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短編小説 続編 「青と緑」

姉の記憶

外に停められた自転車はまだ真新しかった。
緑の誕生日に買われた自転車はまだピカピカで、誰もが羨むような可愛さがある自転車だった。真っ赤な自転車、タイヤも黒光りしている。カゴがついた自転車は誰もが羨むような自転車だった。当時、緑の父は見栄を張る事が唯一の生きがいだった。子供の持ち物にはお金をかけて、あそこの家は仕事で成功しているとでも思わせたいような買い物の仕方をしていた。いつも自慢の娘の緑に父はお金をかける事が喜びだった。家のまえに停められた真新しい自転車を誰もが通りすがりに羨む声が聞こえてきた。

私はそんな自転車が羨ましかった。年の離れた姉はいつも眩しい存在だった。いつも新しいものを買ってもらえて、いつも母と父に褒められている存在だった。父はそんな緑が自慢の娘で、ピアノが上手だった緑の自慢話をよく親戚にしていた。学校でも成績がよく、ハキハキとした性格に先生たちからも好かれ、誰も緑を悪く言う人はいないくらいだった。その点、私はまだ幼くて、手がかかると母は私にいつも頭を抱えていた。姉のものを何でも欲しがり、勝手に触っては怒られ、隠したりと誰からも怒られる子供であった。姉の靴を隠したり、教科書を破いたり、髪の毛を引っ張ったりと幼いながらに姉の存在にやきもちを焼いていたのかもしれない。それでも姉は私を嫌ったりする事なく、やられたらやり返してきたが、限度があった。私が泣けば困るのは姉だったから、姉は私を泣かさない範囲で仕返しをしてきていたのである。それでも優しい仕返しで、姉を超える事のない妹のことを思っての思いやりだったのかもしれない。

いつだったか、うっすら記憶がある。
私が保育園から脱走して家に帰ってきた事があった。昼寝時間、昼寝をしない私に先生は呆れ返っていた。どうしても眠たくなかった私は先生が手帳を書いている間、そっと保育園を抜け出した。鍵が掛かっていない門の扉があって、私が堂々と門から出ても誰も気がつかなかった。国道を歩いている私のことを見つけた近所のおじさんが手を繋いで私を家まで送ってくれたのだ。そんな時、母はとても怒って私を叱った。初めて顔を打たれたのはその時だったかもしれない。母は泣きながら私の顔を見つめ、一人で道を歩いてはいけない事を伝えた。車に轢かれて死んでしまう子が多いニュースをよく耳にしていた。しばらく母に怒られて泣いていた私も、保育園に母とまた歩いて行って荷物をもらってきた。

「藍ちゃん。先生、藍ちゃんがどこかに隠れてるかと思って、保育園の中をどんだけ探してもいなくて、これはお巡りさんに電話しなきゃと思っていたら、お母さんから電話がかかってきたの。もう怖くて震えていたよ。絶対に保育園からはどこにも行ってはいけませんよ。」と、強く怒られ、母と謝って先生の所に戻って荷物を取って帰ってきた。

姉は私の事を笑ってからかった。
「藍ちゃんまだ小さいのにそんな事するんだね。」「私だって思いつかなかったのに凄いね。」って。姉は笑いながら私の顔を覗き込みながら少し嫌味っぽく話してきた。その時の私は行きたくもない保育園に行って、化粧が濃い匂いのきつい先生と一緒に居たくなかっただけ。早く帰りたいから帰ってお母さんを独り占めしたかっただけ。保育園で友達といるよりも、家で仕事をしている母のそばいに居たいと思っていただけの事。それだけのことだった。母は少し困ったような顔をして、私と姉のやりとりを見ていた。冷蔵庫からプリンを出して来て二人で食べるように、テーブルに置いた。
姉は食器棚からお皿を取り出してきて、プリンをひっくり返してお皿の上に盛り付けて食べた。それを見ていた私も同じように真似がしたかった。お皿を取ろうとすると母に怒られ、「どうして藍ちゃんはお姉ちゃんの真似ばかりするの?」と怒られながらも、プラスチックでできたお皿を母に渡された。

