲んで、サンクトペテルブルクの路地裏を瞑想しながらふらつく自分のコートのほころびを想像したりもする。

しかし、この1860年に発表された「はつ恋」は、なんとも俗っぽいお話だった。付箋の貼り付けや、メモ書きもほとんどしなかった。

文学から恋愛は切り離せない。しかし、ただ単に、苦悩するお坊ちゃんの恋物語じゃつまらない。半自伝的小説と解説にあるが、関心が湧かない。無理やり「父親への憧憬」や「恋愛の失敗学」や「大人への脱皮」では薄すぎる。青春時代の甘美な恋の追憶を語っているだけなのか。それとも僕には到底及ばない、人間の深い魂のようなものを描いているのか。読み手は勝手にいろんなことを想像する。

<概略>
16歳の貴族階級の少年ウラジミールが、隣に引っ越してきた美しい21歳の公爵令嬢ジナイーダに恋をする。このジナイーダ、周りに幾人もの男性をかしづかせ、女王さま気取りの鼻持ちならない女性。それでも「となりの坊ちゃん」ウラジミールは盲目的にジナイーダに恋をしてしまう。

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恋愛小説に馴染みのない僕には、「はつ恋」っていう淡いタイトルに疑いつつも、文豪ツルゲーネフの近代ロシア文学を楽しみたかった。

何かあるかもしれないと、もう一度朗読音声を聴きながら読み直した。

令嬢ジナイーダには品性も知性も全く感じない。主人公の少年ウラジミールには、歯がゆいくらいの幼さばかりが気になってしまう。ジナイーダに群がるのぼせ上がった男性たちは、くだらない時間を過ごして喜んでいる。父親は不倫を重ね、母親は世間体ばかりを気にする。

どうしようこの小説。

父親と不仲の志賀直哉は、ツルゲーネフを愛読していたらしい。この「はつ恋」をどう読んだのだろうか。

恋愛が人生の中心にあったロシア貴族社会に生まれ育った少年ウラジミールは、ツルゲーネフ自身だ。この美男子のツルゲーネフはおそらく、くだらない時間を過ごす公爵令嬢や、取り巻く滑稽な男たちに触れて、ロシア帝国の行く末に危うさを感じたに違いない。実際に、もう一人のウラジミール・プーチンの記事によると、彼の「飲んだくれのらんちき騒ぎやだらしなさへの嫌悪」はロシア人を苛立たせていると指摘している。

それにしても、40がらみの、黒髪に白を交えた男が、夜中に、友人たちと「はつ恋」を語り合うって、さすがだ。そこがロシア文化なのかもしれない。すっかり恋愛から遠ざかり、異性に対してひねくれた感情しか抱かなくなった僕には、初恋の思い出は、せいぜい「カルピスは初恋の味」と、そう茶化しておわりだ。

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おわり


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