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健康診断でたまたま卵巣嚢腫が判明して人生初手術した20代女の体験記(後編)

卵巣嚢腫の腹腔鏡下摘出術を受けてみての体験記。
前編(発覚〜入院前)を公開して、うれしいことがありました。

3週間後に同じ手術を控えているという方から、メッセージをいただいたのです。
勝手に雑多に書き残しているだけとはいえ、届いたらいいなと思ってた人にほんとに届いた!とちょっとぽかぽかした気持ちになりました。

私には、あの時のあんな感情、こんな痛み、をおすそわけすることくらいしかできないけど。
だから今回も、半分は自分のため、半分はだれかのために、というくらいの気持ちで。


いくつか注釈👇
この体験記は、自分が体験した思い出しうる出来事・感情を、(だいたい)時系列順に書き記しています。
もしこれから経験する方がいらっしゃったら、これはあくまで個人的な体験にすぎず、病院や先生、症状、個人による差があることを心に留めていただけたらと思います。
このnoteは後編(入院・手術〜退院後)です。
超大作になってしまったので笑、必要な部分だけでもどうぞ。



入院

11月4日 もっと患者らしく(入院前日)

病院にPCR検査を受けにいった。陽性がわかったら電話がかかってきて手術は3週間程度延期になるとのことだった。
続けて麻酔科医の説明と同意確認を受けた。心停止、歯の損傷、など ”もしも” の文字列が恐ろしくてびびる。
あとは窓口で、高額療養費制度の資格確認をオンラインで行ってよいかという口頭同意(費用面に関わる、後述します)があった。

ちなみに私はこの時、2日前くらいから風邪ひいてました。
仕事とかも色々調整してたし、手術延期になったらまあまあ嫌だなあとビクビクしてた。
結局夜に微熱が出てしまい、薬も飲んではいけないのでなかなか辛い前夜を過ごすハメに。
入院前も、飲みいったり仕事しまくってたので、もっと患者らしくしとけばよかったとわりと反省。

書き忘れてたけど、9月21日の診察の日から普段飲んでいたピルも中止しました。
血栓症予防で少なくとも4週間前から内服を中止しなくてはならないらしく、シートが終わりそうならそこまで飲み続けて、まだシート前半くらいなら今日からやめちゃってください、と言われた。
この間に2度生理が来たけど、久々のピルなしで重くてこれも大変だった。

11月5日 残酷な同居(入院1日目)

14:00
荷物を母に手分けしてもらい、いざ病院へ。
この時点で熱は下がっていたが、受付できかれたのでここは素直に白状。
看護師さんは「ん~」って感じではあったけど、「せっかく決意固めてきたんだもんね、大丈夫だと思います。」といって受け入れてくれた。。本当にすみません。。どうなることやら。。(病院によってはダメだったかも。)

そして病棟内を簡単に案内してもらってから、自分の病室へ。
私は追加料金を払わず4人部屋にしたのだけど、大きな窓に近い区画で、「神席引いた〜」とオタク友達にLINE。なんとか会場入り。
正直カーテンに囲まれた区画だったら入院中の気分違ってたかも。

14:30
病室で荷ほどきと着替えを済ませた頃に看護師さんがきて、入院生活や手術の説明を受けた。
そして、採血、臍の消毒(いくつかあける孔のうち臍部分が一番大きいです。そこからカメラ入れたり切除したものを出すらしい)。

体調万全ではなかったのもあって疲れて昼寝したり、動画をみたり、連絡をとったりしてゆっくり過ごした。
気持ちを向けてくれる人、元気になった時の約束をつくってくれる人、今の気持ちを聴いてくれる人、すべてが有り難いし、当たり前じゃないよなあと実感した。「私の今日」に向けられた想いたちが、私をなんとかここに連れてきたんだな、きっと。

あと、"産婦人科"なので、赤ちゃんの声がバンバンきこえた。
この、同じ病棟の中で、うまれる命もあるし、もしかするとうむ機能を失う女性も一緒にいるのかもと想像すると、なかなか残酷な同居かもしれないなと思った。
子ども大好きな私ですらちょっと、今はこの声、ききたくないかもなって思った。