母は、家で洋裁の仕事をしていた。大きな業務用のミシンを使って何個も同じものを縫っては箱いっぱい作っていた。家に私がいては母の仕事ができないのは分かっていたけど、どうしても保育園に行きたくなかった。
母の作業している隣で人形遊びをしていた。母の隣にいたいけど、母の邪魔はしないでおこうと子供ながらに思っていたのかもしれない。
母はよく、新聞に挟んであるチラシを使って着せ替え人形を作ってくれた。綺麗な色のチラシがあればとっておいてくれて、それを使って厚紙で作った人形に服を作る。ドレスだったり、ワンピースだったりいつも母は器用に作ってくれた。いつの間にかお菓子の缶の入れ物は着せ替え人形でいっぱいになった。それを使って良く姉と遊んでいたりと、子供の頃の私の記憶と辿ると母との思い出は沢山あった。そのお菓子の箱は私の宝物だった。

姉とは五つ歳が離れていた。私が五歳になれば十歳だった。明るい性格の姉はよく友達を連れてきた。賢い姉は本の朗読も上手で、ピアノを弾かせれば誰よりも上手かった。姉が得意になって弾くのはショパンの曲だった。母の繕ったドレスを来てピアノ発表会に出るのが一番の楽しみで、そんな姉の晴れ舞台を幼いながらに憧れて見ていた。私も姉のようにピアノが上手で、母の繕ったドレスを来て舞台に立ってみたいと。五歳の私にとって、憧れの眩しい存在は唯一姉だけだった。「私もお姉ちゃんみたいになりたい。」が私のいつも発する言葉だった。どんな時もお姉ちゃんと同じで、同じものを欲しがった。赤い自転車だってそう、姉が買ってもらった時に私は父に泣いて頼んだ。「私も同じ自転車が欲しい。」って駄々をこねて一人で泣いて、廊下で一人泣かされている時間が多かった。

父は自転車はまだ早いからと、絶対に譲らなかった。私はそんな父が大嫌いで、家出を考えるようになった。この家では私は愛されていなくて、みんながお姉ちゃんばかりを愛している。私なんていなくても誰も困らないし悲しまないって、テレビで野球中継を見ている隣で母がお茶を入れて団欒しているその横で、私は大きなカバンに荷物を詰めて家出をするふりをして玄関で不貞腐れていた。父はどうせいつものことだろうと見向きもしない。母も、娘のわがままに付き合いきれない顔をして、私に話しかけないようにしていた。そこでいつも話してくれたのは姉だけだった。
「藍ちゃん、また家出する気?」「外は雨だから今日はやめた方がいいよ。お家で遊ぼう。」と、姉だけが声をかけてくれた。素直に従って、大きな鞄を玄関に置きっぱなしにして姉と遊んだりしていた。そんな私を父と母はめんどくさい子だと思っていただろう。

姉のピアノ教室について行くのがとても好きだった。
「藍ちゃんも習いたいんだって」と姉が母に話してくれたことがきっかけで私もピアノを習えるようになった。いつもピアノは姉が占領し、姉のものだと言い聞かされたこのピアノを触ることが許された瞬間だった。私がいつも姉のピアノの練習の邪魔をしないようにと、ピアノのある部屋は鍵付きの部屋だった。姉はその部屋にこもっていつも練習していたのである。落ち着きのない私にはピアノは不釣り合いだからと、母は私にはピアノは薦めなかった。どちらかと言えば保育園でも運動ばかりしていたし、お歌の時間は退屈で違うことばかりしていたからだ。そんな子が落ち着いてピアノなんて弾くはずがないと思っていたのだと思う。

