見出し画像

「役に立たない」仕事の流儀|『「役に立たない」研究の未来』書評|大滝瓶太

【本稿は作家・大滝瓶太さんによる寄稿です】 

 「ひとはなぜ集まるのか」ということを、折に触れて考える。
 たとえば京都で過ごした学生時代、鴨川では入れ替わり立ち替わりやって来るカップルが等間隔で川沿いに並ぶという現象がいわゆる「散逸構造」の例としてネタにされていたのだけれど、これはわりと馬鹿にならない観察でもある。1組のカップルを1つの個体として見たとき、個体と個体のあいだには「鴨川沿いでしっぽりしたい」気持ちと「なんとなく気まずい」みたいな心理的な障壁を含むポテンシャルが発生すると仮定すれば、鴨川に沿って発生する構造はこのポテンシャルに起因すると考えられる。系全体の構造は個々の意思とはまたちがって、系全体のポテンシャルを最適化する方向へと収束していき、それはときに「神の見えざる手」という比喩が与えられることもある。

 集落があり村があり、街が生まれて国か築かれるのも、またこれに似ていて、そこには人間のあいだを血のように流れる貨幣がある。この「血」が全体に効率よく流れるように構造化されたのが社会であり、その過程で民主主義や資本主義が生まれてきたとぼくは考えている。
 本書『「役に立たない」研究の未来』がフォーカスしているのは学術世界と経済社会の関係性だ。オンライン座談会『初田哲男×大隅良典×隠岐さや香──「役に立たない」科学が役に立つ』にて、「役に立たない」と見なされがちな基礎研究が立たされている現状の背景と課題について発表・議論された記録が書籍としてまとめられている。

 科学研究は科学者のモチベーションや能力だけでは実施できず、研究活動や学会などでの発表、研究室の運営に関わる費用が当然必要であり、その資金獲得が大きな問題になっている。その背景には、2004年の国立大学法人化にともなってこの15年間で1500億円ほど国からの資金援助が削減されたことが本書では挙げられており、そのかわりに研究計画を提出して獲得する「競争的資金」の割合が増え、それにより研究者間に資金格差が生まれたという。

はじめての「競争的資金」

 日本の博士課程に進学して研究者となる人間の多くがはじめて書く「研究計画書」は、日本学術振興会(JSPS)の特別研究員制度(DC1、DC2)の申請書だろう。これは博士課程に在籍する学生を対象とした資金援助制度であり、採択されると月20万円の研究奨励金(生活費・学費をまかまうお金)と年間150万円以下の研究費が交付される。
 額としては決して多くはないけれど、これに通るか通らないかは博士課程の学生にとってはまさに「天国か地獄」といえるほど重大なことである一方、その当落が必ずしも「優れた研究」を行う「優れた研究者」としての素質を肯定/否定するものではない。実際に、採択されても研究者になれずにフラフラしているぼくのような人間もいる。

 申請書に記入するのは今後2〜3年の研究計画、論文等掲載・学会発表の実績、指導教官の推薦書、自己PRであるものの、申請者の研究歴は概ね研究室在籍期間のせいぜい2〜3年といったところであるため、それだけで「将来性」を見極めるのは難しいだろう。たとえ第一線の研究者でも、同じ大学の同じ研究科の隣の研究室の研究内容ですら「なにをやっているのかよくわからない」というのは珍しくなく、特別研究員の採択の明暗を分けるのは査読付き筆頭著者論文・国際学会発表の実績だといわれることもある。
 これは研究キャリアの浅い学生だからこそ、所属研究室(指導教官)の方針など個人の実力以外の影響も受けやすく、ありていにいえば研究者としてのキャリアはその手前から「運」の要素に左右されるということでもある。
これは特別研究員制度の批判ではない。
 ここで述べたいのは「研究計画・研究者の価値」の見極めの難しさであり、あくまで一例には過ぎないが、科学研究の末端レベルでもその不確かさの上に研究環境が形成されているということで、本書を読みながら当時のもどかしさが蘇ってきた。

「選択と集中」がなぜ起こるのか?

 本書が掲げる問題の中心は、「競争的資金」のうち即効性・実用性の高い研究が採択されやすくなっている近年の日本研究環境についてだ。いわゆる「役に立つ」研究へ重点的に研究費を配分する「選択と集中」の政府施策について、登壇した研究者らがそれぞれの立場で警鐘を鳴らしている。
 登壇者のひとり、科学哲学を専門とする隠岐さや香氏は「役に立つ」とは政治的な言葉であると述べている。

ただ、歴史を見るに、それでも[※大滝注:「役に立つ」が人の見方によって変わってしまう恣意的な概念だという意味]人びとは、「役に立つかどうか」という話をすることをやめられなかった。やめられないのはなぜかというと、それがおそらく「政治的」な言葉、「未来」に関する言葉だからだと私は考えています。「有効性」とはすなわち、未来において「私の○○を認めてほしい」という話をするために持ち出すもの、あるいは「みんなにとって○○は良いことなんだ」と主張するために持ち出されるもの。そういった側面が、この言葉にはどうしてもあるのです。(p83)

