「疲れたからファンタを飲んだ」は論理的か?

「疲れたからファンタを飲んだ」という文章があったとしましょう。これは論理的でしょうか?

ここでは、論理的とはどういうことなのか、論理的思考が重要だと思われているであろう「コンサルティング」「データ分析」「プログラミング」を生業にしている筆者なりに考えをまとめてみます。

注意:あくまでも筆者が考えていることを吐露しているだけなので、学問的、通説的な論理とは異なる可能性があります。

今回は論理的とはどういうことなのかを、まず筆者が好きな本から引用し、次に論理的なのかどうか怪しいものについてその論理性について考え、最後に論理的とはどういうことなのかを筆者なりにまとめる構成にしたいと思います。

目次

①論理的とは「意味が通じること」
②直感/感情/右脳は論理的か?
③空雨傘は論理的か?
④赤は長いは論理的か?
⑤CVが良かったは論理的か?
⑥まとめ:「疲れたからファンタを飲んだ」は論理的か?
番外編:記事を書いた理由

①論理的とは「意味が通じること」

「論理的」について、頭の良い学者たちやコンサルタントが色々な定義づけをしていると思いますが、筆者が一番シンプルでわかりやすいと考えている論理的の定義について、紹介いたします。

筆者が好きな本の一つは、「一分で話せ」です。この本の中では『意味がつながっていれば「ロジカル=論理的」』と考えよ、と述べています。

「雨が降りそうだから、手紙を書こう」は日本語の文法としては問題ないですが、雨が降りそうだからなんで手紙を書こうとしているのか意味が分かりません。

このように意味が通じない文章は論理的ではないというわけです。

②直感/感情/右脳は論理的か?

(筆者がそう考えているかどうかはまた別問題ですが、)直感や感情、右脳は論理的ではないというモノとして広く認識されているのではないかと筆者は推察しています。

しかし、そうとは限らないと筆者は思うのです。上の定義『意味がつながっていればロジカル』に沿えば、意味が通じていれば感情的であろうと右脳的であろうと論理的になりうるのです。

例えば、「悲しいから、涙を流した」。「良いと思ったから、その商品を買った」という文章があったとしましょう。これは意味が通じない文章でしょうか?意味が通じますよね。

一つ目の文章は、悲しい(という感情)から、涙を流した(悲しいという感情の身体的な反応として涙がながれた)ということですから、意味が通じています。つまり論理的です。

二つ目の文章も、良いと思った(右脳的な直感による判断)から、その商品を買った(直感による判断に基づいてアクションを起こした)ということですから、こちらも意味が通じています。つまり論理的です。

このように考えると、論理的とは言われることが少ない(と筆者は偏見を持っています)直感や感情、右脳も論理的足り得るのです。

③空雨傘は論理的か?

コンサルタントやビジネスマンの中で「空・雨・傘」という思考のフレームワークを聞いたことがあるでしょう。説明すると、次のように、事実と解釈、解釈に基づいた行動を整理するためのフレームワークの比喩としてよく使われています。

  • 空:空が曇っている(事実)

  • 雨:雨が降りそうだ(解釈)

  • 傘:傘を持っていくべきだ(行動)

文章に直せば、「空を見たら曇っており、雨が降りそうだと思ったので、傘を持っていくことにした」といった形になります。意味が通じているので、論理的ですよね。

ちょっと待ってください。

本当にそうでしょうか?

雨が降りそうだと思ったから傘を持っていくことにしたのはなぜですか?傘でなくとも雨合羽でも良いじゃないですか?外に行くのをやめるという選択肢もあり得ますよね。

また別の観点でこのアクションを取るのが誰なのかを考えると、イギリス人は雨が降っても傘を差さないという話を聞くので(筆者は半年ロンドンにいたことがあるので、これが本当であることを経験的に知っていますが、一般的にもそのように言われてますよね)、雨が降りそうだと思ったから傘を持っていくとは限らないのではないだろうかという疑問が湧きます。

なぜ傘を持っていくと判断したのでしょうか?このように考え始めると、空雨傘が論理的なのかどうか怪しいと思いませんか。

さらに言えば、雨に濡れたって良いではないですか。なんで濡れちゃダメなんですか?

