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三鷹の夢

太宰治と森鴎外のお墓参りを終えて、三鷹駅にくっついた本屋に寄って、本を2冊買ってしまった。

貯金をしようと思っていた矢先の出来事だった。

また調子に乗って本を買ってしまった自分を戒めたいのかなんなのか、朝飯も食べていない体をそのままに、スタバの(もっと安く済ませられたという後悔はもちろんある)アイスコーヒーだけで昼飯も済ませてしまおうと思った。


三鷹駅から中央線に飛び乗って、アイスコーヒー片手に、周りの目を気にしながら、ガタガタ震える電車の中でアイスコーヒーの揺れる氷が突然飛び出さないことだけを願っていた。

終点の東京駅まで行ってしまえばいいものを、アイスコーヒーが電車内で溢れてしまう映像がエンドレスで頭の中に流れるので、怖くなって新宿で乗り換えることにした。

線路は繋がっている。何度乗り換えをしようと、方面さえ合っていれば帰れることを私は知っている。


電車の中で、少し具合が悪くなっている自分に気づいた。

少し目をつむってみても、また、目を不意打ちのように突然カッと開いてみても、具合は一向に良くならない。

何駅もそうしていると、具合の悪い自分に飽きてきて、とうとういつものように太宰治の本を読み始める。さっき本を2冊買ったから、今日カバンに入っている本は全部で5冊になった。

正直重かった。カバンに任せていると、猫背になり、首を痛めるので、たまにシャンと背筋を伸ばして、カバンをお尻のほうへぐるんと回した。


顔を上げてみると、あと2駅で自分の最寄駅だった。まだ家に帰るには早い気がした。

まだ具合は悪く、立ち上がった自分は頼りなくフラフラとしている。なにが原因だ、と自分を責めることはしない。

おおかた、腹が減りすぎているのだと思う。それと、水分不足。

無理をしているつもりはないが、私は腹が減っていても、別にいいか、と放っておいてしまう。水分補給も、するのが面倒くさいと、こんな季節ですら思ってしまう。



さすがにおかしい、と思うほど自分はフラついていて、

気づくと私は、最寄駅の隣の駅で降りていて、その駅前にあるガストに入っていた!

店員が料理を届けに来てくれたが、どうも食べる気がしない。わがままな客だ。

料理は冷める。そのうち水分が私のように飛んでいきまくってしまって、カピカピになるだろう。


構わずnoteを書く。

文字を打つ。


太宰治が眠る(本当に眠っているのかわからない。酒でも飲みに毎晩出歩いていそうだ)禅林寺では、誰にも会いたくなかった。

1人の世界に浸っていたいというのもあるが、それよりも私は、お墓参りということをした経験が生まれてから今までほとんど無いので、それが他人にバレるのが怖かったのだった。

それに、明るい茶髪に赤い小さなピアス。体のラインが出る形の白いブラウスに、UNIQLOのジーパン。こんな格好で来ていいのかもわからなかった。


キョロキョロしながら墓地の奥まで進む。幸い人はいなくて、私は無事に、津島修治と森林太郎の墓参りをすることに成功した。ように見えた。

太宰治の墓の前で私は、日傘をさしながら座り込んで、じーっと墓石を見つめていた。何分経ったのか知らないが、地元の暑さに比べれば、三鷹の暑さは比でもないので、私はその場に座り続けることができた。

手を合わせて、ぶつぶつ独り言を言った。森鴎外の墓の前でも同様。


さ、帰りましょ。と立ち上がると、墓地の奥に人影が見えた。白髪の、白いポロシャツのおじいさん。禅林寺の管理人さんなのか?


見られていた。見ていたのだな貴様!いつから!いつからそこにいた!

と思いつつ、なにも口には出さず、(出せず)私は足早に禅林寺をあとにする。

ああいうのは、貴様!とか思うのではなくて、近寄ってニコニコ、挨拶すべきではないのかと思ったが、時すでに遅し。私はそんな他人との関わりを喜んで楽しむような人間ではなかったのだ。

そう。生まれたときから。


恥ずかしかったのだ。

恥ずかしかったから、つい本屋でも2冊も本を買ってしまい、朝食兼昼飯を、アイスコーヒーだけで済ませようと思ってしまったのだ。

そして体調を崩した。


料理をそろそろ食べよう。

大好きな鶏肉。


三鷹で見た夢の中で太宰は、墓の前で手を合わせる私の後ろで、実はずっと私の背中を見ていた。

人に会いたくないとか言いながら、そんな夢が正夢であったら、と、私は願っていたりするのだ。

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