 この文脈での「役に立つ」や「政治性」は、端的に言ってしまえば「国全体にもたらされる経済的恩恵」とも考えられるだろう。しかし、科学研究は分野・内容によってそのスパンは様々であり、するとどうしても数年単位で実用化に至るような「わかりやすい」研究の方が、納税などの形で科学に関わる人間の割合が多いほど「役に立つ」と認識されやすくなる。
 中世ヨーロッパのように王族や貴族が自らの好奇心や美学のためにパトロンとなって出資する時代とは違い、科学に対して関心を持たずとも「納税」という形で間接的に関与している人びとが大勢いる民主主義社会では数10年や100年単位のスパンを要する基礎研究が「役に立つ」と思えないのもよくわかる話だ。科学に対し「お金」という間接的な関係性を持っていても、「実感」という直接的なつながりを持てないなら、そこに価値を求めるのは難しい。市井の人びとが科学への実感を持てずにいるがゆえに、「お金の流れ」で構造化される科学観が鴨川沿いのカップルが等間隔に並ぶように自発的に形成され、「選択と集中」が促進されているようにぼくは思う。
 隠岐氏は発表のまとめでこのように語る。

とりあえず、ここで私からお話ししておきたいのは、なるべく多くの人が、学問の短期的な価値、とくに経済的・軍事的な価値だけではなく、長期的な有用性であるとか、有用性という言葉によらない精神的な価値と言ったものを意識できる状態をつくることの大切さです。これは、単に学者がすばらしい研究成果について社会に向かって話せばいいということではなく、周辺的な状況も関わってくると思います。つまり、真に重要なのは「教育」と「経済」なのです。(p90)

「役に立たない」小説家の仕事

 「役に立たない」研究者になることをあきらめたぼくの現在の仕事は小説家だ。小説を書き、小説を読み、小説についてのニッチな文章を書くのが仕事のほとんどで、おそらく社会的に「役に立っている」とは言い難い。
 科学研究と小説創作を並べてみると、本書で議論されている「役に立たない」という概念に近いものを感じた。小説にも「多くの人に読まれる本」と「部数は少ないがコアなファンに読まれるもの」があり、前者は長く書店の棚に並ぶのに対し、後者は人知れず絶版となって姿を消す。本が売れないと「選択と集中」が市場に作用し、後者のような作品は淘汰されてしまう。
 経済的な結果からいえば「部数は少ないがコアなファンに読まれるもの」は「役に立たない」のかもしれないが、しかし作品として「どちらが優れているか」を価値づけるのは容易ではなく、不可能とさえ言えるだろう。上述の通り、「役に立つ」とか「優れている」とか、そうした評価自体が社会や経済構造の影響を受け、何がどう良いのかなんてなんとでも恣意的に言えてしまうし、もちろんぼくのこうした主張でさえ、そうしたものの範疇になる。

 いろんな本が長く書店の棚に並ぶための課題は、「役に立たない」研究とおなじなのではないだろうか?
 ぼくが思っているほど「読書好き」の数はそこまで多くなくて、そのなかでも「小説読者」はさらに少なく、「純文学」や「SF」になるとさらにその数は限られる。市場の小ささはそうした作品への関心や実感が一般に乏しいためであり、それは「作家がすばらしい作品を残す」だけでは解決されないだろう。本が生まれてくる環境の改革――つまり「教育」と「経済」の問題にもなる。

 科学研究の環境を変えるためのクラウドファンディングや基金設立、研究者自身によるアウトリーチ活動などと同様の動きが、文芸の世界でも起こっている。
 たとえばSFでは「SFプロトタイピング」という「SF的想像力をビジネスに応用する」という、小説家の想像力を小説の外にも拡張していこうとする動きがある。
 またコロナ禍以降、小説家や書評家・批評家によるオンラインイベントも増え、文芸分野に身を置くひとと読者との距離も近くなった。
 そしてオンラインだけじゃない。たとえ規模は小さくとも、「町で読書会をする」ことに強くこだわっている文学研究者をしている友人がいて、こう言った。

「町の本屋さんで読書会をすると、それがきっかけでその街の本棚を変えることができる」

 これまでぼくは小説家の仕事とは、小説を書くことに尽きると思っていた。
 しかし、書店の本棚にいろんな時代のいろんな本が並ぶ街をつくるために、小説家ができることはまだまだあると今は思う。わたしたちの世界に「科学」や「小説」があるという実感を作っていくためにできることがあるはずだ。
 「役に立たない」仕事には、「役に立たない」なりの流儀がある。
 これは科学や文芸だけに止まらない、ほとんどすべての仕事に通ずる問題なのではないだろうか?

役に立たない研究の未来_Cover+Obi

★第54回緑陰図書(高等学校部門)選定★
初田哲男+大隅良典+隠岐さや香 著/柴藤亮介 編
『「役にたたない」研究の未来』(柏書房)

評者:大滝瓶太(おおたき・びんた)
作家。1986年生まれ。京都大学大学院工学研究科博士課程を単位取得満期退学。第1回阿波しらさぎ文学賞受賞。「ザムザの羽」(SFマガジン)、文理横断ブックレビュー「理系の読み方」連載(小説すばる)、ユキミ・オガワ「町の果て」翻訳など。
note: https://note.mu/bintaohtaki
Twitte:@BOhtaki

この記事が参加している募集

推薦図書