ピアノの先生がピアノを教えてくれた時、私の好きな曲を引いてくれた。アニメのテーマソングでノリのいい曲だった。先生の指はとても早く鍵盤を叩き、ピアノが太鼓のような打楽器のような感じに思えた。そんなふうに思うようになって、より一層ピアノに興味が湧くようになった。姉のピアノは流れるようで流暢で水が流れるような優しい音色だけど、先生が引いたテーマソングはノリが良くリズムがとてもよかった。私は一瞬にして先生の奏でる音楽の虜になってしまったのである。姉とは曲のタイプが違うが、先生はすぐ私のタイプを見定めてくれて、好きそうな曲を選んでくれた。それからというもの姉のピアノの時間の後は私のピアノの時間になった。姉と母は私のレッスンが終わるまで同じ部屋で待ち、私のピアノレッスンに興味があるようだった。こんなにのめり込む子がいただろうかと思うような目で母は見ていた。姉も私の上達に驚いて、一緒に伴走してくれたりとピアノの部屋に入ることを許されたのである。

ドア一枚向こうにいた姉存在が近くなった。

私と姉の歳の差は埋めることは出来ないが、姉と近くなれた気がした。
姉がコンクールに向けて猛練習している時に、皆の人生を変えてしまうような最悪な出来事が起こった。

家の前に停められた赤い自転車。夏休みに入った姉は友達の家で遊ぶ約束をしていた。練習が終わり、昼食を食べた姉は一時に間に合うようにと急いで向かおうとしていた。家の前に停めてあった自転車に乗って、家の門から出た瞬間、猛スピードで走ってきたバイクと衝突してしまったのである。家の前は狭い路地で、車が滅多に走ってくる事はないが、時々バイクが抜け道として通ることがあった。家の門を出た瞬間に姉はバイクと衝突して姉は自転車共々はねられ五メートル先の十字路まで飛んでいった。
昼食の片付けをしていた母は、物音を聞いて外に飛び出していった。そこで目にした光景に悲鳴をあげていた。姉の体は血まみれになり、赤い自転車は折れ曲がり、バイクは転がり運転手は頭から血を流していた。たくさんの人が事故現場に集まり、すぐに人だかりが出来てきた。玄関を開けっぱなしにしていた事で、私も家の前から様子を見ていた。只事ではない状況が理解できた、母が泣き叫ぶ姿が今でも脳裏に焼き付いている。
「緑。緑。緑。緑。緑。。。。。。。。」
どれくらい叫んだとしても姉は反応することは無かった、姉の体から流れる血液が母のエプロンを赤く染めて、母はそのまま救急車に姉と乗って帰ってこなかった。父は母が連絡して仕事場からそのまま病院に向かった。
私はこの日、初めて一人の夜を過ごした。

近所のおばさんが私のことを心配してみに来てくれたり、ご飯を届けてくれたりした。私を家に泊めようとするおばさんの話には応じなかった。頑なに泣いて拒む私の説得に疲れたおばさんは家に帰ろうとする。

「藍ちゃん、本当に大丈夫?ちゃんと戸締りだけはしなさいね。緑ちゃんが事故にあってしまったんだってお母さんから連絡あったからおばさん心配で、藍ちゃん、お母さんとお父さんが帰ってくるまで一人で大丈夫?おばんさん家に来るかい?」首を縦に振ることは無かった。一人でテーブルの下に籠りおばさんが帰るまで出ることは無かった。

玄関でおばさんが立ち止まって私のことを心配してくれている。
「いい。大丈夫」
小さい声で、返事をした。

家の中は静かで、私以外誰もいなかった。お父さんの野球観戦のテレビの音も、母が食器を洗う音も、姉が笑う声も、五歳の私には耐えられない無音の家だった。おばさんが持ってきてくれたご飯が食べられなくて、そのままにして降りた。

