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【別れ】バーバラが教えてくれた事

バーバラが亡くなったと叔母から連絡が入った。

あのバーバラが。
そりゃそうか。
当時、もうすでにかなりのおばあちゃんだった。

今日は哀悼の意を込めて、バーバラの話をする。
そして、私たちと彼らの死生観の違いについて。

え?重い?

大丈夫。重たくならないように頑張る。
バーバラのためにも、ちゃんと仕上げなければ。


私が初めてバーバラに会ったのは、中学2年生の冬だった。バーバラの話をするためには、まず叔母の話をしないといけない。

私には生まれた時から一緒に住んでいる叔母がいる。叔母は父の妹で独身。彼女の実家でもある我が家でずっと一緒に暮らしていた。祖父母、両親、叔母、兄、そして私の7人家族だ。

叔母は、なんだか知らないけど、私が物心ついた時から外国風を吹かせていた。
イギリスに留学してたとか、海外を飛び回っていたとか、理由はなんかよくわかんないけど、とにかく叔母は英語が堪能で、叔母の部屋には織と染めの道具、そして外国の本や置物がたくさん並んでいた。

そんな叔母とひとつ屋根の下暮らしていたため、私は「メリーポピンズ」や「サウンドオブミュージック」を擦り切れるほど(必ず字幕で)見せられ、ディズニー映画を「日本語吹き替えで見たい」と訴えても一切認めてもらえず、自由の女神像を「あれはスタッチューオブリバティーだ」と言わされて育った。
昔からなぜか英語を身近に感じ、「自分は英語が得意なはずだ」と根拠もなく信じていたのは、そんな叔母の影響が大きい。

私が小学生の時、当時30代後半だった叔母は突然アメリカのオレゴン州に留学した。

中学2年の冬休み。
私はオレゴンにいる叔母を訪ねた。当時、まだ小6だった従妹と、たった2人で渡米した。
北海道からまず飛行機で東京へ行き、親戚に助けられて羽田→成田へ移動し、2人で手を繋いで国際線に乗り、なんとかオレゴンまでたどり着いた。
行かせたうちの母と従妹の母もすごいが、中学生と小学生が、スマホもない時代に、たった2人で無事に海外まで行ったことを評価して頂きたい。よくがんばった私。そして、従妹。

叔母はオレゴン大学に通いながら一人暮らしをしていた。なので、3週間叔母のアパートに滞在するというのが目的。旅行とは違う、短い間でも「外国で暮らす」という体験は、確実に私の人生を変えた。叔母よ、ありがとう。

その叔母が「アメリカの母」と慕っていたのが、バーバラである。

バーバラはアメリカ人のおばあちゃんで、背が小さくとっても細い。
金髪のふわふわヘアで青い目。かわいらしい見た目とは裏腹に、ヘビースモーカーで、声はガラガラ。ベッコベコのバンを乗り回し、マナーの悪いドライバーには大声で悪態をつく。そして、悪態をついた後には必ず私たちに小さな声で謝ってくれる、そんなおばあちゃんだった。

バーバラの家は平屋で空き部屋が多く、そこにいろんな国の留学生が下宿していた。
叔母はバーバラの家には下宿してなかったが、市内にはバーバラにお世話になった日本人たちや、クリスマスやイベントの度になぜかバーバラの家に集まる”バーバラチルドレン”がたくさんいて、叔母もその一人だった。
バーバラは信じられないくらい、誰に対しても愛情深く、献身的で、その分みんなに愛されているおばあちゃんだった。

中2で初めてバーバラに会い、その3年後。
高2になった私は、今度はバーバラの家に1人で3週間ホームステイした。当時すでに叔母は帰国しており、今回は正真正銘の単身渡米。今度は一人、サンフランシスコの空港でオレゴン行の国内線に乗り継いだ。私、本当によくがんばった。

3週間滞在している間、バーバラは私を色々な所に連れてってくれた。海、山、湖、街。
いろんなご飯も食べさせてくれたし、いろんな話もしてくれた。
晩御飯のあと、タバコを吸いながら大声で笑って話すバーバラは、いつも楽しそうだった。当時、何をしゃべってるのかはほぼ聞き取れてなかったけど、とりあえず笑った。日本人の良くない癖だ。

ホームステイのあと無事高校を卒業し、私が大学生の時に、今度はバーバラが日本一周の旅にやってきた。

日本に帰国して様々な分野で活躍しているバーバラチルドレンを訪ねる旅だ。
うちの北海道の実家には1か月近く滞在していた。叔母はともかく、英語をほぼ話せない両親はどうやってコミュニケーションをとるのかと心配していたけど、そんな心配は無用で、両親は小さじ一杯ほどしかない英語力と、人見知りとは無縁の天性のコミュニケーション能力と積極性で、信じられない程バーバラと打ち解けていた。なんなら、母はバーバラと二人でご飯を食べに行ったりしてた。英語が話せないのに、謎。

