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第8夜 貴腐ワイン誕生す 大井一郎さんと上越・高田の雁木通り

 主として酒場で会う人がいる。酔いに任せて雑談を交わすと、話題も経験も豊富。どう見ても、ただ者ではない。豪雪地新潟県上越市のバーで時折、ご一緒した岩の原葡萄(ぶどう)園元社長、大井一郎さん(故人)はそんな人だった。
 それは1990年代半ばのこと。私は、地方紙新潟日報の上越支社に勤務していた。大井さんは当時、60代後半。サントリー山梨ワイナリー=後に登美(とみ)の丘ワイナリー、山梨県甲斐市=の所長時代、日本で初めて貴腐(きふ)ワインの醸造に成功した人だ。岩の原葡萄園の社長を退いた後も、山梨の自宅から時々、上越にやって来ていた。
 私が顔を合わせるバーは、高田の雁木(がんぎ)通りにあった。雁木とは通りに面した軒からひさしを長く出し、その下を通路としたもの。雪国の知恵なのだが、「雁木がずっと続いているので、はしご酒をしてしまう」と笑っていた。かばんにワインボトルを入れ、居合わせたお客に振る舞うのが常だった。「登美の丘」や「登美」は、そこで初めていただいた。
 「ワイン造りは、気象との闘いなんですよ」。大きな目をクルクルさせ、大井さんは楽しげに話していた。何とぜいたくな時間だったことか。きちんとメモを取っておけばよかったと、今になって思う。
 このコラムを書くために、大井さんの著書『貴腐ワイン誕生す』(東洋経済新報社)を読んだ。貴腐ワインは、糖度が極めて高くなった「貴腐ブドウ」で造る希少な甘口ワインだ。75年、山梨ワイナリーで灰色カビ病のボトリチス・シネレア菌に侵されたブドウが見つかった。この菌は特定の条件を満たした場合のみ、ブドウを「貴腐化」させる。当時の貴腐ワイン産地は、ハンガリーやドイツ、フランスの一部地域くらい。新たな産地は百年に一度程度しか出ていなかった。
 感染したブドウを切って焼却するか、幻の貴腐ブドウに賭けるか―。大井さんは苦悩する。初めて収穫できた時は「死んでもいい」と思ったと記しているほどだ。後に「貴腐の雲」と呼ぶ雲の発生など、複雑な気象条件がそろったことが貴腐ブドウ誕生につながったという。試行錯誤をしながらワイン造りに挑む過程はまさに「プロジェクトX」。全身全霊でブドウに向き合う姿が伝わって来る。
 詳しくは著書を読んでいただければと思うが、私が好きなのは最後の場面だ。大井さんは収穫を終えたブドウ畑を歩き、1枚の葉を拾って語り掛ける。
 「よく頑張ってくれたね。でも、おまえは寒い冬の間じっと芽の中に隠れ、やがて夏の炎暑の中で焼かれてきたんだね。苦労をかけてしまったな」
 (写真は上越市北方=きたかた=にある岩の原葡萄園のブドウ畑。♥好きを押していただくと、猫おかみがお礼を言います。下の記事では、大井さんが世に出した岩の原ワイン「深雪花(みゆきばな) 赤」の物語を紹介しています)


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