一人の時間は怖くて、悲しくて、寂しくて、どうしようもない気持ちを抱えきれなくて、声を出して泣いた。泣きすぎで声が枯れていく、電気をつけたままテーブルの下に篭って一人で泣いていた。母が帰ってきたのはその日の夜中だった、着替えをとりに帰ってきた。泣き疲れて泣いた私をテーブルから引っ張り出し、布団へ寝かせてくれていた。
その日の夜の出来ことは、今でも思い出す。母は私を抱きしめて、泣き続けていた。私は母の泣いている顔を見るのが辛かったから寝たふりをしていた。私が泣いたらお母さんが困るから、お姉ちゃんが家に帰ってこれるようにお母さんに嘘を付かなきゃ。


壊れた家族

あれから気がついた時には私の記憶の一部がない。
父はその時どうしたのだろう。母はそれからどう立ち直ったのだろう。

日々をやる過ごすうちに、時間だけが過ぎて行くようになった。
姉が居なくなり母と父の喧嘩をよく聞くようになった。家の中に埃が溜まり、母は少し無気力になっていた。父は仕事を辞めて家に居るようになった。ギャンブルに手を出すようになり、毎日パチンコか競馬場に通うようになった。
子供を失った時に何で紛らわすのかといえば、父はギャンブルで憂さを晴らすしなかなった。緑は良い子で父のかけがえの子供だった。ピアノが得意で顔立ちも良く、賢くて誰もが羨むような子だった。自慢の娘を家の前で失い、家から出るたびに心が締め付けられるようなそんな気持ちに迫られ、どうしようも無くなってしまったのだろう。母も同じように家から出るのが怖くなってしまった。家の生活は荒れ果て親戚がいつも両親を説得するように来るが、誰もが耳を塞ぎ、水中にこもっているかのようだった。

誰もが死んだ魚のような目をして、息が浅くなって、真っ赤に染まったリビングに倒れたままの父は泣きながらガラスを踏んで、痛みに悶える事なく破れたグラスを壁にぶつけた。

小学校から帰ってきた私は、リビングのガラスで足を傷めた。塞ぎ込んでいた母は、血で染まった真っ赤な靴下を履いている私をみて、正気に戻った。
「はぁ、瑠璃ちゃん。ごめんなさい。お母さん、どうかしてた。」

人は、溺れて息ができなくなると気持ちが生きるか死ぬかになって、目の前が見えなくなる。私は、日々をどのように過ごしていたかは分からないくらい一日が無駄に早く流れていった。ただ、ピアノだけは続けていた、両親が死んだ魚のように海の底に横たわっている間にも、私は音楽だけは続けていようと思った。死んだ姉の緑は何を望んでいたんだろう?と、ピアノが好きでいつも弾いていた緑の代わりに私が弾くことで彼女が報われるのなら私が彼女の代わりになって弾き続けようと思った。

母は貯金をやりくりし、親戚に借金したり、家の車を売ったりとお金を工面をしてきた。姉の保険に手をつける事だけは出来ず、ずっと手付かずだった色々なことを片付けていった。正気に戻った母は、色んなものを整理して家を出た。父は憔悴し、生きる希望をなくし、私の事や母の事が見えなくなっていった。父が家に帰ってくることが無くなってから、借りていた家を整理し、家を出た。父が帰って来るかもしれないと家をどうしようか最後まで悩んでいた母だったが、家賃を払うお金が底をつき、手放して祖母が一人で暮らす長野に私を連れて帰って行った。
姉が亡くなった家の前の十字路を見つめ、花を供えた。