バーバラが東京に来た際に、私も久しぶりにバーバラに会った。バーバラは、年は取っていたものの、めちゃくちゃ元気だったし、よく歩き、よく食べた。
そしてその日、バーバラと付き添いの叔母を、当時兄と暮らしていたアパートに泊めた。
その夜は、叔母とバーバラと兄と私で遅くまで戦争や平和といったディープな話題について議論したのを覚えている。最後、気が付いたら、兄とバーバラは二人きりになって話し込んでたらしい。ちなみに兄は英語が全く話せない。どうして話せてたのか、謎。

翌日、次の滞在先へ向かう叔母とバーバラを、池袋駅で見送った。それが、私がバーバラに会った最後である。

あれから20年。
叔母は電話やメールで連絡を取り続けていたので、入退院を繰り返すバーバラの様子は耳に入ってきていたらしいが、ついに先日バーバラの娘、ローリーから叔母に電話がかかってきた。

バーバラが危篤だ、と。

病院の先生には、もって1~2日だと言われたらしい。会いたい人や知らせたい人がいるならなるべく早く連絡したほうが良いと言われたので、連絡している、という話だった。

ローリーは言う。
「意識はないけど、こちらの言葉に反応する時もあるから、きっと声は聞こえてると思うの。いまベットの横にいるから、バーバラに話しかけてあげて。」と。

叔母は話かけた。
あなたは私のアメリカの母です。本当に感謝している。愛してます。本当にありがとう、と。

ローリーは続ける。
「大丈夫よ。
もう、バーバラは神様の手の中にいる。
痛み止めも打っているし、痛みや苦しみはないとドクターは言っているから、私たちは本当に安心している。だからあなたも安心して。大丈夫。もう彼女は神の元に行く準備は出来ているから、あとはその時を待つだけ。だから大丈夫。」

それを聞いて、私はびっくりした。
日本で、そんなこと言うだろうか。

もし自分の母が危篤だ、となったら、
「がんばって!もどってきて!」とか言っちゃいそうじゃないか?それに、危篤の人を横に「大丈夫。亡くなる準備は出来ている。」なんて言ったら「何言ってるの!諦めないで!」とか言われそうだし、それってやっぱ日本ではタブーだし、言っちゃダメな気がしちゃう。

でも、彼女たちは前提としてまず敬虔なクリスチャンで、日本みたいに無宗教でなんとなく周りに合わせて過ごしている人が多い国の、私みたいになんとなくその場その場で宗教が変わっちゃう人間とは、そもそもやっぱり考え方がちがうのかもしれない。

病状がいくら悪くても、どうにかして死なないように最後まで医者も家族も手を尽くし、回復を願うのが普通だと思っていたし、万が一危篤でも、もう亡くなりそうだとは口に出せない私たちと違って、「大丈夫、神様の下に行く準備は出来ているから」というバーバラの娘さんの言葉と考えに、私はやっぱり驚いた。

どっちがいいとかわるいとかじゃない。
これは、文化と価値観の違いだ。

でも、私は家族や遺された人の、死の受け入れ方としては、やはりバーバラの家族の考え方のほうが、非常に穏やかな気はした。

私も、いつか来るべき家族の死を、そんなふうに穏やかに受け入れられるのだろうか。きっとそんな簡単ではない。

もちろん、アメリカ人の皆が皆そんな考え方ではないだろうし、すぐに受け入れられない事だってあると思う。それでも、そんな、自分の価値観とは違う死生観に触れて、私は、そんな考え方もあるのかと、ただ驚いたのだ。

それから2日後。
バーバラは旅立った。

訃報を聞いて、私も叔母も穏やかな気持ちでいられた。

「残念だね」とか「悲しいね」よりも、
「そっか、バーバラは神様の元に行ったんだね」と思う事が出来た。

これは、本当に気持ちが違う。
一瞬クリスチャンになるのも悪くないかも、と思った。

人の死を乗り越えることは簡単ではない。
遺された家族は尚更。

それでも、まぁ、多分私はこれからもクリスチャンになることはないけど、そんな考え方もあるということに触れられただけでも、きっとこれからいつか直面することになるだろう「死」とすこしは向き合うときの心の支えにはなるかな。

結局、重くなっちゃった。
仕方ない。

バーバラありがとう!
天国でも、たくさんピザ食べてたくさん炭酸飲んで、たくさんタバコ吸ってね!!

感謝をこめて。

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