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【読書】『能 −650年続いた仕掛けとは−』(安田登 著)

 2023年4月15日(土)、『能 −650年続いた仕掛けとは−』(安田登 著)を読み終わりました。
初めて知ることも多く、いくつかメモを残したいと思います。

■「舞」を見るポイント

 私は能を見始めて1年弱ですが、ここ最近、どのような心持ちで「舞」を見れば良いのかな、と考えていました。安田さんの記載を引用します。

 能の舞は「型」と呼ばれる「要素」の組み合わせで作られています。能の舞が他の舞や踊りと違うのは、ほとんどの型に意味がないという側面です。これはたとえば日本舞踊が「振り」によって日常の動作や、山や木、あるいは波の動きのようなものを「表現」しようというのとはまったく違います。

本書179頁

 繰り返しますが、舞には「意味」はありません。そこから意味をくみとろうとしたり、ストーリーを感じようとすると、途端に「つまらない」ものに感じてしまいます。何を表現しようとしているのかとか何を言いたいのかとか、そういうことは一切考えず、ただただあのゆっくりした時間の中に身をゆだね、同時に、つま先から指先にまで神経を行き届かせながら舞っているその姿を、よくご覧ください。

本書202頁

 私は、ストーリーや情景を想像しながら見た方が良いのかな、と思ったりして、まだまだ安田さんの記載に半信半疑の部分もあるのですが、次回は(語弊があると申し訳ありませんが、)あまり深く考えず、鑑賞してみようと思います。
 ただ、この論点は私が関心を持っている論点であり、今後も他の本を読んだりして、頭の片すみに入れておきたいと思います。

■「謡」について

 安田さんはワキ方であまり仕舞はされないこともあり、「舞」より多く「謡」にページがさかれていました。
 基本的に能は武士階級がたしなむもので、庶民からは遠い存在でしたが、詞章を謡う「謡」だけは、江戸時代の庶民のたしなみだったそうです。「謡」は古典(『源氏物語』『伊勢物語』『平家物語』など)を学ぶツールだったともありました。
 最近は、結婚式などで『高砂』などの祝言謡を謡う人も減っているのでしょうが、昔はもっと「謡」が庶民の生活に浸透していたのだと思います。
 夏目漱石の小説にも「謡」に関わることが多く出て来ることも書かれていました。

■世阿弥の言葉

 本書でも、世阿弥の言葉がいくつか引用されていました。能楽堂の売店(書店の出店)にも、世阿弥に関する本を見かけることもあり、名言録などもいつか紐解いてみたいです。いくつか挙げてみます。

①「男時(おどき)」・「女時(めどき)」

 何をやっても上手く行く日を「男時」、逆に何をやっても上手く行かない日を「女時」といいます。私は、向田邦子のエッセイか小説でこの言葉を知ったのですが、世阿弥に遡るとは思いませんでした。

②「陰陽の和するところの境を成就とは知るべし」

 「陰陽」については、いくつかの項で書かれていました。私はあまり詳しくないのですが、気分が盛り上がり過ぎている時(陽)と気持ちが萎えている時(陰)が極端に生じないようしないといけないな、と思うときがあります。安田さんは、他にも呼吸法や身体作法の本も出されているようですし、他の本も読んでみたいです。

③「花と面白きと珍しきと、これ三つは同じ心なりり」

 世阿弥の芸能論で、もっとも重要なキーワードは「花」だそうです。ここは割愛しますが、今後腰を落ち着けて、世阿弥の本を読んでいきたいと思います。

④その他

 「初心」「離見の見」など。

■最後に

 今回、能について読書をして大変良かったと思います。ここ半年ほど、バタバタと舞台鑑賞に行くことが多かったのですが、時間を取って「知識」や「他の人の考えや教え」を知ることは重要であると改めて感じました。バランスよくやって行きたいと思います。

 本日は、以上です。

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