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ブレてない!「経営戦略ワークブック」序文

「元気になる戦略」を作ろう

戦略が会社をダメにする?
“厳しい経済環境の中、競争に勝ち残るための戦略を学びたい”
この本を手にするあなたも、こんなふうに思っていることだろう。

でも不思議なことに、まじめに戦略を作ろうとするほど、がんばって実行しようとするほど、元気をなくしてダメになっていく会社が多い。
なぜだろう?

あなたも、“戦略とは、精緻な分析をして合理的に作るべき。計画は、細かくチェックして管理すべき”と、考えているかもしれない。
しかし、現実はどうだろう。
経済環境はめまぐるしく変わる。精緻な分析を重ねて作った計画も、3ヶ月も経てば、実情と合わなくなる。
昔は年に1度の計画作りで済んだものが、今では1年中、計画の見直しに明け暮れる会社も少なくない。
また一昔前、日本経済全体が成長していた時代なら、“売上前期比10%増”といった目標も、頑張れば何とか達成できた。
しかし、経済成長しない今、なかなか成長戦略は描けない。

それなのに、目標だけは昔と同じく、威勢の良い数字が降ってくる。
頑張っても、頑張っても、そんな目標はなかなか達成できない。
その一方で、本部は“もっと管理して、尻を叩かなければダメだ”と考えて、さらに細かな報告を求めてくる。

無理な計画に追われて、言いわけの報告に終始する毎日だ。これでは疲れ果ててしまう。やる気もどんどん萎えてくる。
会社全体が、将来の夢に向かって進む「元気」をどんどんなくしていく。

下の図を見てほしい。「戦略のネガティブサイクル」というものだ。
あなたの会社でも、この戦略のネガティブサイクルが働いて、会社全体が元気をなくしていないだろうか?
この本では、このような分析と管理を基本とする戦略を、「古典的な戦略」とよぶ。

「元気になる戦略」を使おう

私は縁あって、いろいろな会社の幹部や管理職の方々に向けて、戦略作りの講座を担当させていただく機会が多い。
この講座に参加する皆さんは、日本を代表する大企業に勤めている方も多いだけあって、頭脳明晰かつ人格的にも優れた方々ばかりだ。
しかし、残念なことに、皆さん勉強家であるがゆえに、頭の中には由緒正しい「古典的な戦略」がしっかりと入っている。

古典的な戦略は、20世紀の「工業社会」の発展と歩調を合わせて、完成度を高めてきた。企業研修やビジネススクールで教わるのも、この古典的な戦略だ。
ところが、この古典的な戦略は、21世紀に入って本格化しつつある「知識社会」においては、今までのようにはうまく機能しない。
それどころか、無理に当てはめようとすると、だんだんと組織がおかしくなっていくことが多い。

こういった中、今まで古典的戦略の総本山であった米国のビジネススクールも、新しい時代に向けた「新しい戦略」を模索しはじめている。
これら「新しい戦略」は、人の生み出す「知」や、組織の持つ「独自の強み」に注目する。そして、個人の自主性や創造性、また偶発性(「あそび」)や実践からの学びといった、組織のソフトな側面を重視する。

この新しい戦略は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と賞賛され栄華を誇った1980年頃の日本企業に対する研究が、ルーツとなっている。
だから、この新しい戦略は、日本の会社に合った、日本の会社の「元気をとりもどす」考え方だと思う。本書では以後、この新しい戦略を総称して「元気になる戦略」と呼ぼう。

しかし皮肉なことに、この新しい戦略論の先生となった日本企業は、バブル崩壊で自信を喪ってしまったのだろうか。今では古典的戦略のよき生徒となり、戦略のネガティブサイクルを一生懸命回そうとしている。

これでは、まじめに頑張るほど、会社の元気はなくなる。あなた自身も疲れ果ててしまう。
新しい時代に合わせた「元気になる戦略」を使おう。それこそが、あなた自身、あなたの会社、そして日本の社会を元気にしていくのだ。

元気になる戦略の中心は「ミッション」

元気になる戦略を動かすのは、下図に示す「ポジティブ・サイクル」だ。
このサイクルの中心にあるのが、「ミッション」だ。ミッションとは、会社の「使命」や「志」だ。経営理念や価値観とも言ってもよい。
 
有名なミッションとしては、ソニーの創業者である井深大氏が1946年に起草した「株式会社設立趣意書」にある“真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設”、また、ホンダの創業者である本田宗一郎氏が唱えた“人間尊重、3つの喜び(買う喜ぶ、売る喜び、創る喜び)”といったものがある。

