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お菓子づくりが楽しくなってきたわけ。

ボクの本業は焙煎士であるのだけれど、お菓子も自分で作っている。
小さな個人店は、なんでも自分ひとりでしなければならないのだけれど、そこに面白みがある。

しかし、ある時期からお菓子づくりが苦痛になり、新型コロナが蔓延したタイミングでお菓子づくりを一旦は辞めてしまった。
その理由は、今まで使っていた一般流通しているレベルの材料では、特に卵と乳製品に臭みをキャッチするようになってしまい、もうそういった材料でお菓子を作りたくは無いと感じてしまったことからだった。
これはテイスティング・スキルの副産物でもあるのだが、劣るエサを与えた場合に生じる臭みを感じてしまうようになってしまったからだ。今の時代は一般流通しているものにはすべてと言ってよいくらいその臭みが登場してしまっているのだ。
良いものが分かると言うことは、劣るものも分かってしまうものである。
ただし、ほとんどの消費者は味覚寄りの口の中の感覚で美味しさを捉えているため、香りの良し悪しは美味しさの判断には介入していないので、そこが分かる人も極端に少ないことも理解をしている。
だが、ボクの場合は気づいてしまったものに対してそれを使い続けることはもうできなかっただけのことである。

だけれど、なぜまたお菓子づくりを再開したのか?
それは、ボクは食べることが好きな人間なのだが、心から感動するお菓子を口にすることが、もうほとんどと言ってよいくらい存在していない。
それは、お菓子づくりにおいて一部の材料にだけ良質な素材をこだわって使ったとしても、使われているその他の材料の一部に劣る素材があった場合に、劣る素材が全体のポテンシャルを落としてしまうからなのだ。すると一部の良い材料も、それを使う意味を曇らせてしまうことになってしまい、それでは心にまで届かないものとなってしまっている。
ボクはモノづくりの人間でもあるので、それならば、ボクが今の感覚を使って厳選した素材を一から見つめ直し、ひとつひとつの材料を吟味し厳選した材料をすべて使ったお菓子を作ろうと腹を括ったのです。
そうすれば、良質な素材選びから始まる心に届く美味しさを作ることができるのだとそう思ったからなのだ。

そして、自分が納得をした材料だけを使って作るお菓子づくりは、ほんと楽しいことに気がついた。
そして思い出した。
ボクが以前の職場ではじめて良質なスペシャルティコーヒーをローストしてカッピングした時のことを。
良質なコーヒーって、こんなに美味しかったんだ。と。
だからスペシャルティコーヒー専門店をやりたかった。
そしてそれは、お菓子づくりでも同じなんだと。
だから、作り手が楽しんでいないものは、やはり苦痛でしかないし、きっとそれは消費者にも伝わってしまうものなんだと思うのだ。

お菓子づくりの道。

お菓子づくりは、元々は軽い気持ちで大阪の辻製菓専門学校に入ったことがきっかけだった。
だが、学校でお菓子づくりを学んでいくうちに、もっとシンプルで奥が深いことを仕事にしたいと思うようになり、コーヒーの焙煎にたどり着いてしまった。

なので、自分のお店を持つようになるまでは、ずっとお菓子づくりからは離れていたのだが、自分のお店を持ったことで「せっかく学校にまで行ったのだから」と、お菓子を提供する「Specialty coffee & Sweets」という運営の2本の柱でやっていこうと思い、自分のお店を始めた背景があった。

そして、学校にわざわざ高い授業料を払ってまで行った理由は、同級生の存在があるのだと今では思っている。
お菓子づくりから離れたボクだが、同級生の存在が助けてくれたのだ。
ボクが自分のお店を始める前に、同級生だった友人は、神戸の御影や横浜でお菓子づくりの修行を積んでから三重県松阪市の家業を継いで「お菓子茶屋・1010番地」というケーキ屋さんを始めていた。
松阪市ではとても有名なケーキ屋さんである。

ボクは専門学校を卒業してからは、お菓子に携わることもなかったため、自分のお店を立ち上げる際に、友人に頼んで、職業としてのお菓子づくりを1週間ほど見せてもらい、そしてレシピを頂いてきた。
学校で知っているお菓子づくりと、実際の現場でのお菓子づくりでは、製造から販売に至るまでの流れがあるし、そして実践的な作り方がある。それを体感したかったのだ。
だから受け入れてくれた友人には、本当に感謝をしている。

そして、コロナ禍になるまでの18年間ほどお店の喫茶コーナーでお菓子を提供していたのです。
そして、徐々にお菓子づくりが楽しくなくなってしまった。

そして今年の春から、厳選した素材を選んだお菓子づくりをまた一から始めたいと思えるようになったという訳である。
すると、材料のひとつひとつが味づくりに意味があり、そのすべてが作った味わいに登場してきている事実を作ったお菓子が教えてくれていた。
あと、ボク自身も驚いていることは、良質なモノを組み合わせる美味しさには、相乗効果となって想像以上に心に届き感動する美味しさがあることに気づいた。
良質な美しいものを組み合わせるということは、想像以上に心に響く美味しさがあるということを自分が選んだ食材たちが気づかせてくれていた。
これは、コーヒーのローストには無い感覚だった。

振り返ってみると、当たり前のことなのだけれど、自分の感覚でその違いを感じられない限り、良質な材料を選ぶことはできないのだという事実。
スペシャルティコーヒーに出会い、テイスティングを学んできたことで、素材を選べれるようになったのだ。
この20年の取り組みがなかったとしたなら、ボクは今作るようなお菓子には絶対に辿り着けていないという事実。
今までの歩んできた道のりを、自分で作ったお菓子を食べて気づいたのだ。

レシピや技術的なものは数年で身につけることができる。
しかし、感覚を育て良いものを選ぶことは、強い意志と諦めない気持ち、そして人との出会いに気づくことができない限り成し遂げることは難しいのだと実感している。

良いものを作るということは、選べることである。
この意味は、果てしなく尊い。

そして、すべての材料を吟味する理由は、良質さは心にまで響くこと。
美味しいという感覚は幅広いが、心にまで響くものはそうそうあるものではない。



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