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無機質な扉の向こうに

今日は通院日だった。

相変わらずの混みよう。まずは採血と採尿検査をすませる。採血の番がくるのに40分かかった。今日は針刺しに少し強い痛みがあった。最近多くなっている。血管も30年以上、採血、点滴を受けてきた。金属疲労をおこしているのだろう。ずっと右腕だったから、今度から左腕から頼んでみよう。絆創膏を押さえながら、そんなことを思う。

検査をすませると、外来一番奥にある泌尿器科の待合室に向かい診察を待つ。

自然と、視線がある扉に向く。

待合室すぐそばにある、金属の扉。

「~室」のようなプレートもなにもない。クリームの塗料で塗られた、無機質な扉だ。なんの部屋なのか、どこかへの通路なのか、一見ではなにもわからない。

最初に扉に気づいた時、職員専用の通用口かなにかだろうと思った。実際、看護師や検査技師、布団を入れたカートを運ぶ介助のひとが、時々出入りしていた。

だがよくみると、一般のひとたちの出入りもあった。初老の女性が見舞い客のように、売店で買ったおにぎりやお茶を入れた袋を手にし、ためらいなく扉を押して入っていった。スマートフォンをさわりながら、自分の家のドアみたいに入る若い男性もいた。車いすに乗り、点滴をしながら看護師や家族に付き添われて扉をくぐる高齢の男性の姿もあった。

その日の診察後、気になって病院の見取り図を確かめてみた。

その扉は、緩和ケア病棟への出入口だった。

以来その扉を、気づくと見つめるようになった。

今日は看護師の出入りが二度。患者の姿はなかったが、夏休みだからか家族連れが何組かあった。まだ幼稚園くらいの女の子が、スキップしそうなくらいはしゃいだ様子で母親に手を引かれ、扉のなかへ消えていった。

私の診察の順番がきた。検査結果は所見なし。診察室を出ると全身の息と力が抜ける。とりあえず生き残れた、と。大げさなのはわかっている。扉の向こうのひとたちにくらべたら、ちっぽけ過ぎる安堵だ。でもそれにすがる。そうしないと、生きるのがただただ難いものになってしまう。

会計に向かう時、もう一度扉に目をやった。女の子は扉の向こうにいるだろう、大好きなひとに会っているだろうか。笑いあっているだろうか。祈りにも似た思いを胸にしながら、私は車いすをこぎだした。




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