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「星々の悲しみ」(文春文庫)宮本輝著 :図書館司書の短編小説紹介

 大学浪人時、予備校にあまり行かず、代わりに図書館のロシア文学やフランス文学を読破しようとの試みに時間を費やす主人公の志水靖高。
 ひょんなことから、同じ予備校に通う有吉、草間という生徒二人と友達同士になり、彼らと共に喫茶店へ行く。
 その店には、『星々の悲しみ』との題が付けられた一枚の大きな絵が入口に飾られていた。
 青々とした葉が茂る大木の下で、麦わら帽子を顔に載せて眠り込んでいる少年の絵。
 その明るい色調に、「星々の悲しみ」との題は似つかわしくないと思われたが、作者は二十歳で夭折したことが、絵の下に貼られた小さな紙に書かれていた。
 靖高はとんでもない形でそれを一時的に預かることになり、自分の部屋で絵を眺めながら、そこに込められた意を探ることになる。
 その間にも浪人生活の時は流れ、体の弱い有吉が重い病から病院で療養することになった。
 それでも、図書館に通い本を読み続ける靖高。過去の作家たちが、生きている時に何を書かんとしていたのか探るために、取りつかれたように本を読みふける。
 寒さが募るある日、絵を喫茶店に返さなければいけなくなる。店の人はもちろんのこと、誰にも見付からずに運ばなければならない。
 それが可能なのは、町が動き出す夜明け前だと考え、星が瞬く中靖高は部屋から外へ絵を運び出す。
 その時に彼はふと悟るのだった。若くしてこの世を去った画家が、どうして「星々の悲しみ」という題を付けたのかを。
 
 青春時代の一幕を描いたこの小説、自分も大学浪人をした経験があるので、当時の気持ちを作品に重ねながら実感を持って読むことができた。
 特に、青少年時代は、ちょっとしたことがきっかけで赤の他人が友達へと変化したことがあったのを懐かしく感じながら。
 ただ、私の浪人時代は、そうならなかったのを苦く思い出したりもした。
 予備校では、皆が一年限りの付き合いだからと、積極的に友達を作ろうという雰囲気はあまりなかったように思う。
 けれど、仲良さそうに隣り合って授業を受けている生徒もおり、私は羨ましさを感じていた。
 そんなある日、三階での授業が終わり、一階のロビーまで降りた時、出入り口の前で人だかりがあるのが目に入った。
 十五六人くらいが下を向いてすり足でうごめいている。まるで毒を持った虫に刺されぬよう、足元に全身の注意を払っているように。
 けれど、その内の一人の男子が、「ドアの方からタイルを一枚ずつ確認していこう」とそこにいた人々に呼び掛けたこと、一人の女子が申し訳なさそうに肩を縮めながら、「すいません」と言ったことで大まかな見当がついた。
 その女の子がハードのコンタクトレンズを床に落としてしまい、そこに集まった人が協力して探し合っているのだろう。
 当時は町でも建物の中でも、よくそういうことがあった。誰かがコンタクトを落とし、周りの多くの人が手分けしてそれを探す、そんな風景。
 人手は足りているようだったので、私は一応足元を確かめて靴でコンタクトを踏まないよう気を付けながら逆の方にある、もう一つの出入り口に向かおうとした。
 その時すぐ側に、授業で私の隣の席に腰を下ろすことが多い一人の男子の姿あるのに気付いた。
 予備校の授業は席が決まっておらず、好きな所に座っていいのだけれど、授業が繰り返されるにつれて、大体指定席のようなものができていく。
 だから、自然と私と彼とは毎日隣り合った席で授業を受けていた。
 そのため、もしかしたら仲良くなりやすいかもと思い、彼に、「コンタクト、探してるのかな」と、言わずもがなのことを訊いてみた。
 それがきっかけで友達同士になり、本作の小説のような青春物語が展開されるかも、と考えたわけではない。
 ただ、隣に座り合うだけの関係から、挨拶を交わすくらいになれるかな、くらいは考えた。
 が、現実はそんな甘いものではなかった。
 彼はこちらを見、それから目を逸らし、歩き去って行った。
 いつも隣の席にいる私だと気付いた上で無視したのだ。
 予備校での出会いなんて、本来そんなものかもしれない。
 でも、今でもこうして思い出すくらい切ない記憶だ。
 救いなのは、翌日も彼が私を避けることなく隣の席に座ったことだ。
 もちろん挨拶はなかったのだけれど。
 
 こうした自分の記憶にも帰れるというのが、小説を読む楽しみであったりもする。
 それが楽しい記憶でなくとも、記憶の中に浸れること自体が楽しい、時もある。

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