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災害とともに〜サービス提供責任者のお仕事

発災から、1ケ月以上経ちましたね。
能登半島では、ようやく仮設住宅の話も出てきているようです。

避難所から、新しい環境へ移っての介護生活は本当に大変です。
まして、仮設住宅は狭い。
東日本大震災の時は、必要に迫られ2人家族に一間しか与えられなかったという事例があります。
85歳の母と娘の2人。
優先度の高い人から、仮設住宅を選定されたため文句も言えず…そこから災害公営住宅ができるまでの数年そこでの生活です。

また、仮設住宅へ家族で移ってから関係性が悪くなり別居生活になった事例もあります。
それだけ、被災した家族のストレスはすごいのです。
サービス提供責任者の私も、仮設住宅の一員でしたから…そのストレスや不安は計り知れないものがありました。

家がなくなったという不安や喪失感は言葉にできないほどでした。

そこに、狭い環境。
コミュニティの変化。
馴染めない関係。
また、そこにはお金の問題がからんできます。
福島県は、原発の影響もあり補償や賠償金など感情が目に見えるようになります。
また、家族を失ったとしても保険金が入ったなど心無い言葉も飛び交います。
これが、本当にきつい。

だから、仮設住宅へのヘルパー派遣は神経の使うものでした。

利用者から発せられる言葉は、日を追うごとに重くなります。
震災別居となると、今度はキーパーソンの変更とか連携を変えなくてはなりません。

どうか、自治体の皆さんは仮設住宅へ移ったからやれやれと思わず息の長い、また深刻になっていくコミュニティなどに目を向けて欲しいと思います、

そこに支援に行く方々も、自分を含めた心のケアを意識しながら訪問してほしいと思います。

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