「緑ちゃん、お母さんここから離れてしまうけど、ずっと緑ちゃんの事を思ってるからね。」

そう言いながら手を合わせて、しばらく母は目を閉じて動かなかった。

私と母が長野に行ってから父は山の中で首を吊っているのが発見された。

長野での暮らし

母は強い。母は強い。母は強いんだ。って心の中で思った。まだ幼かった私は母を抱きしめる事しかできなかった。母は大声を上げてその時に泣いていた、祖母が心配して見にきては母を抱きしめ包み込んだ。
「あんたはよく頑張った。よく頑張った。」祖母はそれ以上何も言葉をかけなかった、母の背中を優しく撫でていた。
姉の葬式に来た時に母のそばに寄り添っていたのも祖母だった。
子供を亡くした母親の気持ちを一番に理解していたのも祖母だろう。祖母も一人子供を幼い頃に亡くしていた。母には三つ離れた兄がいたが、母がお腹の中にいた時に熱病で亡くなったらしい。小さい子供を看取る事がどんなに辛かっただろうか、祖母の言葉には重みがあった。母が高校生の時に祖父を亡くし、それ以来祖母は母を一人で育てた。祖父が残した小さな家は平家で、景色いが良い小高い丘の上に立っている。日当たりがよく、洗濯物がよく乾く。裏には畑があって、祖母は毎日畑に行っては作物を作り、いつも野菜を送ってくれていた。母がお嫁に行ってから祖母は一人で家に住んで、家を守ってきた。

 私達が一緒に暮らし始めた二年後に、祖母は風邪をこじらせ肺炎で死んでしまった。長野の家に残された私と母は祖母の残した小さな家に身を寄せ慎ましい暮らしをしながら生きていた。人里離れた場所にあった祖母の家はバス停から十分ほど山の中に入ったところで、橋を渡って少し小高い丘に建っていた。夏になると蛍が沢山飛んで、川遊びができる気持ちいのいい場所だった。母は祖母の残してくれた畑を耕し、近くの学校の給食センターで働いていた。母と2人の暮らしは貧しいながらも、不自由は無く落ち着いた日々だった。小学生から始めたピアノは週一隣町の先生の家に一人で通ってピアノを続けた。記憶が少ない姉だけど、私にとっては特別な思い出でピアノが上手だった姉の思い出は脳裏に焼き付いて消えない。私の憧れのお姉ちゃんなのだから、忘れたくない。バスに乗ってピアノの先生の所まで行く途中、一人でいろんな事を考えた。私以外の人の人生。バスに乗っている人達の暮らし、家族、恋人、一番後ろから眺める人々の暮らし。そんなバスの時間が好きだった。

小学校、中学校、高校と母は一人で私を育て、従兄弟や友人から再婚の話をなん度も持ちかけられたが断り、自分の力で藍を育てようと決心していた。
ピアノの先生の勧めで、中学の時にピアノコンクールで金賞をとった。衣装は裁縫の得意な母が作ってくれた、地元の新聞に私の記事が載り、私はちょっとした有名人になった。中学から地元の高校に進学した。内気で、大人しい私の存在はクラスでもいつもかき消され薄くなっていた。でもその事がきっかけて友達が出来た。茜という名前の子だった。おかっぱ頭で、少し体格がよくて明るい性格の茜はいつも私と帰ってくれていた。茜は進路を藍に話すようになって言った、

「ねぇ、藍は進路どうするの?」「音大を目指すの?」
机の上に座って藍の方を見下ろしながら、紙パックのいちごミルクを飲みながら話しかける。茜が教室のドアに目を向けると、片思い中の中西雄太が入ってきた。彼は野球部で黒く焼けていて、坊主頭の似合う男子だった。
茜は雄太を見ると、赤くなって椅子に隠れて座るように縮こまった。そのやり取りを見ているのが好きだった。
「ねぇ、藍はどうするの?」
「私は、まだ何も考えてないから。お母さんにも何も話せてないし。」
いちごミルクを飲み干しながら、後ろを気になりながらも私と話をする茜。

「茜はどうするの?」「進学するの?」
「私は、だってあまり勉強好きじゃないし、なんなら就職もいいかなと思ってる。何を勉強していいか良く分からないし、やりたいことが見つからないから。早く結婚して専業主婦になるのも夢かな。」
と言いながら、後ろを振り返って雄太を見る。

