井上勝正

井上勝正

最近の記事

不死鳥サウナの帰還。2024年4月の札幌!

昨夜は札幌で飲んだ。ハイボールを飲んだ、 ボクにハイボールを作っていただいた紳士よ、ありがとう御座います! いま北海道に居る。 正確には北海道のすすきのに遂に完成した 「ザ・センチュリオンサウナ札幌」(以下「センチュリオンサウナ札幌」とします) に居る。 感無量だ。 地元のサウナ紳士の皆さんに愛された 「センチュリオンのサウナ」が札幌に帰って来たのだ、 みんな喜んでいた、フェリーに乗ってやって来てくれた人もいる。 都内からやって来てくれた人もいる。 昨夜は皆で祝宴をした

    • DVD 熱闘若作り井上勝正 RISING SUN 製作2006年の思い出。

      先日ボクがプロレスラーとして現役時代に大変よく取り上げていただいた CS放送 サムライTVの番組、 「インディーのお仕事」が終了した。 その一報を知ったのは番組に深く関わっておられる須山 浩継 さんのXだった。 先ずはこの場を借りて 須山さんはじめ 同じく大変お世話になった キャスターの三田佐代子さん、 親友のカエルのニコライ、 スタッフの皆さん、 ありがとう御座いました! 当時番組ディレクターだった 中村 血圧たかし さん とはすごく仲良くさせていただいて、大日本

      • 昔観た夕焼けを思い出していた2024年の春。

        先日、この春から中学3年生になる息子と中野ブロードウェイに遊びに行った。 2人共にDCやマーベル関係、日本のSFも好きなのでそれらのフィギュアを見た。 本屋さんにも行った。 楽しかった。 夜は食事に行く。 あらかじめ息子は「ハンバーグが食べたい、チーズ入って美味しいやつ」 と言っていたので   それなら近所に美味いハンバーグのレストランがあるのでそこに行こうと決めていたのだが、息子の気が変わったのか 中野ブロードウェイのまんだらけ店内で突然 「ハンバーガーが良い、やっ

        • 第20回 超人オリンピック 決勝 でのロビンマスク 対 キン肉マン

          ボクが小学校4年の頃「キン肉マン」がむちゃくちゃ人気があった ジャンプコミックスの第1巻が発売されたとき自転車で地元の「生野銀座商店街」 (現在のベルロード中銀座商店街を含む)の書店に買いに行ったのだけど売り切れ! 書店のおばちゃんに次いつ入って来るのか聞いても 「そんなんわからんわ」のツレない返事で撃墜されて 家に帰って途方に暮れていると母親の成子が 「阿倍野のユーゴー書店やったらあるで」と豪語したので 「大きい本屋やったらあるのか!?」と次の休みに連れて行って

        不死鳥サウナの帰還。2024年4月の札幌!

          少年少女達よ、未来に行け!2016年の話。

          山梨県の上野原に「新湯治場 秋山温泉」という温浴施設がある。 (現在の所日本で唯一「熱波師検定A」を定期開催している店舗です) ここの野外サウナは素晴らしくて最高の湿度と 熱すぎず低すぎない温度の熱で サウナ室内のベンチに腰掛けているだけで 全身触られもしないのに ゆっくり優しく揉み解されている感覚になる。 サウナを出たらすぐ横に野外プールがあり 真冬でもそれは閉鎖されず「水風呂」としてサウナで熱くなった体を冷却してくれる。 (秋山温泉のこの男女水着着用の野外サウナの用途

          少年少女達よ、未来に行け!2016年の話。

          ライダーズジャケットを着てママチャリに乗っていた少年。1985年頃の話。

          ボクは15才からボディビルを始めた。 別にイジメを受けていたから仕返ししてやろうと思って始めたわけじゃない、 …まぁ、結果的にそうなってしまうのだが基本的にそういう志ではやっていない。 トレーニングを始める最終的なきっかけをつくったのは漫画「北斗の拳」の影響だ。 出てくるキャラクターは皆、肩や腕や背中がモコモコに分厚い筋肉に覆われていて、ウエストは細く腹筋も筋量が多くバキバキに割れている。 最初は主人公ケンシロウの 「あたたたたたたた!」とか やられた方の「あべし!」

          ライダーズジャケットを着てママチャリに乗っていた少年。1985年頃の話。

          平野川に落ちた日。1983年頃の話。

          大阪の生野区に淀川水系の一級河川、平野川がある。 これがボクの小学生や中学生の頃は汚いのなんの…いわゆるドブ川だった。その水路の両脇はコンクリートで舗装されていて、川面から3mぐらいは高さがあるのだけど少し暖かくなる季節には物凄い臭いを放つ。 平野川はそんな川だった。 橋から川面を見下ろすとヘドロがドロドロになっていた。 放り込まれたんだろうな、 フレームがぐにゃぐにゃの自転車が何台も見えていて それは流れずにヘドロをぬるぬるに車体にまとわらせて揺れもしない。 川の色な

