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「刺青」谷崎潤一郎著:図書館司書の短編小説紹介

 誰も彼もが外見の美しさを求め、「すべて美しい者が強者であり、醜い者は弱者であった」時代の物語。
 美を追求するあまり、人は自らの肌に絵の具を注ぎ込むまでになった。つまり刺青だ。
 主人公の清吉は、腕ききの刺青師で、奇警(=奇抜)な構図と妖艶な線とで名を知られていた。
 そして彼は、客が肌に針を刺される時に呻き声を発するのを聞いて、「云い難き愉快」を感じる嗜虐趣味の持ち主だった。
 その清吉には、「光輝ある美女の肌を得て、それへ己れの魂を刺り込」みたいとの宿願があった。文中には表れていないけれど、理想の女性に針の苦悶を味わわせたいとの欲望もまた秘していたのかもしれない。
 宿願を抱き続けて数年、それが叶う時が来た。深川の芸妓の使いで彼の家へやって来た十六か七かの小娘が、まさしく彼が待ち望んでいた肌の持ち主だったのだ。
 清吉は彼女に麻睡剤を使って眠らせ、念願の刺青を彫り込んでゆく。
 だが、意識を失った彼女の代わりに痛みを感じたのは彼の方だった。清吉の「命のしたたり」が、刺青の朱となり、針を肌に入れる度に、「自分の心が刺されるように感じた」という。
 ここで清吉は、美の対象である娘と一体化しているのだった。
 やがて目を覚ましたその娘は、自身の体に男たちを絡め捕る女郎蜘蛛が彫られているのを知り、女としても目覚める。男たちの命を吸い、それを自らの美の肥料とする毒婦への覚醒だ。
 彼女は清吉との別れ際に言う。
「お前さんは真先に私の肥料になったんだねえ」と。
 そこに小娘の面影はなかった。
 
 女性は誰もがある時、少女から女へと目覚めるものなのだろうか。
 この作品を読んで思い出したのは、私の初恋の相手である亜衣ちゃんのことだ。
 小学四年の時、こちらの勘違いでなければ私たちは両思いになり、幼い恋愛ごっこをしていた。
 亜衣ちゃんはバレンタインデーにはチョコをくれたし、私はホワイトデーに飴を返した。ドッジボールの内野では私が彼女を守り、彼女が給食当番の時は私に山盛りのカレーをくれた。
 思い返せば微笑ましい。互いに手を握ることすら恥ずかしがってできなかったほどの、お子さまの恋だ。
 その亜衣ちゃんとは中学へ上がると、私は男子校へ、向こうは女子校へというように離れ離れになってしまった。
 私は思春期特有の過度のはにかみから、亜衣ちゃんへの思慕の念が胸に満ち満ちていたにも関わらず、連絡を取れないでいた。
 まだ携帯電話が普及する前、気軽に個人へ連絡するのが難しかった時代だ。
 向こうからは何の音沙汰もなかった。私が小学生時代の母親同士のネットワークにより、亜衣ちゃんの両親が離婚したらしいとの噂を聞いただけだ。
 月日は流れ、私が高校に上がった時、他の中学からやって来て同級生となった生徒から、同じ学年に誰とでも寝る女がいるとの噂を聞いた。
 そう、それが亜衣ちゃんだった。
 最初は「まさか」と思ったけれど、その彼女の容姿や特徴や住んでいる場所などを聞くと、まさしく当人と一致した。
 しかも証言者は一人だけでなく十数人に上り、彼らの話には齟齬がなく、噂にありがちな尾ひれはひれもそれほど大きくないよう推測された。
 手を繋ぐことすら恥ずかしがってできなかったのに、体全体を繋がらせている。繋がらせまくっているという。
 信じたくなかった。が、彼らの話には揺るぎないような信憑性があったし、私にはそれが本当かを確かめる勇気がなかった。
 亜衣ちゃんは、無数の男たちと遊ぶ毒婦となってしまったのだ。
 もっとも、彼らの命を吸収し、自らの美と為す本作の女性とは性質が違うのだけれど。
 ただ私はずっと知りたいことがあった。
 この作品の小娘が毒婦と変容するに当たって体に彫り込まれた刺青が契機となったように、亜衣ちゃんにも少女から女になるに当たって、どんなきっかけがあったのかと。
 遠い過去になってしまった今でも、やはりそれを知りたく思うのだ。
 

「刺青」(新潮文庫『刺青・秘密』所収)谷崎潤一郎著
 
 
 
 
 
 
 
 

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