滝口悠生【半ドンでパン】

【たべるのがおそい】の西崎憲編纂のアンソロジー、【kaze no tanbun 特別ではない一日】所収。なぜ「風の短文」ではなくローマ字表記なのか? という疑問は残るが、執筆陣の豪華さというか私の琴線への触れ度合いが中々凄かったので購入。第一の目当てはやはり滝口悠生だが、やはり大層面白かった。

この店には、近年人気で専門店も増えつつあるいわゆるハード系のパンは多くなかったが、バゲットの横には、ずんぐりとした丸形で固い外皮を持つフランスの田舎パンもあった。こちらはその見かけもあってか、バゲットよりもいっそう泰然とし、焼きたての札があるにもかかわらず、もうずっと前からそこにいたみたいな落ち着きがあった。
滝口悠生【半ドンでパン】(柏書房)p167

滝口悠生の、時間の奥行きを想像させる文書がとても好きでございます。半ドンでパン、というタイトルも出色のリズム感。そして語り口にも地味に一捻りある新機軸というか、このアンソロジーが「小説でもエッセイでも詩でもない」概念であるらしい「短文」の名のもとに束ねられているということを利用した、すなわちここに書かれた内容がどの程度滝口氏本人の経験と重ね合わせてよいものか? と問わざるを得ないような仕上がりになっている。中学の社会科の先生を、仮名で指し示しながら「私と同級生だったひとがこれを読んだなら、きっとすぐにピンとくるだろう」という明らかに現実世界の読者を想定したような記述がある一方で、「他の誰とも暮らしていない」という、既婚者であるはずの滝口氏の近況と矛盾する情報もさりげなく開示されている。これをどう捉えればいいのか、という深追いはやめるドン。その曖昧さに身を委ねて、たゆたっていればいいのだドン。

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