筆者が思うに、この「空雨傘」フレームワークには一つ大きな前提が隠れていると思います。それは、『雨に濡れたくないけど、外出しないといけない』という前提があると思います。

この前提を加えると、「空を見たら曇っており、雨が降りそうだと思ったので、雨に濡れないための手段として、傘を持っていくことにした」となれば、傘である必要性はないものの、雨にぬれても良いという大前提に対する疑問への解答ができ、意味が通じる文章となります。つまり論理的になりました。

まとめると、論理的であるためには、前提が共有されていないといけないということですね。

④赤は長いは論理的か?

「赤は長い」は論理的でしょうか。そのまま読むと、「赤という色が長い」意味の文章になりますよね。意味が分かりません。非論理的です。終わりです。

ウソです。終わりません。

物理に詳しい人ならわかると思いますが、可視光線の中で赤は一番波長が大きい(長いという表現をすることもあります)ということを知っていると、「赤は長い」という文章は、波長の話をしているのかもしれない、と気づくことができるかもしれません。

もしくは、物理学の授業などで可視光線の話をしているのであれば、「赤は長い」と言われても違和感を感じることなく、理解することができたはずです。

ここから学べるのは、意味が通じるかどうかを決める要素として、文脈が重要であるということです。言い換えると、論理的であるかどうかを決める要として文脈が大きな役割を果たしていると言えるでしょう。

⑤CVが良かったは論理的か?

「CVが良かった」はどうでしょう。意味が通じているでしょうか?CVを知っている人であれば、意味が通じていると思います。論理的ですね。

しかし、CVって何でしょうか?筆者はこの文章の解釈は人によって変わっているのではないだろうかと推察します。

筆者が知っている限り、『CV』という言葉が指し示す意味は3つあります。

  • CV:Character Voice(声優のこと)

  • CV:Conversion(マーケティングなどでよく使われている言葉で、顧客が特定のアクションを起こしたことを指し示す言葉)

  • CV:Computer Vision(物体認識などに代表されるコンピュータによる画像処理技術を使用して、視覚情報を取り扱う分野のこと)

「CV」と聞いて上のいずれで文章を理解したかに応じて、同じ文章でも解釈が全く異なってしまいますよね。(他にもCVが指し示す意味があるかもしれませんが、筆者はこれ以外を知りません)

「CV」が指し示す意味が何なのかを理解するためには、④と同様に文脈も重要ですが、読み手/聞き手と背景知識が同じかどうかも重要であるように思います。

⑥まとめ:「疲れたからファンタを飲んだ」は論理的か?

これまでの事例から見えてきたことをまとめてみます。最初に述べたように「意味が通じること」が論理的である、ということは言えそうです。ただし、意味が通じることというのがどういうことなのかをもう一段深掘ってみると、「文脈や背景知識、共通認識があるかどうか」がカギになっていました。

これを踏まえてタイトルの「疲れたからファンタを飲んだ」は論理的かどうかを再検討してみましょう。

これまでの議論を振り返ると、前提となる文脈や共通認識があれば、論理的であると言えそうです。逆を言えば、それがないので、読者の皆様には非論理的に見えていると思います。

種明かしをすると、これは筆者と筆者の母親の間では論理的になります。なぜなら、筆者の母親は、①疲れた時は甘い炭酸を飲みたくなる、という共通認識があり、②母は筆者がファンタが好き、というのを知っているため、筆者と母親の間では「疲れたからファンタを飲んだ」は論理的であると言えるようになります。

番外編:記事を書いた理由

筆者は自分の考えを人に伝えるのが昔から非常に苦手で母親からは「いつもお前の話はわからない」と言われ続けていました。また、人から言われている内容を理解するのも苦手で、人から求められている内容からかなりズレた回答をすることが多々ありました。なぜだろう、どうしたら直せるのだろうと考え続けた結果、上で記載しているような結論に至りました。

最近、知識欲に任せて哲学者、ウィトゲンシュタインの論理哲学論考という本を読んだところ、(著書を理解しきったとはとても言えないですが)自分の考えと一致していることに自信を持ち、時間が空いた今記事に書き起こしました。

「論理的」に考えることが苦手、という人が筆者の周りにたまたまいたので、そういった人たちや筆者と同じようなことに悩んでいる人がいればその解決方針の一つとしてこの記事が役に立てば幸いです。

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