18:00
夕食。5分粥と消化のよさそ〜なおかず少量だったけど、正直体調がそんなによくなかったのでちょうどよかったかも。笑 元気だったら確実にものたりない。
この後の浣腸もだけど、万が一手術で腸管損傷などが起きたときに備え、腸を空っぽにして感染予防の目的だそう。

20:00
浣腸。これもなかなかな初体験だった。
相部屋だからだと思うけど、トイレを占領できるように別部屋に移動
担当してくれた看護師さんが姉御感あるなんだか好きな方だったんだけど、「これ長くかかる人もいるから、スマホとか持っていきな?」と言ってくれ、ベッドに横になった時に棚に置いたら「あ、もうこれ始めたらそれどころじゃないから」と言ってスマホを握りしめさせてくれた。笑

お尻から薬液を注入している途中で、もうお腹が激痛。
「はいどうぞ」と言われた瞬間にズボンを上げながら、授けられたスマホを握ってトイレへ早足。

おそらく15分20分くらいは戦ってたかな?普段快腸な私にとっては初めての有様だった。
私の腸、君はなにも悪くないのに、ごめんという気持ちになった。
最初はそれどころじゃなかったけど途中からちょっと余裕が出てきて、片手でお腹をさすさすしながら、片手のスマホでちょうどやってた推しのインスタライブをみた。なかなかシュールで本人にも具体的なお礼は述べられないけど、めちゃくちゃ助かった。笑

人によっては腹痛がおさまるまで、ベッドとトイレをこの後も行き来するらしいが、私はもう大丈夫そうだったので、トイレの中からナースコールして、看護師に出たものを確認してもらって(これも驚いたけど、目視は看護の基本なんですってね)自分の病室に戻った。

21:00
さらに下剤を飲んで、寝る準備。この病院は21:00消灯だった。

11月6日 地獄のはじまり(入院2日目、手術当日)

5:30
前日の夜に、姉御看護師に「早く目覚めたらモーニングルーティーンしといてね〜」と言われたので一応早めにアラームをかけておいた。
いつになく早寝だったし緊張もあって1コールで目覚めた。

6:00
この時点から、一切水を飲んではいけなかった。
姉御看護師がカーテンから顔を覗かせて「お、もう準備したんだね。そしたらもう例のやつやっちゃう?」(とにかくこの看護師さんがツボで、セリフいっぱい引用してすみませんw)と別室で2度目の浣腸。前日よりは色々マシでした。

病室に戻ると、手術着に着替え、エコノミー症候群予防の着圧ソックスを履き、これから数日お世話になる点滴の針をさしてもらった。
日頃から血管がわかりづらい私は左右両方さされてしまったけど、利き腕じゃない方にしてもらうのが正解(後述)だと思います。
なんか、元気なのに点滴って不思議だなと思いながら、ぼーっと点滴が落ちるのを見ていた。

9:00
看護師さんが迎えに来て、点滴スタンドを押しながら歩いて手術室へ
前室のようなところで最終確認をして、手術キャップをはめられた。
入室すると、ドラマでみたことある!っていう部屋に、10人くらい?の先生たちがテキパキ動いてる。
当たり前ではあるんだけど私以外はほんとにテキパキしてて、キョロキョロドギマギしてしまった。
この人たちがみんな、私の体に関わるんだ。
順番に私の前に来て、テキパキ自己紹介してくれたんだけど名前はまっったく覚えてない。

その後は、手術台に横になってください、酸素マスクつけますナントカつけます、とされるがまま。
他にもなんか色々説明されたような気もするけど、執刀医が「緊張してますか?大丈夫?」と顔をのぞいてくれたのと、誰かに「手が小さいわね〜可愛い〜!」と言われたのを妙に覚えてる。

そして麻酔科医が「次に目覚めた時には手術が終わってます」と言っておそらく数秒?「もう始まってる??口から?点滴から?」と考えてたら、ほんとに、気づくと手術が終わっていた。

11:00
目覚めると、はっきりしない意識の中で、どこかはわからないお腹あたりの激しい痛みと息苦しさに大号泣していた。地獄のはじまりだと思った。
自分の病室にベッドのまま運ばれた。
「あらあらかわいそうだねえ」と静かに泣き続けている私に看護師さんが手渡してくれたタオルが、持参した推しのライブグッズで、心強く思えたのを覚えてる。

