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『なぜ僕らは働くのか』と『サピエンス全史』を読んでーーー「働く」ことで失ったこと、取り戻したいこと。そして、その先へ。

転職を間近に控え、改めて「働く」ことの意味を考えるにあたり、『なぜ僕らは働くのか』(著:池上彰)を読みました。
小学校高学年から高校生が対象のため、全ての漢字にルビが振ってあります。あとがきに、20代・30代の大人にも読んでほしいと書いてありましたが、僕は50歳直前...。人生100年時代の折り返しとなる50歳は対象外かもしれませんが、新卒で入社したNECグループを2週間後に退社して新天地で新しい挑戦をする僕にとって、今のタイミングで読むことで「働く」ということに真剣に向き合えました。

『なぜ僕らは働くのか』(著:池上彰)

並行して読んでいたのが『サピエンス全史 -文明の正体編-』。人間が狩猟社会から農耕社会に変化する時期を描いています。

『サピエンス全史 -文明の正体編-』

2冊の本を通じてNEC未来創造会議で目指した社会の成長・発展、地球の持続可能性、個人のWell-beingを同時に実現するNew Commonsの理解を深めることもできました。


『サピエンス全史 -文明の正体編-』 狩猟社会から農耕社会への変化で失ったもの

狩猟社会は自然の恵みを受けて生活を営み、同時に自然の変化に対応するために人々は多くの能力を有していましたが、自然の変動性を回避して安定した食生活を得るために小麦を中心とした農耕社会に。しかし、天候や害虫などへの対策で農作業に付きっきりになる生活となり、小麦の奴隷とも言える状態に...。畜産も同様。それまで多彩な動物を食していたのに、牛・豚・鶏しか食べない生活に...。安定した生活を望んだ結果、得たものは僅かな種類の食と過酷な労働。
農作業や畜産の労働力が必要となり、家族(子ども)の人数が増えると同時に社会(コミュニティ)の規模も大きくなる。そして、社会の全体最適のために分業が進み、個人が有していた多彩な能力を失いました。

狩猟社会では地球の持続可能性と個人のWell-beingは満たされ、一方で社会(コミュニティ)は著しい変化がないない状態。農耕社会となり社会は成長したものの、地球の持続可能性や個人のWell-beingを失うことに...。


『なぜ僕らは働くのか』 個人のWell-beingを取り戻すために

僕自身、「公ではブランド戦略を、私では地域デザインを。」というコピーのもと、公私を融合させた「働き方」や「楽しみ方」を模索しています。仕事(公)とプライベート(私)を別々に考えるワークライフバランス(Work Life Balance)でなく、公私混合(Work Life Integration)。なので、「働く」と「暮らす」はほぼ同義と捉えています。

公私混合(Work Life Integration)


『なぜ僕らは働くのか』では、ポスト資本主義社会の中での働き方・暮らし方が紹介されています。気になった内容をツイートしながら読み進めました。


  • 「幸せは生き方・働き方はあなたが決める。自分の人生の主役は自分であり、生き方の決定権は自分にあります。」(引用)。本当にそう思います。誰かの助言は大切だし心強いけど、あくまでも助言であり強制されるものではない。同様に誰かに強制してもダメ。

  • 「成功と幸せは違う」。世間一般的に成功を収めていても心が満たされていないと感じる人もいる。幸せの基準は人それぞれ。全ての漢字にルビがあるけど、子ども向けでなく、大人向けの本だな、と。

  • 大切なことだけど忘れがちなことが多く書かれている。「困ったときはお互いさま、そういう意識が職場に浸透すれば、誰もが働きやすい環境になるでしょう」。働くだけでなく、暮らす上でも同様。相手を思いやる気持ちが大切。

  • 「自分の人生に向き合おう」というパート。今年50歳を迎える僕へのエールに聞こえる。「大切なのは自分の人生に責任を持てるのは自分だけだと気づくこと。自分で自分の人生をつくると覚悟すること」「“ふつう”に縛られない」

  • 「挫折や困難があなたを強くやさしい人にする」。今年の目標である「遠回りで面倒くさい道を歩む」。遠回りで面倒くさい道を通じて強くやさしい人にUPDATEしたい。

  • 「できないことは人に頼ればいい。あなたはあなたのできること、やりたいことで、いつか誰かを助ければいい」。パズル型でなく、ちぎり絵型のチームを目指すようになりました。できないことでなく、できることに注目する。

  • 「自分がやりたいことや、どう生きたら幸せかを考える」「自信を持って、小さなことでもいいから行動する」。NEC未来創造会議で描いた意志共鳴型社会と同様。一人ひとりの小さな挑戦が連動することで大きな未来を創造する。


農耕社会(Society2.0)以降、工業社会(Society3.0)、情報社会(Society4.0)と急激に社会構造が高度化・複雑化がする中、社会の成長のために社会の一員として与えられた一つのピースとしての働き方をしてきた私たち。社会のために自己犠牲していた働き方から、これからは一人ひとりが自分のやりたいことを生かした働き方をすることで多様性と柔軟性のある社会構造を再構築し、個人のWell-beingを向上させながら社会の成長・発展を目指していきます。


2冊を読み終えて

NEC未来創造会議で目指した社会の成長・発展、地球の持続可能性、個人のWell-beingを同時に実現するNew Commons。何かを手に入れれば何かを失うトレードオフでなく、全てを同時に得るトレードオンを目指しています。

狩猟社会で実現していた地球の持続可能性と個人のWell-being。農耕社会以降、両者を失ったものの新たに獲得した社会の成長・発展。そして、今、失った個人のWell-beingを取り戻しながら社会の成長・発展を再構築しようとしています。

地球の持続可能性と個人のWell-being、社会の成長・発展と個人のWell-beingは両立できそうなものの、地球・社会・個人の全てを満たすには至っていないという課題を再認識しました。

地球の持続可能性という点ではカーボンニュートラルが注目されています。

2020年10月、政府は2050年までに温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする、カーボンニュートラルを目指すことを宣言しました。「排出を全体としてゼロ」というのは、二酸化炭素をはじめとする温室効果ガスの「排出量」 から、植林、森林管理などによる「吸収量」を差し引いて、合計を実質的にゼロにすることを意味しています。

脱炭素ポータル https://ondankataisaku.env.go.jp/carbon_neutral/about/

カーボンニュートラルは温室効果ガスのプラスとマイナスで実質ゼロを目指す。正しいですし否定もしないのですが、資本主義のように一つの指標で整理、お金の収支のような考えになっている点に違和感を抱きます。

『なぜ僕らは働くのか』でも一箇所だけ気になる箇所がありました。

働くことは社会の役に立つこと。感謝の気持ちとしてのお金。収入と支出のバランス、収入が不足しているから支出しないという部分に違和感。感謝を制限する必要はあるのか?読み進めると違和感は解消されるのかな。

https://twitter.com/katuhiko0821/status/1533323197617405952

人や自然への感謝はプラスマイナスゼロである必要はなく、常にギフトし続ける、お互いにギフトし合うことでいいのではないでしょうか?
感謝の気持ちを言葉や行動でギフトしたら、それ以上のギフトを得たという経験がある人は少なくないはずです。プラスマイナスゼロでなく、プラスもあれば、マイナスもある。ただし、長期的に捉えれば必ずプラスになる。

新天地で僕はサステナビリティに取り組んでいきます。カーボンニュートラルだけでないサステナビリティを探求しながら、地球・社会・個人の全てがトレードオンになる未来社会の実現に挑戦します。自分の中でも明確な答えは見つかっていないこともあり、みなさんと一緒に探求できればうれしいです。


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