そんな茜を見ながら私は、茜が羨ましくなった。今まで、ピアノ以外に何か夢中になった事なんてなかったから、ピアノ以外に取り柄なんてないし、何か私の人生に衝撃的な事が起こる以外に何も考えられない。そんな事を思いながら、日々を当たり前のように過ごして学生生活が一年過ぎて行った頃、図書館に行って本を借りに行った時に、出会った本が忘れられなかった。

たまたま新刊お薦め書籍のコーナーに置いてあった、一冊の作品集を開いた時に見た風景に衝撃が走った。フィンランドの森と空とオーロラの写真だった。極夜のフィンランドの写真を見た時に、藍はここだと直感で感じた。
私の行く場所はここなのかもしれないと、その時に藍は感じた。見た事もない景色、世界には自分の知らない場所が沢山あるのだと気がついた時に藍の衝動は抑えられなくなっていった。フィンランドに行くにはフィンランドにある音楽大学へ進学するのが近道だと感じていた。なんでこんなにフィンランドに惹かれるのだろう、私はそれが何なのか分からなかった。

嘘を付く

留学なんて母になって言えないし、ピアノで賞金をもらうか奨学金を借りるか方法が思いつかない。藍は隠れていろんな資料を取り寄せた、奨学制度を利用して留学する方法が見付かった。まずは音大に合格するしかないと、ピアノの猛レッスンをしていた。グランドピアノが置いてある音楽室を夕方学校が閉まるまで借りては課題曲の練習をしたり、担任の先生に進路をどうするのか聞かれた時に何とかはぐらかし、ピアノのレッスンに励んだ。
学校帰りにスーパーのレジ打ちのバイトをして、渡航費を稼ぐようになった。二年頑張れば何とか行けるはず。ピアノの世界で生きていくのは夢だけど、うちは母子家庭だからそんなお金は無いし、でも何とかフィンランドに行ってみたいから、とにかくお金は貯めないといけない。
そんな事を考えながら、月日は経って行った。母にちゃんと自分の事を伝えたいと思いながら、引きこもりがちな私は母とあまり話をしなかった。いつも部屋に篭り、母と顔を合わせないようにしていた。

母は、そんな私を心配して何度か向き合おうとしてくれていた、姉の緑が死んで、父が死んで、祖母が死んで、私まで母から離れようとしていると思ったら母は傷つくと思うと言うに言えなくなってしまった。朝早くから働き詰めの母になんて言っていいか分からず、さらに殻に篭ってしまっていた。
フィンランドに行きたい目的が、ピアノでは無いんだと気がついてしまった。ただ行ってみたい、暮らしてみたいだけのフィンランド。私は本当にそれでいいのだろうか?ピアノを諦めたい訳ではい、夢を続けるにはお金の問題がある。母子家庭ではお金の問題は解決できない。私はお金がかからない方法でフィンランドに行って、ピアノが続けられたらいいけど、それは無理そうだったから取り敢えず母にはピアノを続けたいと行って行くことが少し希望になるのだと感じていた。私の脳裏に焼き付いている青い景色。ただ、それが忘れられなくて、ずっと心の奥にしまっていた。一冊の本が誰かの心を動かし、運命を変えて行くなんて思ってもみなかった。こんな衝動に駆られる程の力がある景色、夢物語ではなくてその夢を掴みたいと思う私がいる。小説のように自分が自分の夢を綴っていけばいいのだと、写真集を眺めながら強く思う日々だった。

