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想像するたのしみ—『ある小さなスズメの記録』

バンコクの古本屋さんで、美しい本を買った。本屋さんをブラブラして、ふと心惹かれる本を見つける瞬間が好きだ。

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『ある小さなスズメの記録』

状態がよいわりには、安価だった。このお店ではおそらく、値付けは本の売れ行きや状態、希少価値はあまり考慮されてなく、発行年月で機械的に決められているように思う。

買取のとき、タイ人のスタッフがそのように査定しているように感じるし、それが合理的で現実的な方法なのだろうと想像する。それが事実がどうかはわからないが、とにかく私にとっては嬉しい掘り出し物だった。


この本には、イギリス、ロンドンの郊外に住む女性とスズメがともに暮らした12年と7週と4日についてが書かれている。
著者のクレアさんが玄関先で、生まれたてで、かつ瀕死の状態のスズメ ー のちにクラレンスと名付けられる ー を救出したのがきっかけで、生活をともにすることになる。
もちろん、クレアさんは、彼が回復したらすぐに、自然に返すつもりだった。ところが、彼の右足と翼には障碍があり、自力で飛べないことがわかったので、そのまま保護することにしたのだ。彼女自身も、序章で

野生の鳥は基本的には野にあるべきだと思っている

と述べている。

自然にあった生き物を捕らえて、自由を奪ったわけではないことは強調しておきたい。とにかく、人間と12年もの間、ともに暮らしたスズメの記録は貴重である。
クレアさんは、この記録について

信頼するに足りる忠実な記録となるよう、誇張もさけるべく、出来る限り心がけたつもりである

と述べていて

何であれ、彼の行動が、偶然か、本能か、それとも知性によるものか迷うようなとき、その判断は読者に委ねるようにしたつもりである

としている。読んでいて、偶然か本能か、知性か、結局は判断に迷うことばかりだが、この本に書かれている彼の行動は、本当に興味深い。


クラレンスには自分の巣を汚さないという習性があったこと。
芸を披露し、戦争下にあった人々を癒したこと。
そして、美しかった彼。

目の覚めるような黄色に加えて、サフラン色のチョッキにサクラソウ色のズボンを上品に着こなしていた。この変異に近いほどの羽毛の色彩の鮮やかさは、おそらく卵の黄身を与え続けていたせいだろう。なぜなら、この大切な食材が入手困難となり、そんなことを仄めかすだけでも時局への認識不足とう時代になってからは、その鮮やかさは目に見えて失せていったからである。(後略)

遺伝と環境という影響力のうち、

環境がより力をもっていたということが証明されたわけである

野生のスズメにはない鮮やかな羽を持っていた彼の姿はどんなだっただろう。残念ながら、この頃の写真は残っていない。一部の写真は晩年の12歳の頃に撮ったものだそう。それらの写真もモノクロなので、いずれにせよ色は想像しなければならないのだけれども。


最も印象深かったのは、「音楽家」としての彼だ。
クレアさんはクラレンスを肩にのせて毎日のようにピアノを弾いて聴かせていた。彼女はピアニストなのだ。
あるときに、彼がターンやトリルの練習をしていることを知る。さえずりや、鳴き声とはあきらかに別の、確かに歌っている声だ。普通のスズメよりも高音を出している。
徐々に歌の技術を磨いた彼は、一度、人前でその歌声を披露したのだけれども、人々の拍手喝采に怯えてしまい、2度と人前で歌わなくなってしまった。それでもクレアさんの前では着々と技術を磨き続けた。

ターンやトリルが何か、ピンとこなくて調べた私の知識レベルでは、音楽家のクレアさんの専門家らしい分析の全ては理解はできなかったけれども、彼の歌声への想像は膨らんだ。彼女は、彼の絶頂期の歌声を録音しておかなかったことを悔いているが、その気持ちもわかる。


クラレンスの成長とともに、2人の関係性も変わっていった。母親から友人、パートナー、親の介護をする娘のように。そして再び友人へ。

彼は11歳になるころには、急速に身体が衰え、病にもかかった。もう策がない、というところまでいったときに「最後の手段」として、医師のすすめでシャンパンを与えると、快方に向かった。その後、2週間にわたり1日2回
ティースプーン1杯のシャンパンを飲んだ彼は、見事な復活劇をとげるのだ。

のんべえな私は、単純にシャンパンに反応してしまったし、こういった「最後の手段」があるのだということに驚いた。それに、生涯でシャンパンを飲んだことのあるスズメはクラレンスぐらいだろう。

回復して、穏やかな日々を過ごしていた彼だったが、最後は、クレアさんの手の中で静かに旅立っていった。12年と7週と4日の生涯だった。死因は「極度の老衰」だ。スズメの平均寿命について考えたこともなかったが、野生のそれよりもずいぶんと長く生きたことだろう。

ちなみに、日本の我々におなじみのスズメは「ツリ・ースパロー」であってクラレンスは「イエスズメ(ハウス・スパロー)」という種なのだそう。
「舌切り雀」はきっと「ツリー・スパロー」ですよね。

これは愛玩動物の物語ではなく、何年にもわたり、人間と鳥との間に培われた親密な友情の物語である

とクレアさん自身も述べているように、そこには、確かに親密な友情があったと思う。

折々に、写真や録音を残しておかなかったことへの後悔の念が書かれているが、私はこのクレアさんが書いた記録で彼の魅力を存分に味わい、クレアさんとクラレンスの物語を感じとれた。

現代であれば、TwitterやInstagram 、YouTubeなどで動画や写真がシェアされ、たちまちに多く人の目にとまりうるだろう。確固たる事実として、証拠として。貴重な研究資料にもなるかもしれない。

クラレンスの声を想像し、美しい羽の色を想像する。読者の数だけクラレンスの歌声が存在し、それが現実とは異なっていたとしても、それまた素敵なことなんじゃないかと私は思う。

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