次第に、痛みの所在がわかってきた。

  • 手術した患部
    当然だけど痛みの強さも範囲も一番。傷口も内側?もまあ全体的にMAX痛かった。痛みの種類はこれまで感じたことなくて表現しづらいけど、生理痛に近いといえばそうかなあ。

  • 尿道〜膀胱
    全身麻酔の最中に入れられていた尿道カテーテルが、なんだか痛いのと異物感がすごかったなかなか尿がうまく出なかったみたいで膀胱あたりの重い痛みもだんだん増えた。


  • 全身麻酔の最中の気管挿管の影響らしい。普段わりと喉強めな私ですが、酸素マスクの中で息をするのも痛くて、鼻で息したいのに鼻がつまってて(絶対風邪ひかないほうがいい)、それを伝えたいのに声が出なくて八方塞がりすぎた。口の中もおそらく気管挿管のせいで切れてた。


  • 手術後は免疫系の働きで熱が出るものらしく、37℃後半あって体がだるいし熱くて汗かいてるし、それも苦痛だった。

15:00
頭ははっきりしてきて色々考えるけど、体の苦痛に眠らされを何度も繰り返していたと思う。
看護師さんが頻繁に様子をみにきて点滴の痛み止めを足してくれたり声をかけてくれて、そのどこかのタイミングで「あんまりまだ痛いんだったら、座薬の痛み止めを足しましょうか」と聞かれた。
私はどうすべきかよくわからず「どのくらいの痛みなら我慢したほうがいいかわからなくて」と言うと、「痛いなら我慢しなくていいです」と座薬を入れることに。
どう横になったのか、入れられた感覚すら覚えてないけど、とにかくその後は痛みがひいて楽になった。
熱のだるさは続いたが、夕方くらいに少しずつならスマホを触る気にもなれて、とりあえず家族とかにぽつりぽつりと連絡を入れ始めた。

0:00
そこからどれくらい寝てたか起きてたかよくわからないけど、この日は夜中も、看護師さんが3時間おきに来てくれた。
下からの出血と傷口も毎回確認されたが問題なく、経過は順調なようだった。
姿勢がずっと同じだと床ずれを起こしたりするから、横向いたりしてくださいねと言われるも、到底寝返りなんてうてない感覚だったので、気持ち体重かける背中の部分を変えてみたりしていた。

熱はずっと高く、夜中、汗にまみれていたのだろう私に「お顔拭きますか?」とタオルを持ってきてくれて、それが本当に気持ちよくて、「看護師さんってすごいなあ」とぼんやり思いながら直後はよく眠れた。
その後まだ外が暗い時間帯、水は飲めないけど口に含むうがいを手伝ってもらいながらした。
体は起こせないので首だけちょっと前に出して、口の横からぶわーと吐き出すから不快ではあるが、熱もあって口内が乾きを通り越していたのでこれも神…!となった。
点滴してるから体内の水分量は足りてるのだろうけど、普段半分無意識でしている行為は色んな意味があることを思い知った。

あと、点滴を入れていた方の腕が、ゆっくりなら動かせるけど重痛いので、ここまでの色んな動作は全部片手でやっていた。
点滴が利き腕じゃない方で、セーフ。
腫れもないので姿勢のせいかも、様子みましょうとなったけど、翌日点滴を止めたらおさまったので点滴のせいだったみたい。

11月7日 身体、精神の解放(入院3日目)

6:00
目覚めたら激しい音が窓を叩いていた。今日は雨らしい。
看護師さんが来て、水を飲んでいいとのこと!水を飲めるのがこんなに嬉しいことはないと思った。
はじめて電動ベッドを少し起こし、コップからストローで飲んだ。
動くたび体のあちらこちらが痛むが、ずっと仰向けで寝ていたので、違う姿勢になるだけで少し気分が変わった。
その後歯も磨いた。まだ起き上がれないので、自分で磨いて用意してもらった器にぶわーと吐き出す。不快だが、それを上回る快感。

9:00
これも不快だったことの一つなのだけど、手術中から脚を覆っていたぐねぐね動く重いマッサージ機をとってもらった。
これも着圧ソックスと同様、エコノミー症候群予防
とのこと。