高校三年生の一月、母は冬休みで家にいる私の様子をみながら
「藍ちゃん、ずっと相談したいと思っていたんだけど、進路はどうするの?」
母はあまり干渉しないようにさりげなく語りかけてきた。強くいって私がまた部屋に塞ぎ込まないようにと距離を保って話しかけているのが分かる。この数年間、母の手伝いをしたりなるべく迷惑かけないようにしてきたつもりだった、あんなに我が蛾までおてんばだった私が長野に引っ越してきてから大人しい内気な子になってしまった事に母は心配していた。精神的なショックが大きいのかもしれないと母なりに気を使い、あまり悲しい事を思い出さないようにしていた。自分の事を話さないようになってから口数が減った私は、「まだ分からない。何も決めてない。」とそう言って、母の前から移動して自分の部屋に篭った。

居間に残った母は、一人寂しそうに肩を撫で落とし、お茶の湯気を見つめていた。母も苦しいのだろう、母だって心の傷が癒えていないのに、私のひねくれた性格のせいで母を苦しめている。自分でもわかっているのだけど、母の前では素直になれなかった。

学校が始まると茜が声を掛けてきた。
「ねぇ、藍。進路決まった?」「私は地元の建設会社の事務に内定もらった。」「このままこの場所で暮らすが一番だって思って。」「お母さんも、お父さんも喜んでくれからそうしようと思ってる。」
「藍はどうするの?最近ピアノ弾いてる?」

茜は相変わらず、明るく話しかけてくれる。雄太と高二の夏から付き合いだしたようで、よく二人でいる所を見かけるようになった。雄太と付き合いだしてからは、あまり二人で会うことは無くなっていた。
「雄太もね、地元の森林組合に行くんだって。あは。」嬉しそうに話していた。きっと二人はこのまま付き合って結婚して行くんだろうなと、藍は感じた。私には好きな人も居なければ、やりたい事もないし、どちらかと言えばこの場所から逃げ出したいと思うくらいで、母とずっと一緒に暮らしたいと思うことも無い。そんな自分は悪い子のような気がして、居心地が悪い。

「私は、まだ何も決めてないよ。」
茜には何も話せなかった。茜は口が軽いし、本音を言えば町中に噂が広まってしまう。茜の事はとても好きだったけど、本心を打ち明けるほどの強い繋がりではなかった。私はこうして誰の事も信用できないで、一人で生きるって思っているんだなと。自分の事も嫌いになりそうだった。

卒業間近になって、私の進路も就職も何も決まっていない事を心配した担任から母へ電話があった。引きこもりがちだった私は、学校も休みがちになっていった。幸い卒業はできた。そんな母は担任の先生に、
「藍は少し、体が弱いので、少しうちで静養させてから本人が進学したいか就職したいか決めてからにしようと思っています。本当にお世話になりました。」そんな事を話しながら、母は担任との会話のやりとりをしていた。

壁の薄いこの家は、自分の部屋にいても母の声が筒抜けだった。

ベットの上に横たわって、窓の切間から空を眺めていた。
こんなにも空は広いのに、私の世界は狭い。
我儘だった私は、自分の言葉を飲み込むようになった。何も伝えない、何も言わない方が平和に過ごせる。母を苦しめたくないと、子供の頃に誓ってからいい子にする事は何も感じなくなる事に繋がってしまった。ピアノだけが心の表現として心を唯一解放する手段だった。ピアノを無心に弾き、上手くなることよりもピアノを通して心に溜まったものを吐き出すのが好きだっただけなのかもしれない。姉の代わりになりたいと思っていたけど、私には無理だったのかもしれない。荷が重すぎて、私は緑にはなれないんだから。
高校生になって、ピアノから少し離れて自分という存在を見つめていた時に、出会った一冊の写真集。写真家がとった自然の世界。その場所がたまたまフィンランドだっただけで、それ以来その写真の虜になってしまった。
誰かに夢中になるよりも、その写真の一つの風景に釘付けになって、私の人生を変えていこうとしている。私は母に黙ってその運命にそび込もうとしている。母を泣かせることは覚悟の上で、私はその世界に飛び込みたいと思った。

