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生きるのは変化し続けること~生き方に正解なんかないって優しさも感じた~【バービー】

 ああもったいないなあ。公開直前の騒動で観に来ない人もおられるだろうから、あんなこともこんなこともなければと思いながらエンドロールを眺めていた。

 私の筆力では一連のことは書ききれないから感想も書かずにそっとしておこうと思っていたけど、観終わって気持ちが変わった。やはり感想だけでも私なりのものを書いておこう。

 3年前に感想を書いた「ストーリーオブマイライフ/ わたしの若草物語」も、とても好きな映画。4人姉妹のそれぞれの心の模様が、押しつけがましくなく繊細に描かれていて、4人がそれぞれとても魅力的に思えた。そんな監督の映画だからコメディが楽しみだった。グレタ・ガーウィグ監督は実際、コメディが得意らしい。まだ若いけどなかなかのキャリアのようだ。


*ネタバレあります

 フェミニズムの映画とされているけど、その要素があるだけでメッセージは他にたくさんあった。むしろ自然に生きることの方が強調されていたと私は感じた。

 バービーの暮らす世界はその対極を行っていて、わかりやすく反転している。

 KENの扱い、男性側はどう感じるか。それは私たちが普段の世界で感じていることそのもの。全然誇張とも思わない。
 そして人間界で(ここが誇張されていて笑うところが多かった)KENが急に「男らしいとは!」「強く!」「男性優位の社会!」と陶酔し、バービーの世界にそれを持ち込む感じは、むしろフェミニズムに傾倒して勘違いした男女への警告とも取れる。男女とも外側から役割をあてがわれたら、考えるのをやめちゃう。でも心は自由でいたくて自分の気持ちだってちゃんと感じているのに、表せられない世界なら苦しいよね。

 どっちとかの問題じゃなく、人間の生き方の話に思えた。
 そしてそう語る上で、男性だけでなく、女性による女性の今までの思いこみも解放するために、みんなが考えなくちゃいけないんだよな。

 「女性であること」については、グロリアのスピーチシーンが、もっとも心を打った。

 「やせていなきゃいけないけど、健康的でなければならないからやせすぎてもいけなくて、やせたいと言ってもいけない」といったようなこと。

 聞きながら「……難しくない?!」と思った。

 それだけじゃないささいなことから次々と矛盾だらけの無理難題を、日々つきつけられている私たち。そんな世界を生きているのよね。
 なんでこんなに私たちは私たちを窮屈にしているのか。周りにそれを押し付けていないか。若い世代に連鎖していないか。
 どうして女性は、男性からも女性からも責められるのか。
 わが身を省みて、そして苦しいであろう周りにも、気を使いまくっているのではないかと自分も気の毒に思えてきた。

 「あのシーンはすごかったね」と言う夫に「あれって今の世の中や人間全員に対しても言えるんだとも思うけど、男の側としてどう見たの?」と聞いてみた。
 「男の側も、男だから~って言われて育つからね。例えば男だから泣くなとかさ。それでいて最近は泣いても良いとか言われて、でも泣きすぎるなとか加減しないといけないって難しいよねぇ。だから言いたいことや気持ちとしてはわかるよ。でも聞いていると、女の人はもっと制約が多そうで大変なんだなと思った」
と言う。
 出会ったころから夫は「女の人って、気をつけなきゃいけないことが多くて、社会的にも抑圧されて何もかも大変そう過ぎるよね」と言っていたけど、改めてこんな話ができて良かった。

 ところでバービー人形に思い入れはないと言う人も多いだろう。私も今はまったく抵抗のなくむしろ好きなくらいのピンク色が、幼少期は好きじゃなくて。バービーの家がピンク色だったから、友達の持っているバービー一式を見ても「うおぉ。ピンクだらけ」くらいしか思わなかった。そして帰国後、親戚の遊ぶリカちゃん人形でも遊ばなかった。

 でも映画を観ているとそういうことじゃないんだなと思った。
 それまでの人形に、「お世話をする女の子」の役割を与えていたところを、バービーは「何にだってなれる自分自身」を投影させるつもりで作られた。
 それが今やサーシャに「フェミニズムを50年後退させ、女性の自信を奪ったファシスト」と言われてしまう皮肉な存在となっているのだけど。

 ぬいぐるみでもゲームでも何だって良い。自分を投影させて遊ぶのが当たり前になっているだろう。その時に「○○らしさ」を目指してしまうとしたら、その後の自分を窮屈にさせているのかもしれないのよな。成長するにつれて自分たちで考えていく必要がある。
 女性らしさ、男性らしさだけでなく、若さや美しさ、老いや強さなど、そこに当てはめようとする苦しさを、周りにも押し付け、自分にも課していないだろうか。

 「〇〇らしさ」にとらわれない自我ってなんだろう。どのていど自分の中に持っていてどのていど表現すればいいのだろう。人が生きて年老いるってどうなの。それは、醜くなっていく一面を認めることなの?

 そこに、正解なんかない。
 むしろ、どうすれば良いかなんて誰にも答えられないのだし解決しなくても良いって伝わってきた。人生は続くのだからただ考え続けてって。
 作られた見せかけの美しさは陳腐な場合だってある。生きていると失敗もするし、不快なことも悲しみも苦しみもある。老いていくことやそれを含めた変化を受け止める愛おしさや美しさが描かれていた。

 今後、どうなっていくのかなんて誰にもわからないし、何者かなんてわからなくてもずーっと模索しながら生きていて良い。何者でもないKENの気持ちは、定番のバービーだからよくわかったのだよね。ここでは定番のバービーがあのKENとどうするかを選択をしただけで、他のバービーはまたちがう選択だし、定番バービーだって今後どんな風に生きていくかなんてわからない。
 

 「トイ・ストーリー4」で、おもちゃが自分の道を歩むことで示した「自我」とその「答え」について、どうも納得できないなあと私が思ってしまったあの頃から4年。ちょっとカオスで、「くだらない!」と笑えるシーンが続き、その本質は深く感じられた。

最後に、三年前に書いた「ストーリーオブマイライフ/ わたしの若草物語」の感想から。

自分の表現に葛藤を持ったことがある人たちに対して、このストーリーは優しさに溢れている。
(中略)
 「大衆ウケするために、自分の信念や自分らしさを曲げないで」ってメッセージが響く。

 自分自身の本当の姿、本当の気持ちに気づいた時が、皆の自分への思いに気づいた時。
 家族、友人、愛する人、本当の自分、信念、個性、表現。それぞれが何なのか。この中に、そのすべての普遍的なものが詰まっていた。

 グレタ・ガーウィグ監督の伝えたいことって一貫しているのかもしれない。



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