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世界史の遺言


マラトンの戦い

前546年~前448年にかけてギリシア諸氏都市とアケメネス朝ペルシアとの間でペルシア戦争が起きる。

そんなペルシア戦争中の前490年、アッティカ東海部のマラトンでミルティアデスの率いるアテナイ軍がペルシア軍を撃破した戦い、それがマラトンの戦いである。
このときの伝令がアテナイまで走り続け戦勝を伝えて絶命したという伝承に基づいてマラソン競技が生まれた。

マラトンの戦い

ペルシア軍は、
・スパルタの援軍がすぐには来ないこと、

・アテナイ軍は一万の兵でペルシア軍二万五千に対応しなくてはいけないこと、

・アテナイ軍内での「攻めるかスパルタの援軍が来るまで籠城するか」といつ作戦方針が割れていたこと、

そしてアテナイ軍はほぼすべてが歩兵なのに対しペルシア軍は歩兵に加え騎兵、弓兵などバリエーション豊富な戦法があるという問題を抱えていた。


そんな中、アテナイの将軍ミルティアデスはペルシア軍との開戦に踏み切る。
バリエーション豊富な戦法を持つペルシア軍にアテナイ軍が勝る唯一の強み「重装歩兵」で全軍をかためた。

重装歩兵は防御力が高く攻撃では強い圧力、衝撃力を発揮するのが特徴。



ただ、ペルシア軍に勝る唯一の強みといっても重装歩兵は移動に時間がかかるため弓で応戦されボコボコにされかねない。
そこでミルティアデスが考え実行したことは

ダッシュ

ペルシア軍が矢を放ったと同時にギリシア軍に向かってダッシュして意表を突き、攻撃する。

そんな奇策もあり、アテナイ軍はギリシア軍に勝利した。


マラトンの戦いの遺言

一つ究めたものをもっていれば、それを自由自在に操ることで不可能を可能にできる。


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