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【小説】  猫と手紙  第13話

第13話

僕は、胸の当たりがフワフワとしていた。

先ほどの夢の続きにいる様な、妙に現実感のない不思議な感覚だった。
僕はぼんやりと母と作ったカレーの事を思い出していて、スプーンを持った手が止まっているのに気付いた。

カレーを半分ほどたいらげた彼女がそんな僕に向けて突拍子のない発言をした。

「ねぇ、カレー屋さんになったら良いんじゃない?」
僕は、
「え?」
と言って顔を上げてみると彼女の目は真剣だった。
僕は驚き困りながら笑っていたが、一瞬自分の目頭が熱くなるのを感じた。

そして昔を思い出す様に、
「子供の頃……」
小さい声でそう言いかけて急に恥ずかしくなった。

彼女の耳には届かなかったのか、僕が何かを続けて喋り出す前に彼女は喋り出した。

「ねぇ、こんなのはどう?」
彼女は妄想の中のカレー屋の話をした。その妄想話はやけに詳細だった。
でも、とてもヘンテコだった。

両手を合わせて、首を横に動かしながら出迎える店主。
しかもそのヘンテコな店主は、どうやら僕らしい。
そんな出迎え方をする店主なんて見たことない。
先ほどまでの僕の恥ずかしさはどこかに行ってしまった。

酷い妄想話だったが、彼女の妄想話は普通をすっかり無視した、盛大な話だった。
たくさんのお店のアイデアを盛り込んでいた。サービスをしすぎる、その変な動きのカレー屋の店主の話は、とてもヘンテコで温かくて可笑しかった。

「そんなのもう、カレー屋じゃないよ」
と僕は少し笑いながら反論した。

彼女は、
「カレーを作って、それを食べるお客さんが来てくれたら、もう立派なカレー屋さんよ。そうでしょ?カレー屋じゃなかったら、何屋さんなの?」
とまた彼女はあの真剣な眼差しで言った。

カレーを提供するヘンテコな店主のお店は、カレー屋でしかなかった。
僕はクスクスと笑った。
「君の世界は自由で羨ましい」

僕の目頭は、やっぱり熱かった。

彼女はその後も話し続けた。
今度は僕にどういうお店にしたいか質問攻めだった。
どういうサービスをしたいかや、どんなものを飾りたいか熱心に聞かれた。
僕は彼女の様に想像を膨らませてみたくて考えてみたけれど、何も出てこなかった。

ヘンテコな店主の僕も、真面目なカレー屋の僕も、僕の中には自由に描けなかった。
キラキラとした笑顔で喋る彼女が、とても眩しく見えた。
僕の困りながら考える顔を見て彼女は満足そうに優しい笑みを浮かべた。


今までの人生は、人に勧められた事をしてきた。
何か特別僕が惹かれたからという訳でもなく。

仕事の事だけでは無い。着る服も、持ち物も、なんとなく選んできた。
自分が何を好きなのか分からなかった。
無難でみんなが良いという物を選んだ。

もう自分が、何が欲しいのか分からなくなっていた。
たとえ自由に選んで良いと言われても、どれを選び取れば自分に正解なのか僕には分からない。
 

僕は彼女の話を聞きながら昔の事を思い出していた。

僕が小学生の頃、親戚の叔父さんが家に遊びに来ていた。
鼻が高くて口髭を生やした、髪がちょっと長めの叔父さんだった。
近所に住んでいるおじさんたちと違って、個性的な柄のシャツに、クタっとした、短パンを履いていた叔父さんは、若い青年の様だった。

僕はお兄ちゃんみたいな存在の、その叔父さんが大好きだった。良く僕と遊んでくれていた。

叔父さんの口癖は、
「世界はヘンテコだから気を付けろ。お前が思っている以上に面白い」
だった。

僕はあの頃、叔父さんの言っている事の意味が分からなかったが、コクリと頷いていた。
僕はちょっと変な事を言う叔父さんも、面白い服でいつも遊びに来る叔父さんも、とても自由でカッコ良く見えて、家に遊びに来てくれると嬉しかった。

けれど叔父さんは、僕が中学に上がる頃に「世界を旅する」と言って、家に遊びに来なくなった。

彼女と過ごしてふと、その叔父さんの事を思い出していた。




その日から彼女は、カレーを作るときは度々僕の家に来る様になった。
あの日美味しそうに食べていた彼女を見て、帰り際に「また来ても良いよ」と、僕が言った。自分からそんなことを言った事に僕自身、少し驚いていた。
けれど、もう少し彼女のヘンテコで温かい世界に触れていたいと思った。

彼女といると、いつもの自分とは違っていられる気がした。

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