見出し画像

だから第三の地球が人間で溢れている。

人間は迂闊。この世に自ら願い出て生まれさせて貰った身であり乍らも、自分の迂闊さに気付かぬまま生き、死んでいる。迂闊とは、注意が足りず、ぼんやりしていること。物事の事情に疎いことの意。厄介なのは、自分が迂闊であるという自覚が無いだけでなく、自分は注意深く、真面目に、正しく生きていると根拠なく信じ込んでいる。人間社会においてうまくやれているように見えて、実相から見れば、その思いの落差たるや甚だしいことを推して知るべし。この実相との思いの違い、深さへの誤認、厳しさへの甘さが、苦界であるこの第三の地球において、またやり直しの憂き目に遭うことになる。人間は、いつまでこれを永遠と繰り返しているのか。この迂闊さから発生する微悪が、大したことが無いように見えて実は、大した事となる。例えば、人間、煙草の吸殻や飲んだ器を道端に平気で捨てる。障害を負った人、病気で弱った人、道に迷っている人が困り果てている様子を見ても手が差し延べられない。約束事を平気で破り反省するどころか他の何かの所為にする…。自分が心底、助けてほしい時に何も起こらないのは、己の迂闊さから積み重ねた微悪の山に気付かず、その清算をするどころか、放置するままに、いい加減にのんべんだらりと生き続けているからだ。真から反省し変われる人間は、極少なし。だから第三の地球が人間で溢れている。そのことを肝に銘じ、自分の迂闊さを自覚し、猛省し、性根を入れ替え生き返ります。有難う御座います。

幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者