そして、歩く。体の状態からすると早すぎなように感じるが、早期離床といって、寝たきりの色々な弊害を予防するためだそうだ。
声をかけられたときは、「え、私、ベッドから起き上がれる???」とイメージすら湧かず看護師さんに聞きかえしたが、「トイレまで歩けたら、尿の管とれますよ」と言われ、「それはデカイ…」と決意を固め、痛んでは動作を止め、を繰り返してゆっくり懸命に体を起こし立ち上がった。

看護師さんに見守られながらゾウくらいのペースで歩いた。
「普通は亀じゃない?」と家族にツッコまれたが、自分の体重が重く感じられて、ゾウと例えたくなったのだろう。
トイレを通り越して、30mくらい?の距離を往復した。
すれ違った看護師さんに、「すごーい!頑張ってるね!」と声かけられて照れた。

汗だくになりながら自分のベッドに戻ると、「これからはどんどん動いてね」と点滴と尿道カテーテルをとってもらった。
点滴は針はまだ刺さっていたが、前述の腕の重さがなくなった。
尿道カテーテルは「ハイ息吐いて!」と言われてフウっ!という一息で抜かれ、一瞬しかめっ面になったが、この2つの管からの解放は、なかなか大きかった。

10:00
清拭と、手術着から持参した楽な格好に着替えさせてもらった。ああ解放。色々すっきりもしたし、なんだか疲れてしまい寝た。

13:00
12:00に手術後初の昼食が運ばれて来て声をかけてもらったはずなのだけど、気付かず爆睡していて、下膳に来た人に「あら??!」と声をかけられる。笑
久しぶりのご飯に素朴な感動を覚える。
5分粥とやわらかい菜食で量は少ないけど、お腹の苦しさがありすぐいっぱいになった。
はじめて自分でトイレにいけた。

14:00
この頃は、傷口がたまにズキッと痛む、あとは熱のだるさでそんなに長くは起きてられないくらいになっていて、何度か錠剤の痛み止めを飲んだ。
少し電動ベッドを起こしながら、好きな動画をみたり漫画読んだりして過ごした。
動作をする度、痛んだり、息が上がったり、自分でわかるほど鼓動が速くなったりするけれど、できることが増えて嬉しかった。
昨日の私、身体的にも精神的にも不自由で、意識がはっきりしてる分なおのこと辛かった。
回復をよろこべる、ということも回復なんだなあと思った。
気づいたら、雨がやんでいた。

18:00
夕食。まだ5分粥とやわらかい菜食。苦しい。
箸を進めながら、分娩室の女性の叫びがきこえた。
痛みはこんなもんじゃないんだろうな。
同じ部屋で、手術から戻って来た女性のうめき声もきこえた。
大丈夫かな。
そうやって、他人に気が向くくらい、自分が穏やかな日常に戻っていることを感じた。

11月8日 なにより気持ち的に結構元気(入院4日目)

7:00
看護師さんが来て、いつもの測定のあと、点滴。
冷たい。自分の体温を感じる。
まだ熱があるけど、なにより気持ち的に結構元気。

8:00
朝食は全粥と柔らかいおかずに。
私味のないお粥がそんなに好きじゃなくて、ちょっとずつ残した。
全体的な痛みが弱まってきて気づいたけど、肩あたりが特に痛い。
手術中、お腹の中の作業スペースを確保するためにガスを入れているらしいのだが、これが横隔膜を刺激して肩が痛くなるんだって。不思議。
おそらくこれに関連することだが、内臓が動く気持ち悪さもずっとある。

あと傷口がたまにズキッとするので、とにかく腹筋あたりに力を入れないように気をつけていると、鼻水をかむとき、体勢をかえるとき、物をとるとき、腹筋がいかに日常動作で働いてくれてたかを知る。
でもずっと痛いわけじゃなかったので、この日から痛み止めは飲まなくて大丈夫になった。

そして、お通じがあった!!
少量だしゆるいのだが、だいぶお腹の苦しさが楽になった。

同部屋の人たちは、ずっと痛み止めを飲んでいたり、お通じが3日4日なくて下剤を処方されたりしてたので、回復には個人差が結構ありそうだということと、私はまあまあ回復力強めの体を携えていることを知った。
特にお通じに関してはここから毎日同じ時間に出てくれて、看護師さんを驚かせた。ありがとう私の健全な腸。