これらミッションは、生きた言葉だ。
会社全体に通底する価値観として、社員の一人一人が理解し、誇りに思い、また会社の提供する製品やサービスや、社員の行動にまで反映されているべきものだ。
本田宗一郎氏自身も“行動なき理念は無価値である”という言葉を残している。
社長室の額縁に飾ってあるだけの美辞麗句、事務所の廊下に誰にも省みられないまま貼られた標語は、ミッションとしての価値はない。

“こんな話は、キレイゴトだ”と思うかもしれない。
“会社の存在意義なんて、結局は金儲けなんだよ”という、醒めた意見もあるだろう。

そうではない。人間、そんなに捨てたものでもないのだ。

自分たちの働く想いを、深く探求していくと、当人達が戸惑うくらい、崇高な使命や価値観が浮かび上がってくる。
ミッションを探っていくと、最初は冷笑気味に斜に構えていた、役員なり部長なりの幹部の方々も、次第に本気になってくる。
自分たちの想いを深く探求するにつれ、“愛”とか“地球と自然のため”とか“家族の幸せのために”とか、ちょっと気恥ずかしくなりながらも、真剣にかつ堂々と、語り始めるのだ。

感動的なシーンだ。やはり、この世に生を受けた限り、誰でも人として真に求めたいものがあるのだ、という思いになる。

もちろん現実の世界においては、そう簡単にミッションを実現できるわけではない。ミッションとほど遠い状況で、仕事をしなければならない場合も多いだろう。
しかし、自らの使命を自覚し、その実現を目指せば、仕事に新たな意義を感じることができるし、組織の力を最大限に発揮することができる。
元気になる戦略であなたも元気になってほしい
元気になる戦略とは、自らの本来の使命を探し求め、思い起こし、それを本気で実現する。
だから、仕事が喜びにとなるし、成果を出すことが嬉しくなる。

”そんな気楽な話は、儲かっている会社だからできるんだ。現実は厳しいんだ”と、反発する方もいるだろう。
違うのだ。必死に働いても会社が元気ならないなら、それはあなたの会社の戦略が間違っているのだ。まさに、そう言うあなたの会社にこそ「元気になる戦略」が必要だ。

ぜひ、元気になる戦略を使って、あなたの会社を、そして何よりあなた自身を、元気にしてほしい。

機械的な世界観から、生命的な世界観へ

「古典的な戦略」と「元気になる戦略」の本質的な違いは、依って立つ「世界観」の違いにある。

古典的戦略の根っこには、「組織=機械」という世界観がある。
古典的戦略は、組織を意思のない「機械」として捉える。だからこそ、精緻な計画を作り、厳密な統制と命令で、組織という機械をより効率的に動かそうとする。

それに対して、元気になる戦略は、組織を(ある種の)「生命」として捉え直す。人間の集まった組織を、自らの意思や目的を持ち、常に環境に応じて自らを変化させる「生命」だと考えるのだ。
生命である組織は、多様な個性を持っており、計画では縛りきれない気まぐれな側面がある一方で、時には想像を超えた能力を主体的に発揮する、と考える。それゆえ、元気になる戦略では、組織の個性や自律性を積極的に受け入れ、組織の成長や学習、また創造的活動を重視するのだ。

以下、この2つの世界観について、もう少し深く説明しよう。

「工業社会」が育てた古典的戦略

1900年頃から1980年代まで、20世紀の大半は「工業社会」として定義できる。この時代を振り返ってみよう。
2つの世界大戦を挟みながら、この時期に科学技術は大きく発展した。自動車や飛行機が誕生し一大産業に成長した。化学繊維やプラスチックといった新たな工業製品も、この期間に一気に発明され工業化された。工業生産物が価値を生む「工業社会」が、最盛期を迎えたのだ。
この時代の最先端の産業とは、製鉄・機械・自動車・化学といった重化学工業だった。ボイラーと溶鉱炉が黒煙を吐き、巨大な装置が火花をあげて唸り、ベルトコンベアーが大量の生産物を生み出す工場は、科学の勝利の象徴であり、力強い発展を約束するものだった。