          平野川に落ちた日。1983年頃の話。

          アウフグースと言う言葉はまだ知らない2008年の頃の話とロウリュサウナに入っていた牧場の少女カトリ、1984年放送。

          今回も何年か前にWEB「日刊サウナ」で連載した記事のサルベージなのですが、 今回は前回の記事の前編となる様な感じです。 前回の記事↓ https://note.com/katsumasainoue/n/n4142acf84d34 当記事も全ての権利に許可を得て、現在のボクの状況を踏まえ、連載時ではなく、今の読者が読んでもわかりやすく加筆修正しこのnoteに記します。 文中の情報は確認済であり正確な物であることを最初にお伝えしておきます。 ボクが思うに日本の熱波… いや、

          アウフグースと言う言葉はまだ知らない2008年の頃の話とロウリュサウナに入っていた牧場の少女カトリ、1984年放送。

          ボクは「熱波師」とその日名付けられた。2008年の終わりから2009年の話。

          この記事は今から何年か前に、「日刊サウナ」というWEBマガジンに掲載された記事です。 それをまたこのnoteにお越しくださっている皆さんにも読んでいただきたくて全ての権利に対し許可を得たうえで現在のボクの状況に合わせ加筆を加え再編成しています。 どうぞ読んでいただければ幸いです。 2008年の終わりから2009年の春ぐらいまでの話です。 おふろの国の林店長が運転する車に乗っている。 イベント終わりでボクは送ってもらっていた。 その車中で初めて聞いた、 「サウナでバスタオル

          ボクは「熱波師」とその日名付けられた。2008年の終わりから2009年の話。

          家業の印刷屋で使っていた「インキ」と、父 二郎の調色。(1980年頃の話)

          「井上プロセス」、ボクの父親方のおじいちゃんが創業した印刷屋の屋号だ。 おじいちゃんが何歳の時に始めたのかとかは定かじゃないが、 景気は良かったんだと思う。 個人商店でありそれがウチの家業だった。 スクリーン印刷てご存知ですか? まあ、孔版印刷(ガリ版印刷)の一種、で特殊印刷と言われる事もある、 井上プロセスはそれ専門の印刷屋。 木枠の版とかアルミの版があってその中にインキ(強烈な匂いのする)を流し込んで印刷する。 そう。インクって言わないんだよね、「インキ」って言

          家業の印刷屋で使っていた「インキ」と、父 二郎の調色。(1980年頃の話)

          堀川湧気監督作品「還る」から「もう一度生まれる」2018年間頃の話。

          ボクと当時大学生の堀川湧気くんは 閉館後のスーパー銭湯ファンタジーサウナ&スパ おふろの国のリネン室でドラム式の業務用洗濯機の中で水と洗剤に塗れグウィ〜ン…グウィ〜ン…回る何枚ものサウナマットを見つめていた。 会話は無い。 深夜、それをただ見つめていた。 堀川くんはボクのドキュメンタリーの映像作品を撮影する為におふろの国に来ていた。 これは2018年の話だ。 ほぼ全ての照明が落とされたおふろの国館内で一室だけ明るいリネン室にボクと堀川くんがいた。 館内にはボクら以外

          堀川湧気監督作品「還る」から「もう一度生まれる」2018年間頃の話。

          大阪の玉造(たまつくり)の夜。1996年頃の話。

          元プロレスラー、故Mr.ヒト さんはボクの恩師だ ボクは「ヒトさん」とは一度も呼んでなくて 初めて会った時から「安達さん」と呼んでる。 なのでここでも「安達さん」と呼ぶが 安達さんは大阪の玉造(たまつくり)と言う町で 亡くなったお姉さんが営んでいたお好み焼き屋を奥さんと2人で まぁ、継ぐという形でやっていた。 当時ボクは、ほぼ毎夜安達さんの店 「お好み焼き屋 ゆき」で晩御飯を食べていた。 安達さんのお店はお好み焼き屋だけど ボクにはほぼお好み焼きは出て来ない というか注文し

          大阪の玉造(たまつくり)の夜。1996年頃の話。

          ボクは 井上勝正 。井上富文。

          皆さん、おはよう御座います、 こんにちは、こんばんは。 ボクは井上勝正、 本名は井上富文(ヒロフミ)と言います。 結婚しており妻はアーティストのtamamixと言います、最愛であり尊敬しています。 ボクには14才の息子が居り、息子はtamamixと血は繋がっていません。 ボクは今年で54歳です、様々な事をやって来ました。 いろんな仕事をやってきました、…過去のある時には親や妹達、弟が居り、自分に生活の責任があったにも関わらず一時的にホームレスの様になってしまった時期もあり

          ボクは 井上勝正 。井上富文。