13:00
昼食のあとの時間で、執刀医や他の先生の回診フィーバーだった。
診察とか手術のスキマ時間なのかしら?
傷綺麗ですね!お通じがあったんですね!すごい、がんばってる!とひとつひとつほんとに嬉しそうに、喜んでくれる。
お医者さんや看護師にとっては何度もみた経過だろうに、喜びは何度でも湧くのだろうか?
気管挿管でやられた喉はまだ痛くて声が掠れてたので、トローチを処方してもらった。

私が入院する前からいた、隣の人が退院していった。
カーテンを隔ててお隣さん。
顔は一度も合わせなかったが、看護師さんにやさしい人だった。
スタスタと帰り支度をして帰っていった。
来週から出社すると言っていた。
自分がそうなるイメージはまだちょっと湧かない。

16:30
4日ぶりにシャワーを浴びた。
この病院は、名前を書いて予約するシャワーの日毎の予約票があった。
ひとり45分枠で片付けと軽い掃除まで。
まだ点滴の針が刺さっていたので、肘上まであるビニール手袋をそっちの手にははめてシャワー。ここでも利き腕じゃないほうでセーフ、と思った。
明日はシャワーを浴びるぞ…!と心底楽しみにしていたので、今まで風呂上がりに感じた感情のうち最高な気分だった。
習慣になると億劫になることも、やらなければやりたくなるんだな。
いい気分転換にもなるので、この日以降、シャワーは楽しみな時間になった。

そして病室からシャワー室に移動するときに、目の前が分娩室だったことに気づく。
どおりで毎日女性の叫び声と、産声がすんげえ聞こえる。
産まれたばかりの赤子の声は、どれも違うんだという発見もあった。
自分はどんな鳴き声で産まれてきたんだろう。

18:30
ここから普通食に!
お粥じゃないお米、美味しい~~と噛み締めた。

20:00
最後の点滴をして、点滴の針を入れてもらった姉御看護師に外してもらった。
姉御「私が刺した針を抜くんだね〜!」
私「はい、ありがとうございました」
姉御「いやいやこちらこそ〜!」
という会話が、よくよく考えると意味不明だがなんだか嬉しかった。

11月9日 人間ってすごい、医者や看護師さんはもっとすごい(入院5日目)

7:00
起床。いろんな夢をみた。
シェアハウスで一緒に住んでる子が出てきて、夢でも元気に遊んでた。
道を自転車で走ってたら穴にはまってしまう変な夢もみた。

10:00
いつもの測定。体温計を挟んでいない腕を差し出して、血圧計を巻き、体温計が鳴ったらそっちの指を差し出して酸素濃度を測る。
この看護師さんと連携した動きが無意識にスムーズになっている。

12:00
昼食。昨日空室になった隣の部屋に、新しい人が入ってきた。
先生の説明ひとつひとつに怯えてて、心配になった。
日当たりの良い窓の一番近くのこの部屋が好きだけど、今日はかなり暑い。

この日は特に新しいことはなかったのだが、かなり本来の自分を取り戻してる感覚があった。
TVer流し見しながら本を読むとか、ずっと音楽をきくとか、普段してることが「体に情報を入れたくない」みたいな感覚で拒絶感があったんだけど、自然にしたいと思えるようになっていた。

18:30
夕食で出た3つの唐揚げにテンあげ。

20:00
いつもの測定の時に、看護師さんが「医学書院ですね!」と読んでいた本の裏表紙のマークに反応していた。
不規則で大変な毎日の中、もちろん勉強もするのだろうなあ。
この生活で、人間ってすごい、医者や看護師さんはもっとすごい、が大きな気づきかも。

11月10日  医者からみる体、私からみる体(入院6日目)

6:30
寝起きが悪く、1日中体調があんまりだった。
たぶん天気のせい。これも普段の感覚。
だから、天気の影響を受けられるくらい、元気だということだ。
さらに日頃から朝血圧低いのにこの時間に採血があってしんどかった。

今朝は、相部屋の患者たちの色々が重なっていそうで、看護師さんがちょっとバタバタしていた。
私は退院前の採血検査があったのだが、またもや私の血管がわかりづらさ発揮してしまい、手を煩わせてしまった。
私「血管わかりづらくてすみません」
看護師さん「いえいえこちらこそ2回刺しちゃてすみません」
という会話が、よくよく考えると意味不明だがなんだか嬉しかった。(再)

