かい@森

大学で学びながら考えたこと、森を歩きながら感じたことを書いていきます。

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マガジン

  • 詩集『本棚のうえの小石たち』

    湖の畔を散歩していると、つい小石を拾ってしまう。帰ってきて、ポケットの中の小石たちを本棚に広げてみる。すると、いろんなところから来たそれらの小石たちは、ずっと前から一緒にいたかのように、仲良く座っている。 僕が、日常から拾ってきた小石たちを、集めて詩集にしています。

記事一覧

『玉子サンドと花火』

ゆでたまごはきらいだけど きみとたべた玉子サンドは 笑ってしまうほどおいしかった 花火はドンドン、鮮やかだけど きみは怒り、ぼくは悔やみ 光と音の弾丸が、からっぽの…

かい@森
9か月前
8

恋するから成長するーあるピアノとの出会い

週末は閑散とした音楽棟。せっかくなので、四台のグランドピアノを弾き比べてみる。弾き比べをしていることを忘れて、弾き入ってしまう一台に出会う。ああ、きれいな音。高…

かい@森
1年前
24

『いのちの唄』op. 3-3

ぼくのいのちはどこへ向かっていくだろう ぼくのいのちはどのようにしてここにいるのだろう ただあるいのち ずっとこのままかは分からない 動いていく雲は途中まで追えて…

かい@森
1年前
4

『いのちの唄』op. 3-2

ぼくはいのちを恐れる いのちは食い食われる いのちあるぼくが原っぱへ行けば 雀蜂が飛んできて 森へ足を踏み入れれば 熊と鉢合わせるかもしれない ぼくが野原のいのちを…

かい@森
1年前
1

『いのちの唄』op. 3-1

動きつづける ぼくがいなくても 夢のなかでも法螺貝に気づくぼくの鼓膜 大きな影に驚くぼくのいのち 銀杏の木に留まったのは鷹か ぼくたちは同じいのち いのちのせめぎあ…

かい@森
1年前
9

A summer night

かい@森
1年前
6

前奏曲『奥会津』op. 2-3

過去としてしか現れない自分 未来になら生まれようという自分は 果たして生きているのか 裸足で歩けば掃除屋が刺す いつ終わるか分からない僕の身体 今ここにいる証しを…

かい@森
1年前
7

前奏曲『奥会津』op. 2-2

いくばくかの時が経ち こんなことを言う人が現れるかもしれない ここにかつて炭で遊ぶものがいた その手には音楽が宿っていた この碑はいつだか 手が手のもとへ、足の指…

かい@森
1年前
1

前奏曲『奥会津』op. 2-1

いのちの証しを掘り出して碑にするのは誰か? 碑を建てないと消えてしまうものは何か? 生まれては消えてゆくものが また生まれてきますように 碑は多くを語らない ただ…

かい@森
1年前
9

拡張生態系:西洋的自然観での位置づけ

まとめ 私たちはどのように自然と関わっていけばいいだろうか?僕は、拡張生態系(人の手で多様性を増やすことで、機能が拡張された生態系)という概念を知って以来、この…

かい@森
2年前
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『ツリーハウスの唄』op. 1

地上5メートル板のうえ お日さまわた雲いっしょになって スポットライトあて回る きらきら光る松の葉は、お日さまの光まっすぐ浴びて ひらひら踊る楢の葉は、わたのリズ…

かい@森
2年前
8

『ある夏の夜』

ある夏の夜。まとわりつくような湿気と、ざらざらしたコンクリートが、僕を部屋へと追い立てた。ぐるぐる回っては、頭と心を修理点検する、理性とかいう小さなおもちゃは、…

かい@森
2年前
6

『緑柱石』

緑柱石の松の葉は透き通り 虚無の彼方へ僕の視線を放り出してしまうほどの冷酷さは備えず 自らの反射に酔いしれることもなく ただその内に透明さを貫く緑柱石

かい@森
2年前
3

森のなかの僕の森

僕の中では、自分の言葉も、学問の言葉も、言葉になっていないものたちも、組み合わさったり溶けあったりして、一緒に暮らしている。 そんな僕だって、もっと大きな森に、…

かい@森
2年前
46
『玉子サンドと花火』

『玉子サンドと花火』

ゆでたまごはきらいだけど
きみとたべた玉子サンドは
笑ってしまうほどおいしかった

花火はドンドン、鮮やかだけど
きみは怒り、ぼくは悔やみ
光と音の弾丸が、からっぽのこころに穴をあけた

恋するから成長するーあるピアノとの出会い

恋するから成長するーあるピアノとの出会い

週末は閑散とした音楽棟。せっかくなので、四台のグランドピアノを弾き比べてみる。弾き比べをしていることを忘れて、弾き入ってしまう一台に出会う。ああ、きれいな音。高音は、澄み、輝く。低音は、優しく、落ち着きを持って響く。久しぶりに、自分の指から出る音に、耳を澄ませた。こんなに力を抜いて弾けるんだ。ここは、左手の音を小さめにしよう。新しい気づきがいくつもあった。このピアノに恋をした。

