論理的オカルトのすすめ
オカルトは目に見えず神秘的な現象だと思われており、大抵の場合それは説明がつかない。説明しようにもわからないからだ。
しかし、だからといってオカルトが論理的でないとは言えない。むしろオカルトというのはとても論理的な現象の1つである。
なぜならば、オカルトはただ突然この世に現れたのではなく、私達によって生み出されるものだからだ。そこに人間の意思が絡む以上、そこには「考え」や「イメージ」が脳内で繋がれた論理がある。
目に見えなくとも論理はある。そして神秘的なものには神秘的なりの論理が。
つまり論理とは、この世にあまねく存在するものなのだ。オカルトも例外ではない。もし説明のつかない現象があるとしても、そこにある論理もろとも、私達にはわからないだけだ。知らない論理。その存在を私達は認めるべきである。
知らないものに、私達の知っているものがあるはずがない、そう考える根拠はどこにもない。
私達が知っている論理はごく一部にすぎないが、論理がないことはけしてない。ただ、それは見えるか見えないかであり、オカルトは大抵の場合、それが見えない。だから論理的でないと思われている。しかし本当は、オカルトほど論理的なのだ。なぜなら、これほど論理にこだわる「人」の気持ちによって、それは観察され、考えられ、評価されているのだから。
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