14:00
昼食後、診察室に呼ばれ、執刀医に退院前の診察をしてもらう。
出た…!足ぱっかーんの椅子でグリグリ…!
先生「椅子上げてる間におなかのテープ取っちゃいますね〜」
びりっびりっ 私「ひっ!!!」
先生「じゃ、経過みますからね」
グリグリっ! 私「(ちょっと急だったので)ひっ!!!」

なんかなんとなくだけど、医者からみる「体」と私からみる「体」って、根本的に違うのだろうな、と思った。

血液検査も診察の結果も問題なしということで、予定どおり明日退院できることに!!!
嬉しくはあったけど、この生活が今日で終わることはすこし寂しい、という感情がわいた。

食べることを楽しみにできるし、動画や本でいくらでも時間を過ごせるタチなので、入院生活としては全然苦ではなかった。少なくともあと2週間くらいはいけそうな感覚。

18:00
いつもの測定。手術直後に担当してくれたナースの番がきた。
痛かったね、ごめんなさいね、元気になってよかったよ。と言ってくれた。
大泣きしてて、声は覚えてたけど、顔をみてなかったから、元気な姿でまた会えてよかったよ。

11月11日 普通が難しい(退院日)

10:30
退院前の測定と書類の受け渡し、精算を済ませて退院。
両親に迎えに来てもらった。
この時点では、重い荷物を持ったり普通の歩き方は難しいので、手伝いがあったほうが安心。
ちなみにこの病院はコロナ対応がまだ続いていて、面会は週に1回1人だけ。
1週間の入院だと、まあいいかという気になって面会はしなかった。

私はこのまま車で実家に帰ったのだが、2時間くらいの車の振動がまあまあキツかった。
入院中からあった"内臓が動く感じ"というのが刺激されて、ずっと気持ち悪かった。

12:30
実家到着。
車を降りる時に傷が痛んだ。
はじめての階段は、ゆっくりなら問題なし。
実家は食事など地べた座りスタイルだけど、その体勢だと痛むので、椅子の特別席を用意いただく。笑

💊入院中、あるといいよグッズ

  • 2L水(3本で足りんかった。。)

  • 長い充電コードorモバイルバッテリー(寝ながら使える)

  • クッション(体勢変えるときの補助)

  • 温度調整しやすい服(病室しっかり室温と換気が管理されてるから快適で、私はずっと半袖Tシャツで過ごしてた)

  • ゆるめの下着とズボン(おなか締め付け要注意)

  • 自分の肌に合う洗顔(トラベル用で肌荒れた涙)

  • 長いストロー(起き上がれない時、楽)

  • 触る、見るだけで元気でるなにか笑(推しグッズのタオル推奨)

※ほか、病院からは案内があるはず

💊お金のこと

当初、中途半端なネットサーフィンで怯えていた入院費用ですが、高額療養費制度といって、1ヶ月に自己負担する医療費は年齢と所得によって限度が決められている。
ここに部屋をアップグレードした場合などの自己負担分が加算されますが、怯えなくて大丈夫。
下の表は健保だけど、私は国保で同様でした。
はじめて、国民皆保険制度の恩恵を感じた。。
あれだけの医療や看護をこれだけで受けられるんだもんな。。

表は70歳未満対象。詳細は全国健康保健協会HP参照のこと。

この制度を使うには、限度額適用証明書を市区町村でもらって提出するor 健康保険証(マイナカード)でのオンライン資格確認の照会への同意が必要なんだけど、後者は口頭で「はい」って言うだけだし、おそらく何も知らなくても窓口の人が聞いてくると思います。

あと個人でいわゆる保険にも加入している方は、窓口で保険用の「診断書」を依頼して後日取得、保険会社に申請して給付金を受け取れる。

さらにサラリーマンの方は、傷病手当を申請すれば受けられるはず。
個人事業主はこの恩恵を受けられない。。涙
就労不能保険
は入っとくべきだったなと知って検討中。

退院後

退院後1週間

私は個人事業主で自分で仕事を調整できたので、翌々日から休み休みの合計4時間くらいデスクワークをした。
背もたれ使って座って継続1時間くらい、寝姿勢での休憩を挟んでいれば、無理なくオンライン会議とかもできる感じ。

