見出し画像

トレーナー回顧録#1

ちょっと期間が空いてしまいました。久しぶりの更新となりますが、本日もよろしくお願いします。
今回はトレーナー業、そしてパーソナルトレーナーになった当時のことを書いていきたいと思います。時々回想的な投稿になりますが、お付き合い頂けたら幸いです。

なんだかんだで指導歴自体は長く、20歳から既に空手指導を受け持っていました。
筋トレに関しては叔父がJAC(現・JAE)でスタントマンをやっていたこともあり、トレーニング器材は一式家にありましたので、自己流といいますか、叔父の見様見真似で時々お遊び程度に器具に触れることができる環境にはありました。
しかし当然専門的な知識もなく、カラダも大きくなれずにいました。
元々病弱でカラダも小さく、あまり食べられず線の細いタイプでしたので、これがコンプレックスでもありました。

トレーナーとしては、市民体育館に併設されているトレーニング室での仕事がきっかけです。
勤め出した動機は、トレーナーになるぞ!という志の高いものではなく、ジムで働けばジム代がかからないし、別途ジムに移動する必要がないので一挙両得だと思ったいわば不純な動機です。

そこでは受付業務として入社しました。
業務内容としては、ほぼパスの確認やチケットの受け取りくらいでした。聞かれれば器具の説明を簡単に行えるという程度の知識でOK。他の時間は運動に関しての書籍や雑誌なら読んでいてよかったので、据え置きのターザンなどの雑誌をよく眺めていました。

そこで4つほど年下のMさんという社員がおり、その方に仕事を教わりました。
ある日、いつものように仕事を終えてからトレーニングをしていると、ベンチプレスの調子が悪い感じがありましたので、何の気なしに社員のMさんに「ベンチがなんか調子悪いですー」なんて溢したところ

「肩を最初にやっちゃったらそりゃそうでしょ!」

雷が落ちたような感覚でした。「そうなの?!」と。(笑)
つまり、胸のコンパウンド種目であるベンチプレスの協働筋を先に潰してしまったら重量も回数も上がるわけないだろうという至極当然の言葉でした。

それからMさんに半ば筋トレの弟子入りをし、Mさんも面倒見良くトレーニング系の学校で教わった実践的なことを惜しげもなく教えてくれました。必要な資料もコピーして持って下さって、質問には必ずきちんと調べてから回答してくれました。この質問に対してのMさんの姿勢は、今も僕自分の中で大切に実践しています。
おすすめの書籍も仕事の空き時間に隅々まで熟読し、知識を蓄えていきました。あの経験がなければ、今の自分はありません。

不純な動機からきっかけを掴んだというところまでで、今回は締めたいと思います。人生ってふとした行動から、一生モノの宝物に出会うことがあるという素晴らしい体験でした。
人生、やってみると思わぬ収穫に繋がったりするものですね。
話が飛び飛びになってしまう部分もあるかもしれませんが、できるだけ一話完結でお伝えできるよう工夫していきますので、今後もお楽しみに!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?