私のポジションは私が決める〜イスラムの国で教えてもらったこと~

イスラム、ムスリムと言えば何を思い浮かべるだろう。

毎日のお祈り、そしてラマダン、女性への厳しい戒律?
テロなんていうイメージもあるかもしれない。
9.11以降、イスラム圏であれば税関で検査のため止められるなどヘイトがあった時期もあった。

コロナ禍前の話…

モルジブへ向かう機内、私の横にはイスラム圏の男性が座っていた。

ちょうどラマダーン(断食)の時期だったのか、彼は機内食を断り、枕で顔を抑え、上から毛布を被り、食べ物の情報を遮断している。

しかしフライトが長いので何度も何度も機内食が、スナックが配られる。

それを毎度断る姿を見ながら、
「戒律を守るのは大変だなあ」と、
横で申し訳ない気持ちで食事をしていたけれど、フライトの最後の食事ではラマダンが明けたのか、男性が機内食を一気にかき込んでいる姿を見て、ああ、食べれて良かったなあ、となぜか安堵した記憶がある。

ラマダーンはヒジュラ歴の9月に行われる。
ラマダーン月は、ムハンマドに最初の啓示が下りた月である。
夜明けの礼拝(アザーン)から日没の礼拝まで断食を行う。
ムスリムの人々は空腹や喉の渇きを体験することで、食べ物のありがたみを実感し、神の偉大さや神への感謝の気持ちを新たにする。

ただし、病気中であったり、旅行中であれば、回復したり、旅行から帰ってから行ってもよい、という寛容的なものであるそうなので、私が出会った男性は敬虔なイスラム教徒だったのかもしれない。

私はヒジャーブや異国の方達を初めて目の当たりにして、ムスリム文化の知識が全くなかったせいか、一つ一つがとにかく新鮮だった。


友人が貸してくれた
「サトコとナダ」(ユペチカ著 星海社)
を読みながら、そんな旅行の記憶が蘇った。

アメリカの大学へ留学したサトコのステイ先のルームメイトは、サウジアラビア出身のナダだった。
目の部分しか見えない黒のヒジャブを被ったナダとの初対面はただただサトコにとっては驚きでしかなかった。
今後やっていけるのだろうか?と一瞬不安がよぎるが、日を追う毎に家族同然のようにかけがいのない存在になっていく、というストーリーだ。

ムスリムといえば、ニュースでしか見ない、遠い国の人のようなイメージだったけれども、今の地球の人口78億人のうち、キリスト教は約23億人、ムスリムは約18億人であり、人口の20%~25%を占める。
なので世界的に見れば決して稀な存在ではない。

この漫画はフィクションだそうだけれど、妙にリアル感がある。
多分こうなんだろうなあと考えていた事は、全くの想像でしかなく、ただの思い込みだったと考えさせられる。

例えば、なぜヒジャブを女性が被るのか、モスクは男性しか入れない、とか、入れても別々の部屋でお祈りしなければならないとか、男性の前列で女性は祈ってはいけないとか、一夫多妻制についてなど。

民主主義としては、これらの戒律を見ると女性には自由がないのだろうか、とか宗教によって制約があるのではないか、と漫画の中で描かれていた。

ニカブ(目以外覆うイスラム圏の服)を着るときの心境についてナダが言う。これを着ていると確かにムスリムとして見られることもある。

でも女として対応を変えられることはないの。
綺麗な人が得をする世界でしょう、ここは。
ニカブを着てると無敵の気分よ。
いわば盾のようなものね。

今外ではマスクを外しても良い、という流れになっているけれど、なかなか外しづらいのは私たちも盾にしてるのかもしれないなあ?なんて思ったり。
確かに美しい事は素晴らしい事だけれども、表面的な美しさのみで判断される外見至上主義の考えに偏れば、それは生きづらいものになる。

そして、自分が着たいと思う服を、年相応じゃないから、と本来なら自由に着れるはずなのに逆に着れないサトコに、自分の好きな服を着なさい、と諭す。
実はイスラムの女性はそのニカブの下はとても近代的でおしゃれである。

自由には責任が伴うもの、ということは自覚した上ではあるものの、民主主義である私達は本来は自由であるべきなのに、周りの目を気にしすぎて、逆に自分の自由を抑えて行動しているのかもしれない。

そしてなぜそんなに綺麗な髪をしているのに隠すの?というサトコの問いには、ナダは、綺麗だからこそ隠すのよ、と言う。
本当の美しさとは、表面には見えないもの
だと信じているからだろう。

そしてモスクで男性の前でお祈りしてはいけない、というのは、女性に気を取られて男性がお祈りに集中できなくなるから、とか、女性はモスクでお祈りしてはいけない、というのは、毎日の2回のお祈りに、女性は家事や育児で忙しいので、自宅で祈っても良い、という緩和的なルール変更から派生しているそうだ。

一夫多妻制は、女性が1人で経済的に自立する事が過去には難しい時代があり、(今もまだそうかもしれないけれど)経済的に自立できる男性がそういった女性を助けてあげなさい、というところから派生している。
(とはいえ、女性はそれらを寛容してはいないそうで、
男性もそれなりの経済力がなければ一夫多妻制を導入するのは難しいそうなので少なくなってきているそうだけれども。)

人は、少しでも見た目が違ったり、行動が違ったりすると、前例がなければ、簡単に受け容れる、ということがなかなか難しい時があるのではないだろうか。
けれども、
他者への理解を深め、知ることで心は柔軟に拡がるだろう。


モルジブの宿泊するホテルへは首都マーレからジェット機で移動する。本島には早朝に着いたため、フライト前に観光をするスケジュールになっていた。

ガイドさんは現地の方で、彼の友人をたくさん紹介してくれた。

日本人が珍しいのか、歩いているとよく話しかけられた。

「これ日本にないでしょ?これあげる!」
と現地のお菓子をくれたり、

「日本人っておしゃれなんだね」
と私の持ち物を珍しそうに興味をもって話しかけてくれたり、

「ラマダンが明けたから、御飯一緒に食べていったら良いよ!全部タダなんだよ!」
と誘ってくれたりと
ニュースで見ていたイメージと全然していたもの違い、会う人皆誰もが人懐っこい人々だった。

(知らない人がくれるお菓子はもらったらいけない、という昔からの親の教えで、ガイドさんにプレゼントしてしまったけれど)

自分の既成概念は本当に正しいのか、世界を知らなければ、知識がなければ確かめようもないし、もしかして間違っているのかもしれない。
それを確認するための経験と勉強なのかもしれない。
大人になってもそう。
幸せを感じること、それは既成概念を壊してでもできるように。
どちらかが正しい、という話ではない。

ナダは言う。

あなたってそうよね
私はこう
あなたはそう
でも友達よ
そういうものよ

つづく

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