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人生のうっすらした「哀しみ」の正体は「不安」である

「うつ」と「不安」って、紛らわしくないっスか。

なんとなく気分が晴れない、というとき、それが「うつ depression」であるか「不安 anxiety」であるか、素人が自己診断できるものであろうか。

その区別はなかなか難しく、よく混同されてると思うのだが、そいうことがあまり指摘されないと思うんですね。


昔、伊集院光がラジオで、「胸焼け」と「胃もたれ」の認識が、妻と逆だった、という話をしていた。

同じようなことが、「うつ」と「不安」にもあると思うんですよ。

結局、主観の問題で、体温計で計って分かるようなものではないからね。


一般に、「不安」を「うつ」だと誤認することが多いのではないかと思う。

なんか気分が落ち込む、というとき、自分を落ち込ませる要因は、いくらでも挙げることができるから。これは「うつ」だと考える。

「不安」は、そもそもの定義からして漠然としたものだから、自分が「不安」になる理由があまり思いつかない。


私自身が、「不安」を「うつ」だと、長年誤解していた。

誤解していたのが分かったのは、不安に対処する認知療法を試しにやったら、自分が「うつ」だと思っていた症状が解消したからだ。

「うつ」だと思ってたけど、あれって「不安」だったんだ、と分かった。それで、生まれて初めてくらいの幸福を感じた。


物心ついて以来、うっすらした「哀しみ」を感じる、という人は多い。

しかし、それは「うつ」ではなく、「不安」である場合が多いと思う。

それが「不安」だと気づいて、適切に対処すれば解消するのに、もし気づかなければ、「人生はこんなものだ」と、幸福感をあまり感じないまま一生を終える人も多いのではないか。




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