体力が不安だったので家の周りを散歩したが、2日目で1kmちょっとを1時間かけてゆっくりは歩けた。

週の後半、本来なら生理の予定日だが来ず、普段からあるPMSの状態がずーっと続いてるような不調感があった。
傷は姿勢によってたまーに痛むくらい。

退院後2週間

週のはじめには、普通の速度で歩けるようになっていた。
4kmを1時間ちょっとくらいのウォーキングもできた。

あと、傷を保護する薄いテープがまだ貼ってあったのだが、シャワーの時に自然と剥がれていって、傷とご対面。
臍内、臍下、左右の4箇所
1cmくらいの切り傷のかさぶたみたいになってて、思ったより目立たない。
もう少ししたら銭湯とか行っても、ジロジロみなきゃ気づかないかな〜くらい。安心。
これは医者の技術なのだろう、経験者の友人は臍の形が変わったと言っていた。
というかまず、この小さな孔から器具を入れて、腫瘍を取り出したって、すごすぎる。。。

人に迷惑かけるかもしれないと思い、なんとなく1週間は自粛していたのだが、せっかくなので地元の友達に声をかけて数時間のランチも余裕にできるようになった。

もう普通の生活が自分でできそうだな、と思えたので、週の後半、自宅へ帰った。
だがその夜、生理が1週間遅れてきて、ピルを中止していることもあり、重めの生理痛が突撃。リアルに3日間寝込みました。。
量とか色とかは、いつもとちょっと違う様子だけど、PMSっぽい症状だけ続いてちゃんと来るのかな?と毎日不安が募っていたので、きたことにはちょっと安心した。

診察

しばらくは月1回手術を受けた病院での診察を受けるとのことで、その初回。
取り出した腫瘍の病理検査結果は、MRIでの診断通り良性の皮様のう腫
手術中の画像をいくつか見せてもらいながら説明されたが、やはりよくわからなかった。
でも、この病理検査で悪性がわかり再度手術になった経験者の話をきいて、とりあえずこの日までは気が抜けないと思って構えていたので、やっと安心できたかも。

そして例の足ぱっかーん椅子で傷の確認とぐりぐりエコー。
生理でさらに嫌だな、、と思ってたので伝えて小さな抵抗をしてみたが、「大丈夫ですー!」と返されあえなくあの無抵抗の惨めな姿に。
生理でも大丈夫なんやあれ涙涙涙
術後の生理が酷いことについて伝えると、次回の生理からピルは再開してOKですとのこと…!あとちょっとの辛抱…!

なにはともあれ、検査結果、経過ともに問題なく、よかった!

💊退院後のNG(私が受診した病院からの主な指示)

  • 入浴やプールは再診日以降医師の許可が出てから

  • お酒は再診日から

  • 辛い物、脂っこい物、乳脂肪を多く含んだ物も避ける

  • 仕事や旅行は2〜3週間を過ぎた頃から(ただし無理をしないように)

  • 自転車、バイク、車の運転は1ヶ月過ぎた頃から

  • 性生活は3ヶ月を過ぎた頃から

さいごに

超大作にお付き合いいただき、ありがとうございました。

これから経験するよって方、すべてがうまくいきますように、祈ってます。
聞きたいことがあったり、聞いてほしいことがあったら、何かしらの手段で話しかけてください。

経験する予定がないのに私の追体験をしていただいた稀有な方。
もしあなたや、あなたの周りの方に今後その時がきたら、ぜひまたここを訪れてみてください。

この体験、まじで想像してた以上に大変だったなあと思います。
ないにこしたことはないし、あるなら若いにこしたことないと思う。
なので、健診いきましょう。
健診アンバサダーに、俺はなる!!!

とはいえ、経験してしまった今は、医療とか保険とか自分の健康とか、この年齢でいろんなことを考えざるを得ない機会を得たことは、人生の大きな財産だなと思ってます。
なにより、生活面、精神面、金銭面を当然のようにサポートしてくれた家族だったり、言葉や自らの経験などあらゆる方法で力を授けてくれる友人の存在の有難さに気づくことができました。ありがとう。

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