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言葉の蛇口〜子育て・会話のない世界〜苦しみの分だけ受けとめているもの

 うちで料理なんかを手伝ってくれているA子さんが、1人のお母さんを連れてきた時の話しね。そのお母さんはまだ7ヶ月の赤ちゃんを連れてきたわ。とってもかわいい女の子だった。お母さんもきれいな人でね、雑誌やテレビから出てきたみたいな親子だと思った。赤ちゃんはよく寝ていたから、大人だけでゆっくりと話をすることができたのよ。しばらくは、子育ての喜びを話してくれていたんだけど、2杯目の紅茶を出したぐらいから、子育ての悩みを話し始めたの。
 「こうして、ゆっくりと話しができることがとても久しぶりのように感じます。人に話すのも、人の話を聞くのも。この子が生まれてからずっと、会話のない相手と向き合ってきたから。赤ちゃんなんだから、それが当たり前なんだっていうことは分かっているんだけれど、会話がない世界って初めてだから、時々、全てを奪われるような気がして怖くなるの。いくら優しく話しかけても、どれだけ愛情を向けても、何も返ってこないから。もちろん、嬉しそうにしてくれたり、笑ってくれるし、それはとっても嬉しいんだけれど、泣き続けることもあるでしょう。泣き叫ぶ声を聞いていると、逃げ出したくなるの。こっちも叫びたくなる。『泣いている理由を話してよ!』って。でも、それは無理だから黙らせたくなるの。こんな気持ちも話せないから、余計に辛くなってしまうのだと思う。A子さんに連れ出してもらって本当に良かったです。こんなにゆっくりと会話を楽しむことができて、少し気が楽になったわ。」
 この話を聞いて、A子さんがこんなことを言ったの。
「私は、もう子供が高校生だから泣き声に悩むことはないわ。
 でもね、会話のない相手と向き合っているのは同じかもしれないわね。
 全然、話してくれないんだから。何が不満なのか、いつも不機嫌そうなの。
 ご機嫌をとるのも馬鹿らしいから、こちらからも話しかけないけどね。
 ただ、今の話を聞いていて自分もそうだったなぁって昔を思い出したわ。
 時々、電車で赤ちゃんの泣き声が聞こえてくることがあるけれど、可愛いなとか元気だなって思えるのは、あの泣き声は私に向けられたものじゃないからなんだろうね。次の駅で、にっこり笑ってお別れすることができるんだから。
 お母さんは、赤ちゃんの泣き声が自分に向けられたものだって分かっているから苦しんだよね。知らん顔はできないし、聞こえていないフリをすることもできない。何をどうしたって、泣き止んでくれなかったりもするから、それこそ立ち尽くしてしまうようなこともあるわよね。うちの子もよく泣いたから。
 少し偉そうに言うとね、子供の泣き声を受け止めるのって押しつぶされそうなぐらい苦しいことだけれども、それぐらい大きくて重いものを受け止めているんだって考えてもいいんじゃないかな。投げ出すことも逃げ出すこともしなかった分はしっかりと伝わっているのだと思うわ。
 それぐらい自惚れておかないとやっていられないじゃない。」
 お母さん、嬉しそうに笑って聞いていた。何度も頷きながら、きれいな涙を流していたわ。
 ちょっと疲れていたみたいだったけれどもきっともう大丈夫よね。


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