今まで練習には、

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『いのちの唄』op. 3-3

『いのちの唄』op. 3-3

ぼくのいのちはどこへ向かっていくだろう
ぼくのいのちはどのようにしてここにいるのだろう

ただあるいのち
ずっとこのままかは分からない
動いていく雲は途中まで追えても
いつのまにか姿をくらます

いってらっしゃい、ぼくのいのち
今日はいろいろみせてくれてありがとう
少し休んでいていいよ
ずっとこちらの世界にいては
干からびてしまうよね

ときどき帰って来いって?
そうしないと
ぼくの言葉とかいう生

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『いのちの唄』op. 3-2

『いのちの唄』op. 3-2

ぼくはいのちを恐れる

いのちは食い食われる
いのちあるぼくが原っぱへ行けば
雀蜂が飛んできて
森へ足を踏み入れれば
熊と鉢合わせるかもしれない

ぼくが野原のいのちを踏むとき
いのちの餌食となる覚悟はあるか

『いのちの唄』op. 3-1

『いのちの唄』op. 3-1

動きつづける
ぼくがいなくても
夢のなかでも法螺貝に気づくぼくの鼓膜

大きな影に驚くぼくのいのち
銀杏の木に留まったのは鷹か
ぼくたちは同じいのち

いのちのせめぎあい
ぼくの首と蟻の通り道
衿無しでいのちがぶつかる

いのちは一緒にいられる
ぼくの指に蜻蛉が泊まるように

あれこれつまらないことを考え出すと
飛び去ってしまう
ぼくのいのちが他のいのちと一緒にいられるのは一瞬

前奏曲『奥会津』op. 2-3

前奏曲『奥会津』op. 2-3

過去としてしか現れない自分
未来になら生まれようという自分は
果たして生きているのか

裸足で歩けば掃除屋が刺す
いつ終わるか分からない僕の身体

今ここにいる証しを僕は作れない
聴いてもらって初めて僕は碑となる
焚き火の前、ピアノの後ろ、草の裏、土の上で
僕は碑になる

得体の知れないこの有機化合物の塊に
しばし足を留めるもう一つの塊

塊はくっつき、離れ
碑もまた生まれ、朽ちてゆく

前奏曲『奥会津』op. 2-2

前奏曲『奥会津』op. 2-2

いくばくかの時が経ち
こんなことを言う人が現れるかもしれない

ここにかつて炭で遊ぶものがいた
その手には音楽が宿っていた

この碑はいつだか
手が手のもとへ、足の指が土へと還った
その証しだと

前奏曲『奥会津』op. 2-1

前奏曲『奥会津』op. 2-1

いのちの証しを掘り出して碑にするのは誰か?
碑を建てないと消えてしまうものは何か?

生まれては消えてゆくものが
また生まれてきますように

碑は多くを語らない
ただ感覚器の風通しを良くしてくれるだけ

なつかしいけど思い出せないあの香り
どこかでいつか
聞いてみても答えは見つからず
山鳥茸の裏発 nowhere 行き

実は気づかないだけ?
碑はたくさん転がっている?
足は何かに追われるように急

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拡張生態系:西洋的自然観での位置づけ

拡張生態系:西洋的自然観での位置づけ

まとめ 私たちはどのように自然と関わっていけばいいだろうか?僕は、拡張生態系(人の手で多様性を増やすことで、機能が拡張された生態系)という概念を知って以来、この問いに答えられそうな気がしていた。ただ、うまく言葉では表せなかった。最近、大学の授業で西洋的自然観の変遷を追い、ようやく言葉に落とし込むことができた。一言でまとめると、「自然に敬意を払いつつも、人間として自らの住む環境への責任は持つ」、「自

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『ツリーハウスの唄』op. 1

『ツリーハウスの唄』op. 1

地上5メートル板のうえ
お日さまわた雲いっしょになって
スポットライトあて回る

きらきら光る松の葉は、お日さまの光まっすぐ浴びて
ひらひら踊る楢の葉は、わたのリズムでステップ踏んで
しんと座るうりはだかえでは、ひとり静かにベース奏でる

地上5メートル板のうえ
ことばの森から葉っぱがひょっこり
あたらしい森つくるため

ページをめくるとあらわれて
耳をすますとやってきて

でもできる森は一瞬かぎ

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『ある夏の夜』

『ある夏の夜』

ある夏の夜。まとわりつくような湿気と、ざらざらしたコンクリートが、僕を部屋へと追い立てた。ぐるぐる回っては、頭と心を修理点検する、理性とかいう小さなおもちゃは、僕の存在の重力に負けて、深く深く、落ちていった。ぽちゃんと落ちて、その波紋も振動もはるかかなたへ旅に出たあと、残るのは沈黙と闇。

それでも、目や耳が落ち着きを取り戻して、吐く息が壁にあたって戻ってくるのが分かるくらいになると、やっぱり、ま

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『緑柱石』

『緑柱石』

緑柱石の松の葉は透き通り

虚無の彼方へ僕の視線を放り出してしまうほどの冷酷さは備えず

自らの反射に酔いしれることもなく

ただその内に透明さを貫く緑柱石

森のなかの僕の森

森のなかの僕の森

僕の中では、自分の言葉も、学問の言葉も、言葉になっていないものたちも、組み合わさったり溶けあったりして、一緒に暮らしている。

そんな僕だって、もっと大きな森に、埋もれるようにして暮らしているわけである。だから、「自分の言葉」というのは月が地球のものであり、地球が太陽のものであるというときのように、近似的に今の瞬間を捉えて言っているだけである。

「森のなかの僕の森」

noteを書くということは

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