人の人生は、一瞬で、線路の端を歩いているように脆くて、儚くて、誰かに助けてって一言いえればきっと誰かしらが手を繋いで助けてくれるのかもしれないけど、今の私にはそれができない。誰の手も繋ぐことができない。
側にいた姉の手さえも繋げなくなって、母の手を振り払ってしまった私を掴んでくれる手なんて無い。母に嘘をついて、出かけ、貯めた少しのお金を持って母を裏切ろうとしている。

新しい出発

春、私は一人、電車に乗って成田空港に向かっている。
母の仕事中に、数少ない荷物をカバンに詰めて家出する少女だとバレないように。公衆電話から母に電話をかける。

「お母さん、ごめんなさい。私どうしても海外で音楽を勉強したいの、だから自分で全部決めたの。」「だから、だからね、今から出発しようと思っているのよ」
電話の声
ー何言ってるの?藍。今からって?あなた今どこにいるの?ちょっと待ちなさい。ー
「大丈夫、少しはお金も貯めたから」「今成田、もうすぐ飛行機が出るのよ、お母さんごめんなさい。落ち着いたら手紙を出すから。」「もう電話切るね」

潔く電話を切って、後ろを振り返らず前だけを見る。私にはもう戻る家はない。母を捨てて一人で旅立つ。その場所がどんな場所かも分からないけど、私には一つの風景だけが脳裏に浮かぶ。

青の世界。

飛行機に乗り、小さく見える東京の街を見る
そこにあったのは灰色の景色だった。日本の街は灰色なんだってその時感じた。東京の人は他人に意識を向けず、前だけ見ていた。
なんだか自分と似ているような気がした。

飛行機の窓から見える山の方を見て
「行ってきます」と小さく呟く。

フィンランド上空近く、暗い空の中を飛行機は飛んでいる。
青白い空気の層の上に、緑色のオーロラが掛かっていた。
「緑」
ポロッと口から出た言葉に自分でも驚いた。
オーロラが緑だった。姉の緑と同じだった。瞬きをしない目から涙がこぼれ落ちた。姉は私を応援していてくれているような気持ちになれた。
この世界の色の層は、とても神秘で、私の心を溶かして行くようだった。
子供の頃に、母に嘘をついて気持ちを誤魔化そうと決めてから、凍ったままの心が少し溶けたように感じていった。

姉の緑が側にいてくれるようなそんな気持ちになった。
隣の席に子供の頃の緑が座っているようなそんな錯覚さえ覚えた。
「藍ちゃん、頑張りなさいよ。」そんなふうに言われているような感覚だった。隣の席に座っているのは私の姉の緑。空に見える青と綺麗な緑だった。
三月でもオーロラが見えるのだと機内が盛り上がっていた。
なんだか特別な時間で、勇気づけられた気持ちになった。
隣に座りにこりと微笑む幼い緑。
手を繋ぎ、窓から見える空を見つめた。

「お姉ちゃん、ありがとう」




あとがき
家族の絆とか、身内の死など、いろんなテーマが入り混じる中で
人は葛藤しながら成長していきます。この話は誰かの人生のほんの一部を切り取ったものだと思います。十人十色というように人それぞれに色々なドラマがあります。自分の大切な家族、親や子供が死んでいく。その家族の死を乗り越えるのには時間がかかります、その葛藤や苦しみをどうやったら乗り越えられるだろう?自分が乗り越えても他の人は乗り越えられなかったり、誰かを傷つけてしまったりとか、いろんな思いが交差します。まだ言葉で表現するのには不慣れなので、表現力が欠如していますがなんとか自分の書きたい話を書いてみています。まだまだこの「青と青」は続いていきます。藍がこれから出会う人々、瑠璃が出会う人々、聡子の想い。色んな人生に差し色を添えて、描いていけたらと思っています。拙い文章ですが読んでいただけたら幸いです。また続編もどんどん書いていきたいと思います。
ありがとうございました。

「青と青」はこちらからご覧いらだけます。

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