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短編小説「鬼ごっこ」


 陽の光と備え付けてある照明器具の調和まで美しいある豪邸の一室。初老の男性は、長テーブル前の椅子に座りながら呟いた。「仲の良い友達と全力で鬼ごっこをしたい。なんとかならんかな」これはもちろん独り言ではない。いま部屋の扉を開け、昼食後の紅茶を運んできた召使いに話したのである。



 「それではご主人様、目の前の広大な庭で週末にでも行いましょう。ご主人様のご友人達にはすぐに連絡をいたします」召使いは疑問や理由などの一切を主人に聞かず、主人が現段階で1番好きなアールグレイをテーブルに準備しながら答えた。その即座の対応力に召使いの技量を感じさせる。



 「いいや、それではダメだ。私や同世代の友人達が転んで怪我をしたらどうする?全力でやるんだぞ。さらに自分で言うのもなんだが、私は少しばかりふくよかだ。この体で転んだら大怪我する可能性だってある」男性は上着の上から右手で優しくお腹を撫でてみせた。その体型が〝ふくよか〟という枠に収まるのなら、昔、旅行で訪れた小さな島国で見た〝お相撲さん〟と呼ばれていた人達は〝痩せすぎ〟と称しなければいけないと召使いは思った。もちろん決して口にはしない。




 「承知いたしました。それでは室内にあるプールにて行うのはいかがでしょう?プールでの運動は浮力が働きますから、体への負担も軽減されます。それに陸上では味わえないゲーム性も体験できます」召使いはアールグレイをティーカップに乗せて手に持ち、主人に渡しながら答えた。




 「いいや、それではダメだ。言ってなかったが、私が鬼ごっこをしたいと言い出した理由はこれだ」そういうと主人はポケットから携帯を取り出し少し操作し、目当ての動画を召使いに見せた。動画は黒い服装の人間が、色とりどりの人間を追いかけている動画であった。




 「言葉はわからんが、逃げている時間によって賞金ももらえるらしい。こんなものをやってみたいんだ。なんかいい案を出してくれ」主人は携帯の画面を見入る召使いの横で、子供の様な笑顔を作りながら楽しそうに話た。



 
 主人の無理難題に召使いは少しばかり困惑の色を顔に浮かべたが、主人に気取られる前に払拭し、更なる提案をした。




 「では仕方ありません。少しばかりお金を使ってしまいますが、冥王星を貸し切って行いましょう。あそこなら我々月星人つきせいじんにとって重力が半分程度ですから、ご主人様の体の負担や、参加者の加齢を考慮しても十分全力で楽しめると思われます」




 主人は召使いの用意した地球産のアールグレイを一口飲み、「素晴らしい、そうしよう」と先程と同じように召使いに笑ってみせた。紫の肌にキラリと輝く白い牙がとても眩しい。召使いは主人のその様子に満足しながら、地球かぶれが加速している主人に対し、少しばかり呆れていた。




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