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【川崎市麻生区の謎】「百合丘」と「百合ヶ丘」ーーこの「ヶ」はどこから来たのか

長寿日本1、川崎市麻生区の321公園をすべて巡る企画の第6回、の準備回。

隠れた名園「百合丘第2公園」を取り上げるに当たって、「百合丘」の疑問を先に解決しておきたい。


「百合丘」と「百合ヶ丘」


「百合丘」の歴史は、それ自体、興味深い。

もとは高石村といい、その後、橘樹郡生田の一部となった。

私もまだまだ勉強中です。

morikumaさんという、地元の方が書いた、以下のサイトが参考になります。


1960年に、山を切り開いて、ニュータウンとして「百合丘(ゆりがおか)団地」(百合丘第一団地、百合丘第二団地)ができ、それにともなって、同年に小田急線に「百合ヶ丘」駅ができた。

団地も地名も「百合丘」なのに、なぜ駅名が「百合ヶ丘」の表記になったのか。

その小さい「ヶ」はどこから来たのか。多くの記事が謎としています。


小田急には1933年創設「梅ヶ丘」駅などがある(地名は「梅丘」)。それにならった、というのがいちばん簡単な説明でしょう。

駅名「ナントカヶ丘」の始まりは、東急線の「自由ヶ丘」駅(1929〜)じゃないかと私は思っていました。「自由ヶ丘」って、インパクトがあって、かっこいいじゃないですか。

でも、改めて調べると、小田急の「向ヶ丘遊園」(1927〜)の方が先だな。現地の地名「向丘(むかいがおか)」が元になっている。調べれば、もっと古い例もあるでしょう。


「自由ヶ丘」は、「丘」の名がついてるけど、実際には「丘」ではない、で有名ですよね。ナンチャッテ丘。こういう例は全国でも珍しい。

この駅名は、当地にある「自由ヶ丘学園」から来ていて、その「自由ヶ丘」は、自由主義教育の場にする、という教育理念の表示であり、地形とは関係ない。

「百合丘」の方は、里山を切り開いてできた、本当の「丘」ですけどね。その里山にヤマユリが咲いていたから、団地にその名がついたという。


しかし、東急線の「自由ヶ丘」は、1966年に「自由が丘」に改称する。

これまた理由がよくわからないけど、たしかに小さい「ヶ」は戦前的でダサい。

「ケ」なのに、なんで「が」と発音するのか。

基本的には、表音主義に従い、「が」に統一した方がいい。「自由が丘」への改称は、さすがに表記も自由主義的で先進的、という気がする。地名も現在は「自由が丘」だ(ただし、学園名は現在も「自由ヶ丘」)。

東急線は、改めて駅名を調べると、「藤が丘」「久が原」とか、「が」に統一してますね。


小さな「ヶ」をナントカしたい


それなのに、「百合ヶ丘」駅はいまだに小さな「ヶ」がつきっぱなし、それどころか、1974年に開業した「新百合ヶ丘」もそれに準じて「ヶ」つきっぱなしである。

小田急の「梅ヶ丘」も、「向ヶ丘遊園」も同じだ。

まあ、東急が「が」に変えたからウチも変える、とは、小田急のプライド上、できなかった、と想像する。でも、「自由が丘」表記になった1966年以降に百合丘団地ができてたら、しれっと「百合が丘」になってたかもしれない。


全国の地名・駅名を見ると、この「が」の表記は、小さい「ヶ」の他に大きな「ケ」もあり、さらには「カ」「ヵ」もある。ひらがなの「が」も、カタカナの「ガ」もある。本当に校閲泣かせですね。

新聞社の校閲者なんかは、最初に「霞が関」(住所表示)と「霞ケ関」(地下鉄駅名)を間違えないように叩き込まれます。


「市ヶ谷」「聖蹟桜ヶ丘」みたいな、戦前からの歴史ある表記を変えたくない、というのはわかるけど、その影響を「百合丘」みたいな戦後の新しい地名が受けるのは、不合理だと思うんです。

それに、こういう表記の混乱は、今後の行政の電子化の過程で、必ず混乱を生むと思う。

東急方式で、全部「が」にしてくれ、と思います。


百合丘の誇りはどこに


話がそれましたが、百合丘の表記の話をまとめれば、駅名は「百合ヶ丘」、地名は「百合丘」。

店舗名やマンション名では「百合ヶ丘」「百合丘」の両方にバラけている。

歴史的に、「百合丘団地」が最初なのだから、「百合丘」の方が正式表記っぽい。

地元の人は、「百合丘」表記に誇りを持っているのではないか。


と思ったら、「百合丘第一団地」「百合丘第二団地」は、それぞれ建て代わり、「サンフラレ百合ヶ丘」「百合ヶ丘みずき街」という名前になっている。

元祖「百合丘」のプライドを捨て、小田急の「百合ヶ丘」に迎合したのか。がっかりだ。

ちなみに、地名「百合丘」はまだ残っているが、「新百合丘」または「新百合ヶ丘」という地名はない。新百合ヶ丘駅があるのは「万福寺」であり、南側は「上麻生」である。これも、駅が先にできたか、後にできたか、の違いを物語っている。


それはともかく、公園名もおおむね、「百合ヶ丘」表記ではなく、「百合丘」です。今回紹介する「百合丘第2公園」もそう。


「百合丘第1公園」衝撃の事実


百合丘の誇りは公園に残っている、といえば言い過ぎだけど。

しかし、元ニュータウンだけに、公園の数は多いし、質も高い。

「百合丘第2公園」は、その代表です。素っ気ない名前だし、近くにある有名公園「弘法松公園」の影に隠れて、あまり知られていないかもしれない。

上掲記事で地元の人も書いているけど、「新百合ヶ丘」ができた後、「百合ヶ丘」(百合丘)自体が影に隠れたような存在になりました。急行も止まらない。

でも、とてもいいところだし、「百合丘第2公園」もとてもいい公園。

だから、「隠れた名園」と呼びたい。


ちなみに、百合丘第2公園から第7公園まであるのですが、現在の地図に「百合丘第1公園」はありません。

百合丘公園2~7と弘法松公園


それを私も不思議に思っていたのですが、以前は「弘法松公園」が「百合丘第1公園」と呼ばれていた、という「スクープ」というべき衝撃の事実が、morikumaさんの上掲「百合丘団地」記事に書かれています。


というところで、もう十分長くなったので、実際の公園の紹介は次回で。

あと、同じ川崎市麻生区でも、柿生のように旧都筑郡ではなく、ここが旧橘樹郡だというのも重要です。


<参考>

川崎市麻生区3大がっかり

街登山のすすめ

麻生の公園完全制覇1 向原の森公園

麻生の公園完全制覇2 美山台公園

麻生の公園完全制覇3 むじなが池公園

麻生の公園完全制覇4 鶴亀松公園

麻生の公園完全制覇5 片平中町遺跡公園


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