この科学信奉・機械信奉の色濃い時代に生まれたのが、科学的な経営管理や計画経済を旨とする、古典的戦略だ。
この時代に生まれた古典的戦略は、会社という組織も合理的に動く機械であると、当然のように考えた。機械を効率的に動かすためには、精緻な設計図が必要だ。同様に、組織も精緻な計画に従って、整然と機能すべきものなのだ。
古典的戦略の考える理想の組織とは、中央に鎮座する全知全能な官僚機構、一部の隙もない完璧な計画を策定し、下部組織が忠実に一糸乱れず実行する、というものだ。
この計画に瑕疵があると、組織は完璧には動かない。なので古典的戦略では、データの徹底的な調査や論理で固めた分析を重視し、完璧な計画を作ることに心血を注ぐ。
この世界において、従業員とは、機械の厄介な付属品だ。均一な部品、つまり「機械の歯車」として、設計図通り動くべき存在だ。創意工夫といった、面倒な雑音を出しては困るのだ。
機械である組織は、時間が経つにつれて劣化する。機械が壊れたり旧式化したら、故障や不具合のある部品(つまり従業員や工場)を取り替えればよいと、と考える。
ちなみに、組織という機械には当然「所有者」が存在する。この所有者が株主だ。組織とは、所有者である株主のために、最大限に働いて利益を生むべき機械なのだ。これが(米国的な)「株主資本主義」の根本となる考え方だ。

現在の古典的経営論は、さすがにこんなに古色蒼然とはしてはいないが、その根本には、この機械論的組織論が厳然として存在している。

「知識社会」には、生命論的な「元気になる戦略」を

21世紀は、知識が付加価値を持つ「知識社会」になる。この知識社会の入口にある、まさに現在を見てみよう。
現代の成長著しい産業とは、金融工学を駆使するグローバルな金融業、インターネットなど技術革新に牽引された情報通信産業、映画やゲームなどのコンテンツ産業、病院や製薬などのヘルスケア産業、技術進歩のめざましい環境・新エネルギー産業、またデザイナーや弁護士・コンサルタントといった専門職(プロフェッショナル)などだ。
これら産業の力の源泉は、資本金でも労働力でもない。個人や組織の持つ「知」の力だ。まさにこれらは、「知識社会」の申し子なのだ。

工業社会で出現した産業も、その内実は知識社会化が進んでいる。
たとえば自動車産業なら、20世紀の工業社会における覇者とは、生産規模で他社を圧倒する米国GM社だった。
それに対して、21世紀に新たな主役として登場したトヨタは、優れて知識社会的な会社だ。トヨタの強さの本質は、現場の生む知恵を組織全体で生かす仕組み(「カイゼン」)や、隣同士の組織がお互いに情報交換しながら自律的・分散的に生産する仕組み(「カンバン」)にある。

学問の世界でも、21世紀に入ってから、「知」を扱う情報工学(IT)や、生物を扱う医学やバイオが大きく発展している。また、生物の世界に範をとった、複雑系・カオス・非線形物理学・ネットワーク理論といった学際領域が、大きく進歩している。
こういった潮流に伴って出現してきたのが、この本で「元気になる戦略」として紹介する、「生命論的な戦略論・組織論」だ。

生命論的な戦略論・組織論では、組織を冷たい機械としてではなく、自らの意思を持ち、外界の環境変化に適応し、新しい知を獲得・成長し、他者と豊かな生態系を作って繁栄する生物として捉える。
この新しい戦略論では、たとえばこんな考え方をする。

生命は、無理に型に嵌めると死んでしまう。組織も、無理に計画や統制で縛らずに、組織自身が自らの意思や個性を活かし、外部環境に柔軟に対応して生き延び繁栄する道を、自律的に見つけていくべきだ。

株主は、組織の所有者でなく、あくまで出資者、つまり自分を産んでくれた親にあたる。親と自分とは違う。親である株主の意見は尊重しても、最後に判断するのは株主でなく、組織自身であるべきだ。

生命体は成長・学習する。規模が大きくなるだけではない。経験を通じて知恵を付け、内面的にも成長する。自然に進化する。
また、生命体は、他の個体や種と協力しながら、他の生物との関係の中で生態系を作っていく。会社も単体で動く機械ではなく、顧客や取引先(ステークホルダー)との関係の中で、お互い棲み分けて生存する。

これから紹介する「元気になる戦略」も、こうした考えに基づく戦略論だ。
誤解がないように付け加えると、新しい戦略論は、古典的な戦略を否定するものではなく、古典的戦略論の知を取り入れつつ、新しい思想を取り込んで進化してきたものだ。古典的戦略論で開発されたツールも、使えるものは積極的に使っていく。
 

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